第41話 則天

 秋空。

 遥か高きに、筋雲の翔ぶ。


 あの上は、宙の領域か。

 今は陽光に阻まれ星星は見えない。

 だが夜は、満天と煌こう。

 気が遠くなる程の、過去を運ぶ光たち。

 その先は冥く、見ること能わず。

 個は無論、・・種を尽くしたとしても。


 いや。

 大いなる生命ならば、・・或いは。



 我々は、自らの死を知覚し得ない。

 死は、いつも他者に訪れる。

 故に恐ろしく。また興味深い。

 人の造りし傑作たる宗教は、この恐怖を取り除こうとする物語。

 人の紡ぎし偉大なる哲学は、この興味に掻き立てられた知の集積。

 自らの死を知覚し得ないが故の、業。


 だが。

 理を以てすれば。

 我々は自らの死を認識し得るはず。


 我々は、数多の命の結合だから。

 我々は、数多の死と生の連続だから。

 細胞は、日々に死に。日々に生まれる。

 常に、喪失と獲得とを繰り返している。

 

 体感は難しかろう。

 だから、自我がある。

 自らを客体とし、理論を以てそこに敷衍し想うことを可能とさせる機能だ。



 自らの構成は

 生命のそれと同じと知る


 個にして全

 全にして個



 命は、死を内在した生の連続だ。

 生と死は、生命の一部にして全てだ。

 この世に生が満ちたなら。

 我々は、この世の一部かつ全てである。


 ・・脳髄を駆使して羽撃く先は、全なる生命の見渡す果へと繋がろうか。





 


 アストヘアの館で従者に見守られ休息を得た勇者。死地を越える以前と比して、何かが一回り大きくなった。

 茫洋たる佇まいにも、不思議な色が滲む。


 館の中庭に大勢の人が集まっている。ウランのいう『焼肉パティー』だ。勇者が屠った火龍は、街に大いなる恵みを齎した。人々は歓び、祭る。肉を食う。本来は羊肉であるべきだろうが、今日は牛肉である。代謝を促進させる行為が大いなる生命と結ぶ神事足り得ると、古来より人々は直感してきた。


 佇む勇者を人々が囲む。要約すれば、感謝を伝えているらしい。全てが繋がるならば、するもされるも同じこと。重要なのは、その事象に何を聴き、何を発するかだ。

 ただ、それを伝えるのは難しく思えた為、勇者は曖昧な笑みを浮かべ頷いていた。

 アストヘアが来た。珍しくご機嫌らしい。

「勇者、お手柄。火龍をまるまる一頭譲ってくれるなんて、随分太っ腹じゃない?」

「ウランさんが来てくれなければ。僕は火龍の死体と共に喰われていた。当然だ」

「・・大変、だったんだな。・・中身も変わったか、試してやる。日没前、道場に」

「承知。・・ウランさんは、何者だ?ただの白魔術者ヒーラーじゃないよな?」

「当家の先々代。私の祖母。そして、師匠」

「えっ?白魔術者ヒーラーかつ、武闘家ウオーリアなのか?・・つまり、二重職位デュアル・ウィルデング?」

「九十六歳。未だに全く刃が立たない。・・あれは、化け物よ」

 言うと同時にアストヘアは姿を消した。

「なんじゃ?化け物とは?」

 背後からダミ声が響く。神出鬼没。だが今回は、孫娘がやや早かったようだ。

「まだまだ、未熟。五里に気を飛ばせと申しておるに。・・勇者殿、あれを頼むぞ」

「え?アストヘア?僕より強いですよ?」

「ふん。あと一日も森に籠もれば、あやつを軽く越えよう?」

「リンちゃんに目茶苦茶叱られました。もう単独行動は禁止だそうで」

「はっ、情けない。あれは根性が足りずに、勇者殿は従者殿に頭が上がらん。まあ、定めかのう。・・どちらにせよ、頼むぞ」

「・・ウランさんならば。魔王を倒せちゃうんじゃありませんか?」

「昔語りをさせる気か?それぞれの時に、それぞれの為すべきことがあるんじゃろ。・・儂は、夏の終わりを過ごしたか。今は、秋かのう。・・見届けることは、できようか」

「・・失礼、致しました」

「よいよい。さあ、肉じゃ肉じゃ」

 ウランは現れたときと同じように、音もなく去った。広い中庭のあちこちに火が熾され肉が焼かれる。芳ばしい匂いが漂う。

 高い空の下、庭一面を染める薄紅色の花々が可憐に揺れる。夏に種を蒔けば、秋に開花する秋桜コスモス

 それぞれの時に。それぞれのことを。


 勇者は佇む。待つ。ときを。

 ・・来た。


 羽織る山吹色のカーディガン。

 柔らかく、包むような。

 優しく薫る、太陽の色サン・ライト・イエロー


 纏う白いワンピース。

 なによりも眩く、総てを受け容れて。

 始まりを歌う、女神の色。


 溢れる、笑み。

 揺れる黒髪。

 躍動。


 獲得の喜びは、喪失の憂いを喚起させる。

 常々失われるのが、この世だ。

 生命のそれと、同じである。


 ならば、取り戻せ。

 失う度に、色は消えても。

 得る度に、光は満ちん。

 馳せ求め。

 永遠に、得難いときを。

 その度ごとに、握り締めよ。



「・・リンちゃん」

「勇者さまっ!」


 交わる瞳。言葉など追いつかない、光と光の交歓。波動が二人を包む。

 交わる光は何かを結合させながら、宙の遥かへ飛散する。気が遠くなる程の、未来へ。

 互いの重力が、引き寄せ合う。森へ入ってから数日しか経っていない。しかし、随分前のことに思える。


 ・・身も心も 

 あしたを迎えるごとに

 全て真っ白・・


 ウランの言葉が勇者の脳裏に上がる。

 染み込み、血肉となった左証か。


「・・リンちゃん、ただいま・・」

「・・・おかえり、なさい・・」


 手を取り。

 引き寄せ。

 抱き包む。


 従者もごく自然に受け入れていた。抱きしめられていた。茫洋たる気分に形成された場が、そうさせたのか。


 白と白との間には、無限の事象がある。

 先の白と後の白とは、決して同じでない。

 しかし、やはり白である。始まりの色だ。


 互いの体温が交換される。刻む脈拍が同調していく。包まれた従者は、湯に解けるような温もりを感じた。ずっと、張り詰めていたことを悟る。柔らかく溶けていく。嗚咽が聞こえた。ややあって、自ら発するものと知った。何故、泣いているのか解らない。解らなくても、よかった。


 勇者の胸に顔を埋めていた娘が、ゆっくりと上向いた。

 ルージュの引かれた唇。天露に濡れ、これから開花する蕾のようだ。可憐で慎ましく、同時に弾けるようなエロティシズムを内包する。

 まるで子どもみたいに、真ん丸にした瞳を涙でいっぱいにして。だけれど、宿る色には艷美が薫る。


 惹き合う。

 もはや問いも答えもない。

 摂理に則るばかりだ。


 惹き合う唇と唇が、ゆっくりと合わさる。

 互いの潤いを交換し合うように。

 吸い吸われ。体液を、混ぜていく。


 

 はっと、覚める。

 白昼夢かと思う。

 しかし、周囲の喝采が教えてくれた。人々が取り巻き、祝福してくれていた。

 何より、熟した果実のような娘のかんばせが、全てを語っていた。

 勇者は娘を抱き上げた。お姫様抱っこだ。慌てる娘に、瞳で諭す。

 この街の門を潜る前とは、違う。

 抱き、抱かれる意味は創られた。

 どのように、創られたか。説明は難しい。数多の事象が発生と消滅とを繰り返しつつ、縦横に結びこの時を組成する。

 

 娘を抱き上げた勇者は、高らかに言った。


「皆さん、ありがとう。

・・いま、この世に不可解なことが起こっている。魔王の思惑も不明だ。未来への道のりは、決して平坦ではない。辛酸を嘗め、塗炭に苦しむ道だろう。だが僕は、日々に歓びを噛み締め進むつもりだ。

・・何が正しいのか。何が誤りなのか。解らない。自分のなかに、柔らかな光と赤黒き炎が同居するのは何故か。解らない。この世のことも自らのことも、まるで解らない。

・・だが、愛おしき人がいる。これは揺るぎない現実だ。日々にこの世を創り、日々に僕を生み出す実感だ。暑き日にはその日陰と成り、寒き日にはその日向と成りたい。憂えば糺そう。歓べば励もう。

・・世界は複雑に絡まり、事象は矛盾に満ちている。

でも僕は、この世界の美しさを知っている。より美しい響きを、僕らは求め得ることを知っている。


・・皆さん。

あなたには。愛おしきものが、あるか?


愛おしきものを、護りたくはないか?


生きる意味が解らないというなら、生きる意味を創ってはみないか?


・・愛おしきもののために。

この命を、燃やし尽くしてはみないか?」


 広場は静寂に包まれる。ややあって、大きな歓声が渦巻いた。意味なんて後からついてくる。突き上がる衝動が、意志を形成し世界を組成するのだ。

 娘は眩しいように目を細めて、勇者を見上げた。精悍な顔つきで人々を見回していた勇者は、娘の視線に気づくと笑顔を見せた。

 それはすぐに溶けて、エッチな顔つきに堕落する。


―― ・・もう。

 このひとって、一体なんなのかしら ――


 でも。嫌ではない。自尊心を、くすぐる。それに気付けば、また恥ずかしくなる。


 娘はでれっとした勇者をきっと見上げた。勇者の顔は、益々でれっとする。娘はその頬をむんずとひねった。

「ひっ、ひででっ!・・はんで?」

「・・ばか」


 人々の笑いと歓声は、高き空の更に高きまで響き渡った。

 風に乗り、遙かに天音あまねくようだった。

(つづく)

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