第4話 数値
従者と勇者は進む。このペースなら、あと二時間も歩けばゾルドの森を抜けるだろう。
陽はまだ高い。うまくすればゾルドの森の先にある、オーラルの町まで辿り着く。
とはいえ。進む従者の表情は、険しい。
この森はlevel30近い獰猛な魔物が頻繁に跋扈するからだ。
level(レベル)。生物の生存能力が定量化されたものと云われる。身体能力、精神力などが統合された値らしい。大抵の生物は、自らのlevel、他者のlevelを関知できる。彼我の戦闘能力の差を瞬時に知覚できるわけだ。
まあ、生き物として当然有すべき知覚能力ではある。
捕食者は、捕らえやすい獲物を物色するためにこれを用いる。被捕食者は、危険を察知するためにこれを用いる。
ならば、捕食者と被捕食者とのlevel が隔絶していたら。被捕食者は、諦め諾々と喰われるのだろうか?
否。
生命は。
進化変態に向け、これを越えようと藻掻き這いずる存在だからだ。
通常、このlevelは成長に応じて変化するが、一定の値に達すると打ち止めとなる。『種』により、上限値が定まる。
ただ、一部の魔物と人間だけが例外らしい。生まれたばかりの人間はlevel1だが、鍛練によりどこまでも上昇し得る。市民の平均値はlevel6程度だが、level70近くまで上がる武芸者もいる。
魔物と戦うことを生業とする冒険者逹は、level20前後が最も多い。
先程のレッドパンサー。level28という強者だった。もしも勇者が
つまり。この勇者と従者は、勇者の特殊能力たる
ひとたび
しかも、従者から『それ』の返還を求められると直ちに力を失う。『萎える』のか?
一度効用が解けると、再び
本来なら優秀な冒険者らを仲間に加え、
しかし。勇者は頑なまでに他者を入れようとはしない。従者と二人きりであろうとする。・・気持ちは、解らぬでもないが。
従者は、落ち着きを取り戻したようだ。勇者の言動に、またぷりぷりと怒っている。
怒ると豊かな黒髪がふさふさと揺れる。風に花弁を震わすユリの如く、揺れる漆黒から豊潤な香りが舞い上がる。鼻腔を広げる勇者は胸を膨らませて舞い上がり、従者はさらにぷりぷりする。その、繰り返し。
無意識には違いないが、やはり秘めたる魔性の成せる業か。
だが。なんだかんだと言いながら、この危険な森を先導するよう先を歩けるのは、背後を守る勇者を信頼しきっている証しだろう。
「おっと、リンちゃんストップ」
勇者が声を掛けた。従者は直ぐに止まる。
「左前方。木々の間。
50メートル程先、左前方。数体の
勇者は立ち止まり、ぐるりと周囲を見回した。すると、右後方。こちらは50メール以上距離があるが、3体の
「後ろからも来ている」
「えっ!」
「リンちゃん、『あれ』を」
勇者の言葉に従者は逡巡する。
「
「数が多い。二体までなら何とかなるけど、三体を越えると無理だな。僕、喰われる」
「うっ。わ、分かりましたっ」
「囲まれるとまずい。早く」
「は、はい」
勇者は荷を下ろし、従者を庇うようにしてその横に立つ。そして左前方と右後方を交互に見据える。
従者はまごつく。
勇者の視線に、死角がない。
隠れて、脱ぐことができない。
「リンちゃん早く」
「は、はいっ」
泣きそうな声音で従者は答える。意を決したように身体を折り曲げ白い手をスカートの中に入れた。
「み、みないで」
「無理だっ!」
従者が抗議するも、何故だか勇者は強く突っぱねた。従者の動きが止まると、勇者は叱責するように言った。
「囲まれてしまうぞ。早く脱ぎなさい」
「・・は、はいっ」
勇者は、前方と後方に視線を飛ばしながらも、その合間にねっとり舐めるように従者を見詰める。従者が睨み付けてもびくともしない。じっと、強く冷たいくらいの眼差しを絡ませる。目を反らしたのは従者の方だった。
顔を赤らめ俯きながら、白い脚を勇者に見られながら、『それ』を脱いでいく。
白い腕に。
白い脚に。
ぬらぬらと絡み付く視線。
まるで、勇者の欲情そのもののように。熱い視線は従者の柔肌を火照らせ、染める。従者の吐息すらを、熱し湿らせ。
震える従者は、ようやく『それ』から脚を抜いた。
勇者は、ぐいっと左手を従者に差し出す。従者は顔を背けながら『それ』を差し出す。
勇者の掌に、ほわっと温かい『それ』が載せられた。香しきエネルギーの結晶。
「ありがとうっ!」
勇者は前方の
ずくんっ
香りと、味。
鼻腔と舌とを通じて、従者の濃厚な味わいが勇者の中へと入っていく。
―― さっきより。・・濃く、なった? ――
ずずずっーんっ!!
勇者のなかで融合が起こり、猛烈な光が放出される。
殆ど意識がないといわれる
その瞬間を逃さず、勇者はビール瓶の栓でも抜くように、彼らの首を
そして。左手に握った『それ』を鼻に押し付けて香りを堪能してから、もう一度核心的部分を丹念にべろべろと舐め上げた。
舌に染み込む 桃色の
虜にされそうな。惹きつけられて、雁字搦めにされそうな。いや、既に。絡め取られて縛り付けられて。恐ろしいくらいの、力だ。
しかし勇者は、迷うことなく自ら魅惑の世界へと潜り込んでいく。虜にされつつ、また取り込む為に。
―― ああ。うまいっ ――
勇者は従者に見つからないよう、裏返された『それ』を素早く元通りにし、そして従者に差し出した。
「ありがとう!助かりました!ちょっとスキャンしてくるから待ってて」
元の姿に戻った勇者は、倒れて首のない
『
スキャンを終えた勇者は、従者の元へと戻った。ところが。
従者は『あれ』を手にしたまま、もじもじと突っ立っている。心許なく風に揺れる、一輪の花のようだ。
「どうしたの?リンちゃん?」
「・・あの、これ。また
「・・えっ?穿かないの?すっぽんぽんでいたいの?」
「違いますっ!・・その。・・新しいの、穿いても、いいですか?」
・・おそらく。
おそらく娘は、勇者がスキャンをしている間に『それ』を確かめた。
先程にも増して、『それ』は濡れていた。
娘の困惑は極限だ。認めがたい事実。
いや。眼前の事実に至る原因に勘違いがあるのだが、それに至ることができない娘にとっては、目眩がしそうな事実なのだ。
しかも。
荷は全て、勇者の
気遣う勇者は、何度言っても従者に荷物を持たせようとしない。力あるものが持って当然という
真面目に過ぎる従者には、自分の荷を勝手に勇者の
濡れそぼった『それ』を穿く恥辱。
新たな『それ』を求める羞恥。
苦渋のなか、従者は後者を選んだ。
しかし。
「リンちゃん、それはダメですよ」
「えっ!」
懸命に絞り出された従者の言葉は、いとも簡単に却下される。
「なんでっ!なんで駄目なの!」
「イシスの神への
勇者は諭すような顔つきで、静かに言う。従者の声のトーンが下がる。
「・・えっ、そんなことは」
勇者は、静かに続ける。
「ひとつ、われ日に
「はい、そうですけど・・」
従者が頷くと、勇者の目がきらりと光る。
「リンちゃん、僕がいま言った誓いの部分を繰り返してごらん」
「・・はい。ひとつ、われ日に一度以上、体を清めて聖霊を保たん。ひとつ、われ日に一度、下穿を改め聖霊を守らん。ひとつ、われ勇者に求められるままに、わが聖霊を授けん・・」
娘は愛らしい声で、言われるままに誓いの言葉を繰り返した。
勇者の喉が、ごくりと動く。
―― いい。従順なるその姿とその声。
とっても、いい。
しかし、この誓いの言葉。
実にエグくて、素晴らしい ――
勇者は改めて、イシスの神に尊崇の念を抱いた。・・神とは元来、欲望の集積だ。
「ね?あれは一日一回しか、替えちゃダメなんだよ」
「え?一日一回は替えないといけない、という意味ですよね?だから、替える分には何回替えても良いんじゃないんですか?」
「違うよ。もう一度、誓いの言葉を思い出して。体を清めるのは日に一度『以上』となっている。つまり、体を清めるのは一日に何度やっても構わない。しかし、下穿は一日一度、と限定されてる。故に『あれ』を替えられるのは一日一回だけ、ということになる」
「えっ、そうなんですか?そういう意味なんですか?」
「そうです。『日に一度以上』と『日に一度』は、まるで違う意味なんだ。イシスの神は、敢えてそのような誓いを与えた。とても重要なことだから」
「・・・重要?」
従者の瞳に疑り深い光が宿る。勇者はその光を吸いとるように、落ち着いた眼差しでゆっくりと頷いた。そして、優しく低い声音で静かに言う。
「頻繁に替えていたら、『あれ』に香りが宿りません」
「・・・・・・」
従者の顔が色濃く赤らむ。
潤んだ瞳を勇者に向け、そして俯く。
勇者は真面目な顔つきで頷く。おそらく、保つのに懸命だ。
「だからね、リンちゃん。さっきのを穿きなさい」
「・・・はい」
娘は。泣きそうな顔をしながらも頷いた。
真偽が不明であっても。信じて受け入れることができるのは、ある種の美徳である。
そもそも不明だらけのこの世界。誰かの言葉をありのままに受けとめて、疑念への解答に用いるという手段は心の安寧を保つには最適である。精神を、健やかにする。
自ら疑念に立ち向かい、世を見渡し悩み抜いたとしても。不明と不明とが絡み合い構成されるこの世界を、明々白々にするのは困難だ。
・・しかし。悩み抜かねば納得できない、人の言葉を借り受けることなど出来はしないという輩もいる。
ならば。・・そのような輩は。
澄んだ
「・・あの」
「うん、後ろを向くんだね。分かったよ」
勇者は爽やかに頷き、後ろを向いた。
「ただね、リンちゃん」
勇者は後ろ向きのまま従者に声を掛けた。勇者から少し離れ、警戒しながら身体を折り曲げようとしていた従者の動きが止まる。
「なんですか?」
「さっきの。いつもより濃い香りだった」
「・・・!」
「いつもより濃くて、佳い香りでした。僕に見られて、恥ずかしかった?」
「・・あ、当たり前ですっ」
「そうか。・・リンちゃんが恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、『あれ』により佳い香りが宿り、僕の
「・・・」
「僕の仕事が決まったね、リンちゃん」
「・・なに?」
「リンちゃんを辱しめることさ」
「なっ、何言ってるのよっ!」
従者が叫ぶ。しかし、勇者は落ち着き払って静かに言う。
「僕らの武器は今のところ、
「・・・」
「ごめんね、中断させちゃって。さあ、どうぞ、穿いてください」
従者は、『それ』を手にしながら恨めしそうに勇者の背中を睨んでいたが、諦めたように身体を折り曲げた。
勇者の手元がキラリと光ったが、従者がそれに気づくことはなかった。
「・・あの、・・どうぞ」
従者が声を掛ける。勇者が振り向く。
従者は。
両手を股間の前で合わせ。
赤い顔して視線を斜め下に向けている。
なんとも・・
手で隠せば。どうしても勇者の視線はそこに注がれる。それが分かっても、隠さずにはいられない。「見ないで」と声を上げることすら、恥ずかしい。何もなかったことにして欲しい。
身体を縮めて目を伏せて。
煙のように、消えてしまいたい。
しかし、恥じらいを含んだ瑞々しい果実のような娘は、むしろ圧倒的な存在感を示していた。
そのむせかえるような色香に、勇者は興奮を隠し得ない。やや身体を前に折り曲げながら、上擦った声で言った。
「綺麗だよ、リンちゃん」
娘はますます朱に染まる。瞳が潤む。今にも涙の雫が溢れそうだ。
まるで、罪悪感に打えているような表情。
強い光は濃い闇を生む。
楚々とした聖女が、そのうちに妖艶なる強い魔性を宿すのも道理である。
意に反し、溢れ出してくる。年頃なれば、そんな悩みを抱えていても不思議ではない。
真面目ならばなるほどに悩む。悩めば悩むほどに、意のままにならぬ事象が目につく。意識してしまう。意識すればするほどに、却ってそれは、溢れてくる。
今回は、勇者の奸計である。しかし、娘にも勘違いを促す下地があった。勇者は娘に潜む魔性を引っ張り出そうと計略を巡らす。娘は陥り、自らの魔性と改めて向き合わざるを得なくなった。
結果、少しばかりではあるが。
真実それは、溢れてきた・・
生命は、光と闇を宿すもの。
どちらか一方しか見えていなくても、必ず他方もそこにある。どちらかを高めれば、同時に他方も高くなる。誠実と欺瞞、清澄と汚濁、貞淑と卑猥。
故に、我らはそれを心に留めながら、見るべき己をみるしかない。
溢れていても。清廉を守ろうとする姿こそが尊く、美しい。
―― ああ、リンちゃん。可愛いよ。肌を朱に染め困惑している姿は、最高だ ――
勇者は喜びが満ち溢れそうになるのを懸命に堪えて、実に真面目な顔つきで言った。
「よし、リンちゃん、先を急ごう」
従者はこくりと頷く。
歩き出すも、歩幅が狭い。・・濡れた股間が気になって仕方がないのだろう。
勇者が従者の手を取った。「あっ」と声を上げる従者に構わず、ぐいぐい引いていく。
よろけるように勇者に付き従う従者。柔らかなその手は、勇者の大きな手に包まれて。少し、しっとりと汗が滲む。
従者は足を
甘い香りが。
すこし強くなったようだ。
(つづく)
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