第42話 岐路
日入り前。
遥か頭上に、一つ二つと星が見え始める。
たくさんのものが、現れては、消えて。
あの星々に宿っている。
星々も、やがては弾けて消えて逝く。
・・何処へ、逝くのだろう。
勇者は道場の門を潜った。
分厚い闘気が彼を迎えた。
両開きの扉は開け放たれて、飴色板張りの道場内が見て取れた。
正面奥。
こちらを向いて端坐する麗人。
濃紺、刺子生地の道着。漆黒の帯。
半眼。微動だにせず。
・・勇者が森に入る時。同じように端坐し気を練った。しかし、異なる。勇者は森に同化しようと自らを消した。対して、アストヘアは周囲の大気を取り込み自らを大きく分厚くしている。
一礼して入り、控室で素早く着替える。白道着に白帯。
帯を固く締める。刺子生地に触れる肌がひりひりする。
考えず。体のざわめきに耳を澄ます。
森に
正座位から一礼し道場に入ると、アストヘアがすっと立ち上がった。脇に視線を向け、頷く。勇者は、ウランが隅に端坐していたことに気づく。
「武器と魔法は禁ずる。存分に、来い」
アストヘアがゆっくりと言う。既に気と気とが間断無くぶつかり合っている。分厚く包み込もうとするアストヘアの気。薄く伸びて逃げながら囲おうとする勇者の気。互いの微細な振動すら撃ち響き合う。
気が場を占める。
互いに一撃必殺の技を持つ。
隙をもって誘うことは無謀に過ぎた。
刻一刻と進む。不動。
だが、達者なれば其の応酬が視えよう。覆い囲い断ち削る。死合っている。心身は不分離だ。気を滅すれば、体も滅びる。
均衡は徐々に崩れた。やはりアストヘアに一日の長がある。場に馴染む無垢の気を取り込んでいる。勇者の気は薄く伸びても靭やかで強い。しかし、それにも限界があった。
朱く煌くアストヘアの分厚い気が、薄く広がる勇者の白い気を各所で分断する。瞬時、勇者の心拍が乱れる。見逃さない。アストヘアの鋭い前蹴りが勇者の鳩尾を襲う。
と、アストヘアは反り返ってバク転した。
「・・勇者っ!卑怯だぞっ!」
「え?・・なんだ?」
「武器と魔法は禁じたはずだっ!」
「ああ、心得ている」
「嘘をつけ!何を放った!」
「え?・・」
怒るアストヘアと困惑する勇者の後ろに、音もなくウランが立った。そして勇者の右腕をぐっと持ち上げる。
「騒ぐでない。・・この、中指から発したと見えた。霊障の指じゃ。・・守護のモノらが勇者殿の危機と思ったか。そなたの額目掛け霊波を矢のように放ったのじゃろう。よく、避けたな。・・ぽうっと穴が開いていたかもしれんぞ。ヌホホ」
ウランの言葉を聞き、アストヘアはますます顔を赤くし目を怒らせた。勇者は慌てて言った。
「済まない、アストヘア。僕も知らなかったんだ。まさかこの指に、そんな力が宿っていたなんて・・」
「・・もう、いい。ここまで。
アストヘアの言葉に勇者は後ろを向いた。
入口近く、従者が白い道着を身に着け正座していた。アストヘアと勇者の闘気に気圧されたのだろう、少し青褪め身を固めていた。しかし勇者の視線を受け、潤んだような瞳を返した。そこには僅かだが微笑みがあった。
「勇者、邪魔っ!下がれっ」
アストヘアが灼熱の気をぶつけながら刺々しく言い放つ。勇者はへいへいと戯けながら道場の隅、ウランの横まで下がり正座した。
従者の稽古が始まる。
―― 白い道着にポニーテールだと・・
か、完璧じゃないかっ! ――
身も鼻の下も伸ばす勇者。先程まで死合っていたとは、とても思えない。しかし、変わり身が早いのはアストヘアも同じだ。顔付き柔らかく、声音も綿のよう。
アストヘアと従者の組手が始まった。アストヘアは充分に配慮しているようだが、なかなかに鋭い突きを繰り出す。従者は無駄の少ない動きで、それを流していく。
「・・従者殿も、見事じゃな。はやくも、円の動きを会得したようじゃ。アストヘアのやつめ、自身は未熟じゃが指導は悪くない」
「アストヘア、強いですよ?」
「ふん。まだまだまだまだ・・顔だってな、若い頃の儂の方が上」
ウランの言葉が終わるより早く、遠く離れて従者と打ち合っていたアストヘアが物凄い形相で二人を睨んだ。
「ひいっ!」
「ほほお、怖いのう!」
「だめっ、ウランさん!煽っちゃ!アストヘアの頭に血が登って、リンちゃんに万が一のことがあったらっ!」
「そこまでは愚かではない。あれはあれで、格を持つ。自らを得ておるよ」
「・・かく?」
「あやつの格は、火じゃなあ。強く、激しく広がってゆく。周囲を惹きつける赫き。人々を率いる器がある。じゃがな、激し過ぎる故に、全て焼き尽くす虞もある。故に、従者殿の水格に惹かれるのじゃろう」
「すい、かく?」
「水は柔らかく融通無碍。全てを溶かして万物を育む。一見すると弱々しいが、その実なによりも強大な格じゃ。まあ、母親みたいなもんじゃな」
「えーっ、リンちゃんがお母さんっ?」
「儂の若い頃によう似とる」
「絶対信じませんからっ!」
「長生きしたら分かる」
「信じませんからっ!・・誰もが、何らかの格を持つんでしょうか?」
「いや。生来の格を持つ者は極僅か。修練しても得るは至難。じゃがな。ひとたび得たならば生涯の宝よ。血に混じり、色を帯びる。力は禍福どちらも呼び込むが、自らの色を知っておれば遇し易い」
「ウランさんの格は?」
「ナイショじゃ!」
「えーっ、ケチ!・・僕は、ありますか?」
にやにや笑っていたウランが、真顔になって勇者の顔をじっと覗き込む。
「・・珍しいのう。色々と、混じってるようじゃが。・・・これは、・・・空、じゃな」
「くう?」
「うむ。からっぽと成り得る格よ」
「からっぽ、ですか・・・」
「何も無いということは、全てに満ち得るということじゃろう?・・ひとは、失うことでしか真を得ることが出来ぬ。励めよ」
「・・はあ」
稽古が終わった。ウランは消えていた。
蕩けるような表情で従者と話していたアストヘアが、能面のような顔を勇者に向けた。
「勇者。私はリン様を案内するから、お前は道場のシャワーを使うとよい」
「勇者は常に従者と一緒だが」
「たわけ。・・どうしても湯船に浸かりたいなら、屋敷のお風呂を使っても良いが。女性優先だから、使えるのは夕食後になるぞ?」
「・・アストヘア。お前、まさかリンちゃんと一緒に入るつもりじゃないだろうな?」
妙な間が、漂う。
アストヘアは能面を崩さない。
「・・女性同士、当然だろう?」
僅かだが、声が高い。
「・・リンちゃん。今までに、アストヘアと一緒にお風呂、入ったことある?」
「え?ありますけど。アストヘア様に背中を流して頂きましたっ!」
「・・その際。アストヘアは変な目つきで、リンちゃんをジロジロ、見たりした?」
「え?そんなことありませんよ。あ、でも。胸をちょっと触られちゃいました!」
「なにっ!」
アストヘアの能面が崩壊した。
「ま、待て。ち、違うっ。その、わ、私は、む、胸がな、胸があまりないから。リン様のが、ちょっと羨ましくて。つまり、それで。ほんの少し、触れてしまっただけ、だぞっ」
「もみって、されちゃいました~っ もお、アストヘアさまぁ、恥ずかしいですよぉ!」
「もみっ、だとっ!!」
「い、いや!違うぞっ!違うんだっ!あ、あのな。・・あの、そう。ほら、胸が大きいと凝るじゃない? つまり、だから。・・少し揉みほぐしてあげようと・・」
「凝るのは肩ですよ?アストヘア様。胸は、凝らないですよ~っ」
「そ、そうなのね。ご、ごめんなさい。私、ほら、・・胸が薄いからよく分からなくて」
「店主は、薄くない」
道場入口、静かながらも力強い声が響く。パコ、参上。
勇者は、畳み掛ける。
「アストヘア。お前、なんだか僕みたいな言い訳をしているぞ。つまり、黒だ」
「・・!」
「パコ師匠っ!リンちゃんをお風呂に連れて行って頂けますかっ!こいつに任せると実に危険だっ!」
「御意!」
「まっ、待ちなさいっ!あんた達!一体なんなのよっ!パコまで!なによその連携っ!」
従者が不思議そうな顔をしている横で、アストヘアは真っ赤になって喚いている。それをパコが無表情で見上げる。牛乳瓶底眼鏡がきらりと光った。
勇者は首を大きく横に振り、溜息をつく。
「お前とは長い付き合いだが。・・全く気づかなかった。・・百合でも両刀でも、もちろん構わない。・・だがな。リンちゃんに不埒な行いなど、絶対に許さんっ!」
「勇者さま、ゆりってなんですか?」
無邪気な質問を飛ばす従者の手を、パコは優しく取った。そのままスッと、アストヘアとの間に割り込む。
「よいのです、従者様。お気になさらずに。さあ、お風呂へ参りましょう。店主は道場のシャワーをお使い下さい。勇者様の後に」
「ぱ、パコっ!ちょっと待ってよっ!」
パコの眼鏡は無情にも反射し、その瞳を隠す。縋るアストヘアを完全に無視し、パコは従者の手を引いていく。
事態を全く理解できない従者は、戸惑い振り向き振り向きながら、ずるずると引かれていった。
静まり返った道場に、取り残された二人。
再び、対峙する。
アストヘアが、何かを断ち切る様な顔つきで言った。
「・・勇者、この際だ。・・・腹を割って、話がしたい」
気が、変じていた。赫きは消え、代わりに濃く重い
只事でないその気魄を捌きながら、勇者は先を促すように頷いた。
「私は、・・お前を認めた。・・お前も、私を認めて欲しい」
「・・つまり?」
「・・悔しいけど。リン様の心は、お前にあるようね。・・昔からお前は。やはり、侮れない。・・でも、お前にリン様を開ける?」
「・・無論」
「たっぷりと時があるなら。もしかしたら可能かもね。でも、お前も分かるだろう?各地の異変。・・おそらく、時間はあまりない」
「・・だとしたら、何だ?」
「同性の方が、判り易いこともあるわ。しかもあの子は、私を慕っている。・・導ける」
アストヘアは強い眼差しを勇者に向けた。
感情と理性との解離に勇者は戸惑った。アストヘアは斬り込む。
「嫌なのは解る、当然よ。でもね、あの子は無垢で無知。お前の、男の硬い肌だけで解すのにどれだけの時を要する?お前のことだ、無理矢理は嫌なんでしょ?・・間に合う?」
「・・世界が終わるとは、決まっていない」
「だから、お前とリン様次第なのでしょう。だから、時間が無い。そうでしょ?」
「・・・どうする、つもりだ?」
「上書き。・・彼女の常識を、彼女の世界を換える。素早く、確実にね」
勇者はぐっと歯を噛み締めた。従者は羞恥の塊のような乙女だ。だからこそ、膨大なエネルギーと可能性を秘めている。しかし、その障壁は非常に分厚くて硬い。
解し押し広げ、深く繋がるためには。どれだけの時を要するのだろうか。アストヘアの言うとおり、二年、三年じっくり段階を経て進む余裕など、恐らく二人には無いだろう。
羞恥心はそのままに。分厚い障壁を通り過ぎるには。内側からの手引が必要だ。
・・確かに、アストヘアならば。
だが。
その提案を受け入れることは、自らの世界を破壊することに他ならない。
「私をパーティに加えて。・・ねえ、勇者。あなたが私を使えるか、そこに掛かっているんじゃない?」
得るために、失う。
失うことで、得る。
ウランの顔や黒羽根兜らの顔が浮かぶ。
・・心は、張り裂けそうだ。
アストヘアは、勇者の逡巡を見据えたように目を細める。
「勇者。・・あなたの本当の力を、わたしにみせてよ」
自分と従者との世界に、何人たれども入れたくない。理屈を超えた、根幹的な願望。
・・それでは世界が保たないと、アストヘアは訴える。勿論それは、アストヘアの願望でもある。だが、その言葉には核心を突くものがあった。
「・・・・・・玄遠なる門を潜りしは、名を奪われし者。・・・掟だ・・」
「・・解った。守る。門には、触れない」
「・・・・・・・・・・」
全ての表情を喪失してしまったような勇者を見て、アストヘアは優しく言った。
「・・そんな顔、しないでよ。もうちょと私を信用して。・・何故お前が勇者で、私が勇者ではないのか。どれだけ、天を恨んだか分からないわ。何をとっても、私の方が上なのに。・・最後は、いつもお前が勝った」
「そんなことない」
「そうなの。お前は得たものに固執しない。手元でなく前を見ている・・だから」
「・・だから?」
「・・・なんでもない。出立は明後日だね。
「パコ師匠は、客人が先と言っていたぞ」
「もう客人じゃないでしょ。上に立つ者は、周囲への気遣いが大切よ。あ、待っている間に雑巾掛けしてくれたら嬉しいな。よろしくね」
アストヘアは様になるウィンクを勇者に浴びせかけると、颯爽と道場を後にした。
大きく、舵は切られた。先に続く未来は、がらりと様相を変えるだろう。
何かを失い、何かを得る。
あったかもしれない世界。
切られた舵で生じる水泡のように、そのたびに現れる幾つもの世界。
その一つの表層に、我々はいる。
少なくとも、現状それは唯一無二だ。
しかし、自ら舵を切ることが出来るなら。
自ら、水泡を生み出すことが出来る。
どの泡に飛び込むかは、その意志に依るところが大きかろう。
その泡がどんな様相か、入ってみなければ分からない。入ったら最後、元いた泡には戻れはしない。
だから、撹拌する。
泡を。世界を創るために。
生命が生まれた理由の一つだ。
勇者は、新たに生じた道を思う。決断を悔いても始まらない。既に分岐し過ぎたのだ。
先は、霞むばかりであっても。
雑巾をバケツに入れて絞る。ぼたぼた零れる水が、水面に波紋を描いては次の波紋に呑まれてゆく。固く絞った雑巾に乗り、飴色の板張りを只管に滑る。繰り返される単調な動作が、流れを均一化させ整頓させる。
心も空間も、澄んでいく。
撹拌と清澄。
世界も、同じだろうか。
勇者は無心を求めて、飴色の板張りを雑巾と共に進んだ。
(つづく)
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