第26話 創出

 『普通』とは、なんであろう?



『そんなの普通じゃありません!・・えっ?何故って?そんなの、当たり前じゃない!』


 つまり、議論の余地もなく。あるべき姿、為すべき行為が確定した事象が存在する、ということであろうか?

 もしも、そうだとするならば。

 当該事象、即ち『普通』に於いては・・


『一切の揺らぎは、生じ得ない』


 ということに、なるのか?




 可能性は喪失し、平行世界は生まれない。全てが閉じて凝固する。・・その先は、つまり『点』への移行?


 だが。生命の意義が・・


『存在を以て。自由の獲得により創出していく高次元界の組成』


に、あるのなら。


 『可能性への飛翔』こそが、我ら生命体に求められていることであろう。

 ならば『普通』は。それを逆行させる阻害因子だといわざるを得ない・・




「そんな難しいことを言ってもダメですっ!わけ解んないですから!普通は普通ですっ!下着をつけずに服を着るなんて、そんなの普通じゃありませんっ!」

 従者は勇者に食って掛かった。魅惑的な空想の実現化を目指し、勇者は更に言を弄そうとニンマリする。だが、しかし。

 急に、その表情が固まった。

 

―― 裸に、セーラー服。

 最高。最高に過ぎるが・・


 『あれ』を。

 『あれ』を、貰えなくなってしまう・・!

 物質構成変革クラスチェンジが出来なくなってしまうではないかっ! ――



 説明しよう。勇者による物質構成変革クラスチェンジは、従者の『あれ』を吸引することにより発動するのだ。

 セーラー服を身に付けると、下着を用いることができなくなる。下着を用いなければ、勇者は従者から『あれ』を貰えない。『あれ』を貰えないと、勇者は物質構成変革クラスチェンジができなくなる。

 ・・だったら。

 従者から『あれ』を預かり、適宜に吸引してみたらどうだろう?だめだ!

 脱ぎたてほかほかの『ナマあれ』でなければ、物質構成変革クラスチェンジは発動しないのだ!


 急に硬直した勇者を、不思議そうに見上げる従者。勇者と従者との掛け合いが止まったのを見て、パコ師匠が静かに言った。

「セーラー服の内部で、物質やエネルギーがどのような振る舞いをしているのか全く解らないのです。ただ、膨大な力が発動することは確か。発動体と媒体、即ちセーラー服と人体との間に物質が存在すると、それを介して力が暴走してしまう可能性が高いのです」

 パコ師匠が粛々と説明すると、アストヘアも頷いた。

いにしえから伝わる言葉にも『して用いよ』とあるの。・・リン様、先にそれをお伝えせずに、ごめんなさい」

 深々と頭を下げるアストヘアに、従者は慌てて言った。

「ち、違うんですっ!私、ちょっとびっくりしちゃっただけなんですっ!」

 アストヘアは微笑みながら、狼狽える従者を優しく包み込んだ。従者は子猫のように抱擁された。

 そんな二人を苦々しい顔つきで一瞥した勇者は、アストヘアに向けぼそりと言った。

「アストヘア。・・試着は中止だ」

 従者が吃驚した顔つきで勇者を見詰めた。

 パコ師匠はついっと眼鏡を押し上げた。そして、機械の性能でも説明するように淡々と言う。

「内側に下着を着けることは出来ませんが、外側に上着を羽織ることは可能です。でも、保温性は非常に高いようです。セーラー服の着用のみで、冬季の高山地帯を踏破した記録が残っています」

 パコ師匠の説明に、勇者は「うん」と頷く。アストヘアが勇者をじっと見詰めながら言った。

「どうした、勇者?」


 気遣うことはする。しかし、この程度で引き下がるような勇者ではない。アストヘアは、それを知っている。

超貴重品レア・アイテムどころの品では、ないのだぞ?」

 アストヘアの言葉にも、勇者は「うん」と頷くのみだ。


 ・・勇者と従者は、物質構成変革クラスチェンジに頼って旅をしている。だが、それを他者に説明することはできない。


―― 『儀式』は。

 二人だけのものだから ――



 逡巡を表すかのように、勇者の眼は細かく振動した。瞬時にそれが治まると、勇者はアストヘアに向かい、頭を下げながら言った。

「すまない、アストヘア。・・いつかは試したいが、しばらく待って欲しい」

 弱った獲物を見るような目付きで、アストヘアは勇者を見据えた。

「ちゃんと説明しなさい。リン様のお気持ちを汲むのは当然のこと。しかし、なぜお前が先延ばしにしようとする?」

 アストヘアの言葉に、勇者は奥歯を噛み締める。その、ぎゅっと握りしめられた拳を見ながら、アストヘアは更に言葉を発する。

「一体、・・何を隠している?」


 アストヘアの言葉に、むしろ反応したのは従者だった。

 はっとした表情で、勇者を見た。

 勇者は、その瞳に優しく頷く。

 

「言いにくいのだが。・・実は僕もリンちゃんも、level があまり高くない・・」

「どういうこと?討伐の任を受けてから、3ヶ月近くも経つのでしょう?」

「弱い魔物は、僕らの発する気を察するためなのか、逃げてしまう」

「強い魔物は?」

「・・避けてきた」

 アストヘアは、従者に微笑み掛けてから抱擁を解いた。そして、勇者に向かい合った。

 戦闘モードに入れば、対人であっても相手のlevel を読むことができる。

「・・呆れた。15だと?出発前と変わっていないじゃない」

 アストヘアの眼が、猛禽類のそれ同様に鋭くなる。と、ほぼ同時に「ぐはっ」と吐き出すような声を上げて勇者が膝をつく。強烈な中断突きが勇者の鳩尾みぞおちを撃ち抜いたのだ。

 アストヘアは跪く勇者を見下ろしながら、冷たい言葉を浴びせ掛けた。

「僕が守る、だと?笑わせるな。一体今まで何をしていた?・・こそこそ逃げ回るだけのお前に、従者様をお守りする資格はない」

 堪らず従者が前に出ようとするのを、勇者は跪きながら手を上げて制した。従者の視線を捕らえたその瞳は、柔らかな光で包み返した。

 儀式は二人だけのもの。

 曝け出すことは、出来ない。


 勇者はよろよろと立ち上がると、アストヘアに向かって再び頭を下げた。

「アストヘア、返す言葉もない。・・だが、待って欲しい。必ず、level を上げてくる」

「どうやって?」

「・・ゾルドの森を巡って」

「ふん。あの森はお前では無理だ。こそこそと逃げ回るのが落ちだろう。・・もうよい。明日から私の道場に来い。しごいてやる」

 アストヘアは勇者に向かって斬り付けるように言い放つと、すぐ表情を和らげて従者に言った。


「リン様は是非、私の館にお泊まりくださいね!今はどちらにお泊まり?まあ、鹿苑館?あそこなら大丈夫かな。ごめんなさい、本当は今夜からお泊まり頂きたいのですが、少し散らかっていて。明日、必ずお迎えに上がりますから!パコ、後はリン様をよろしくね!ではリン様!本日は失礼致します、また明日必ずね!ごめんなさいね!ごきげんよう!」

 アストヘアは笑顔のまま捲し立てて、呆気にとられた従者を残し旋風つむじかぜのように去っていった。従者を迎えるための準備でもするのだろう。



 パコ師匠に礼を述べ、勇者と従者は『ルシャノワ』を後にした。

 寄り添うように歩く従者が、心配そうな顔で勇者を見上げた。

「勇者さま・・お身体、大丈夫ですか?」

 勇者は従者に向かってにかっと笑う。

「さっきのかい?平気平気、なんでもないよ。アストヘアのパンチなんて、蚊に刺されたくらいなものさ」

「・・内緒に、してくれたんですね・・」


 従者は、顔を赤らめ俯いた。勇者は、そんな従者の肩にそっと手を置いた。

「当たり前じゃないか。・・リンちゃんの全てを、僕だけのものにしたいのだから」

「・・もう。そんなことばかり言って・・」

 従者は怒るように頬を膨らませた。

 しかし。その瞳に宿る光は、よわよわしく揺れていた。


 麗しく可憐なそのかんばせを眩しく見詰めていた勇者は、視界の端に柱時計を認めた。街道に立つ時計は、午後4時を示していた。


―― ・・2時間。

 そう、2時間、だっ! ――


 

『飲ませてから2時間くらいで効果が出始め、その効用は24時間ほど継続します』


 ウエアヌスの声が、勇者の脳髄に響く。

 飲ませたのは、午後2時前。

 現在、午後の4時。


 勇者は、大きく息を吸い込んだ。

 

―― 『可能性への飛翔』こそが。

 『高次元界』の創出へと繋がる。


 それが、僕らの存在意義だっ!――



「リンちゃんっ!!」

 突如として勇者は叫ぶ。

 娘は驚き眼を丸くする。


 人の行き交う雑踏のなか、勇者はいきなり娘に抱きついた。そして、その香り高い柔らかな肢体を、ぎゅうっと力強く抱き締めた。

(つづく)

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