第22話 原初

 子供時代、勇者やアストヘア達にとって『ルシャノワ』は格好の遊び場だった。隠れんぼに鬼ごっこ。大人に見つかれば凄い剣幕で怒られる。それがまた、遊びをよりスリルあるものにした。最後は捕まってお尻をいやというほど叩かれたが、次の日にはけろりと忘れて走り回る。

 走り回る子供達はどの売場でも歓迎されないが、特に大人達の警戒する一角があった。『下着売場』。女性用のそこに入ろうものなら『何してるの!』と即時に摘まみ出されてしまう。

 子供は鼻が利く。『これは何かある!』と悟る。だから執拗に侵入を試みる。しかし、大人達の防衛壁は日増しに強固となり、やがて近付くこともままならなくなる。

 つまり。勇者やアストヘアはここで『禁忌』を学んだ。

 『禁忌』の先には『何かがある』ことを、大人達は無自覚にも教えてくれた。


 無自覚なる大人達は、その『先』を視ようとも考えようともしない。しかし、学んでしまった子供らは、その『先』が観たくて堪らない。考えずには、いられない。

 ・・その熱意を棄てきれない者だけが、歳を取っても大人しく成らず、その『先』への侵入を試みる。

 そんな『大人しく成れない』者の代表が、大人の顔をして悠然と歩を進めた。





「透け透けは、・・ありませんが」


 若い従業員は答えた。

 黒縁の牛乳瓶底眼鏡を掛け、おかっぱ頭で背が低い、生真面目そうな女性である。

「透け透けのネグリジェが、ない?」

「はい、ございません」

「まさかっ!そんなわけないでしょう?」

「いえ。ネグリジェとは寝間着の一種です。透明度の高い繊維はそぐわないのです。汗を吸収、出来ませんから」

「汗?」

「はい。寝ているとき、人はコップ一杯分の汗をかくといいます」


―― ・・そっちの汗か。

 上になって下になって。

 くんずほぐれつして、色々やって。

 お互い汗だくになりながらの汗、

 じゃない方か。

 

 もしも。

 『色々やって』の方の汗なら・・


 吸収されずに肌にぴっとり張り付く方が

 素敵にいやらしくて

 好ましいくらいなのだが・・ ――


「当店のネグリジェは、上質のコットンを使用してます。保温性、吸湿性に優れ、肌触りも抜群。最高です。・・透けませんけど」

「・・そうか・・透けませんか・・」

 勇者のあまりの落胆ぶりを見て気の毒に思ったのか、女性従業員は言った。

「・・透け透けのネグリジェ。入手可能かどうか、店主に確認致しましょうか?」

「いや!その必要はないですっ!」

 勇者は慌てて断った。アストヘアの耳に入れば、勇者の企ては即時粉砕される。


「・・お客様。女性へのプレゼントをお探しですか?」

「・・はい」

 勇者は未だ『自らを女性と見立て変装し、その麗しき世界を体現する』といった上級スキルを身に付けてない。

「つまり。・・官能的セクシーなものをお探しで?」

「はいっ!魅惑的で扇情的で、着た方も着せた方も盛り上がっちゃう凄いのをっ!」

「・・では、ランジェリーは如何ですか?」

「ランジェリー?・・つまり、スカートの下に穿くやつですか?」

「ええ、その他も色々ございますが・・」


――・・そうだ。そうだった。

 まずはそれだよ、それっ!!


  『パンティ』


 僕とリンちゃんとを結ぶ

 もっとも重要なアイテム。

 全く失念していたぞ!

 なんたる不覚っ!! ――



「店員さんっ!」

「はい?」

「お名前は?」

「え?・・パコと申しますが」

 牛乳瓶底眼鏡の店員さんが答えた。

「パコさん!いやパコ師匠っ!誠に勝手ながら師匠と呼ばせて頂きますよっ!パコ師匠!お陰で目が覚めましたっ!」

「はい?」

「僕が探していたのは、まさしくセクシーなランジェリーなのでありますっ!」

「はあ・・」

「さあ!見せて下さい!じゃんじゃんと!」

「あ、あの。プレゼントされる方のサイズは・・?」

「身長159センチ、B84、W59、H85、カップはDです」

 勇者は頭に刻み込まれた従者のデータを、すらすらと申告する。

「分かりました。では、こちらへ」

 パコ師匠は頷くと、店の奥へとスタスタ進んだ。勇者は急ぎ後を追った。




「こちら。ブラジャーとパンティー、ストッキングのセット。もちろん、ガーターベルトが付属します」

「ガーターベルトっ!」

「こちらは、網タイツのタイプ」

「網タイツっ!」

「この『ホルターネックブラジャー』は、首にかけるストラップがリボンになっているタイプです。背中が大きく開いたドレスを着るときに最適です」

「おお!なんか可愛いっ!」

「こちらは、ベビードール」

「あっ!これ!これですよっ!これっ!スケスケのネグリジェじゃないですかっ!」

「お客様。それは違います。これは視覚的効果を追求したランジェリーの一種。寝心地を追求したネグリジェとは一線を画します」

「よくわからないけど、僕が欲しかったのは、コレっ!」

「ベビードール。ネグリジェとは異なり、保温、吸汗効果は期待できません。ベビードールだけを身に着けて寝ると、最悪、風邪をひきます」

「ほぼ裸、ってことだね」

「裸よりも厄介。裸であればシーツや布団が保温・吸汗機能を発揮しますが、ベビードールはそれを妨げ体を冷やします。あくまでも観賞用、くれぐれもご注意を」

 パコ師匠の言葉に勇者はこくこくと頷く。おそらく『最後はひん剥いちゃってこの身で温めるから心配ご無用っ!』とか思っているのである。阿呆である。


「こちらは『サイドストリングショーツ』。サイドがひも状のパンティです」

「おお、ひもパンっ!」

「こちらが『Tバック』。サイドからバックの布部分が少ないタイプのものです」

「でた!Tバックっ!」

「この辺になりますと、もう下着としての機能は著しく低下しております」

「扇情的効用は本来機能と反比例で!」

「・・はい」



 衣服としての機能を喪失すればするほど、扇情的効用は増加する。・・この説明には、些か誤りがある。


 そもそも人は、なぜ衣服を身に付けたのだろうか?


 地上棲息型動物としては珍奇な程、体毛が極端に少ない。これは、『着衣』により体毛を喪失したため、と考えられている。

 着衣による保温機能及び体温調整機能を獲得し、結果として体毛が不要となった。あらゆる環境下での活動・生存が可能となり、人間種の棲息域は飛躍的に拡大した。『衣服』は、人間種隆盛の礎の一つとなった。

 だから。『衣服』とは『保温機能』こそ、と思われ勝ちだ。しかし、実のところ『保温機能』は『衣服』の機能に過ぎない。本来、『衣服』に求められていた機能は全く別物なのだ。


 そもそも人は、なぜ衣服を身に付けたのだろか?


 初めて人類が衣服を身に付けたとき。その容姿を、思い浮かべてみて欲しい。

 アダムとイブのように。白い肌に布切れのようなものを当てた姿?

 違う。


 体毛は、着衣を始めることで失われた。着衣の初期には、人間は当然ながら体毛に覆われていたのだ。その体毛は他の動物同様、その環境下における保温機能を適切に果たしていたはずだ。つまり、着衣黎明期において『保温機能を得るため着衣を始めた』ということは考えにくい。

 では、『寒冷地へ進出するため、より保温機能を高めるため着衣を始めた』という考えは、どうだろう。残念だが、これもだめだ。

 衣服は永い年月を掛けて徐々に進化していったものであり、寒冷地に対応可能な形状レベルに達するには相当の月日が掛かった。何世代もかけ進出を熱望させる動機付けを『寒冷地』は有さない。食物豊富で暮らしやすい『温帯地』であればまだしも。

 やはり、衣服がより進化した結果、派生的に寒冷地への進出可能となった、と考えるのが順当なのである。

 ならば。

 人は、なぜ衣服を身に付けたのだろか?


 実は。人に限らず一部の霊長類も実践しているらしい。しかし、人は道具、すなわち衣服をもってこれを行った。

 『隠す』、という行為だ。


 


 霊長類の一部は、それに気付いた。

 そして、『隠す』ことで『その力がより一層強くなる』ことを知った。


 そう。のだ。


 その原型は、股間に位置する生殖器を覆う程度の大きさの、植物の葉や蔦、動物の毛皮であったという。

 男性は永らくその形状で事足りたが、女性の衣服は胸をも隠す形状へと進化した。自身の胸部が生殖器同様に『魅せる』機能を有することを認識した為だ。(また、衣服で隠すようになってから、女性の胸はより魅力的な形状を備えるよう進化したと考えられる。)


 つまり。

 『魅せる』ために『隠す』道具として進化した衣服。その最先端に位置するのが『ランジェリー』というわけだ。


 だが、しかし。

 『スケスケ』だの『紐』だのとなっては、もう『隠していない』のではないか?という疑問が生じることだろう。

 違うのだ。どのような形状であれ、一度ひとたびそれが『下着』と認識された時点で、それは『生殖器を隠すもの』と脳内で固定化される。

 そしてその『生殖器を隠すもの』が『隠す機能を一部喪失している』という状態は、見える可能性を想起させるが故、見たいという欲求を猛烈に高めることになる。

 『偶然』に一部喪失と遭遇した際には『ラッキー!』となろうが(風で煽られたスカートを想像して欲しい)、もしもそれがと知ったなら。野獣的な欲求の高まりを抑えることは不可能に近い。作為的な意匠が、圧倒的な吸引力を生むのだ。

 『ランジェリー』は。男性が特に視覚機能を用いて認知を得ているという生態を巧みに利用した、実に見事な道具といえる。



 だが。ここで新たな疑問が生じる。

 そんな人類の最高傑作といっても過言ではない『ランジェリー』を、なぜ子供たちに隠すのだろうか?

 それを用いて魅力的で能力の高そうな異性を惹き付け、見事、性交へと導き誕生した結晶が子供であるというならば、『ランジェリー』の功績は非常に高いはずだ。その子はその『ランジェリー』を生涯のお守りとし、肌身離さず暮らしてもいいくらいじゃないか?

 でも、隠す。

 おくびにも出さない。

 

 つまり。

 ・・後ろめたいから、だ。


 子供の誕生は素晴らしいことだ。性交に於ける最高の成果であることは間違いない。

 しかし。

 人は。子供を得るためにのみ、性交している訳ではない。

 いや、もっと云えば・・

 子の誕生は神聖なる『結果』ではあるが、人が性交に対し直截に求めるのは『性交そのもの』なのである。

 

 授かった子供は、なによりの宝だ。

 何一つ欠けることのない世界を用意してあげたい。因果を整え、『貴方の誕生の為だけに、父母は睦み合い結ばれた』という物語こそが相応しい。それ以外に他意はない、あってはならない。

 ・・だが。

 性交という行為それ自体が、快楽、歓喜、愛情、受容を体現する至高の行為なのだ。それは、まさに『生』そのもの。

 性交の主体である我々自身にとっては、性交そのものが本来であり、生殖は派生的結果であるとも云える。それをどこかで認めざるを得ないがゆえに、行為の結果と目される存在を前にして、動揺する。

 『ランジェリー』という、人類最高傑作の道具により求めるものは、子供ではなく。性交、それ自体なのだ。


 ・・だから、隠蔽する。


 でも。隠されると・・

 

 

 パコ師匠は淡々と説明をしながら、しかしどこか楽しそうに、官能的セクシーなランジェリーをいくつもいくつも並べていく。

 それにしても、パンティの多様性が凄い。

 褌状のもの。

 紐のみで構成された巧みなもの。

 大切な部分がぱっくり開くもの。

 流石は『オーラル』の老舗店だけある。普通の町の店では、こうはいかないはずだ。


「これは、迷いますね」

「何点ほど、お考えでしょう?」

「うーん。女性的には幾つくらい、欲しいもねでしょうか?」

「可愛いランジェリーは幾つあっても嬉しいものです。しかし、男性からのプレゼントであれば。・・あまり沢山だと正直引いてしまうかも。・・多くてせいぜい、2点か3点」

「了解です師匠。では、白系、赤系、黒系をそれぞれ1セットずつ、合計3セットでいきましょう」

「悪くないチョイスです」

「白は可愛い系で、赤はちょっといやらしい系、黒はドエライ系かな?」

「・・お言葉ですが。私ならむしろ、赤と黒を可愛い系、白をドエライ系にします。・・意外性は、女性の抵抗感を少し下げる効用があるかも・・」

「師匠っ!さすが!!是非それでっ!!」



 会計を済ませた勇者が従者の元へ向かおうと踵を返したそのとき。売場の奥へ、視線がぐいっと引っ張り込まれた。

 何事かと目を凝らす勇者。ただならぬ妖艶オーラが立ち上っている。

 売場の奥。

 他とはちょっと違う雰囲気を醸し出す、見慣れない服たち。年代物であろうドレス、異国の礼服。いわゆる古美術衣装アンティークと呼ばれるものだろう。

 だが。妖艶オーラを放つそれは、古美術衣装アンティークとも異なるように思われた。


 見たこともない形状。

 しかし。

 世の始めからあったような、完璧な形状。


 潔癖なくらいに清廉で。

 しかし。

 狂おしいほどの妖しさを秘めるような。



「ぱ、パコ師匠っ・・あ、あれは?」

(つづく)

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