第6話 鑑賞

 敵を欺くには、まず味方から。

 ここでの『敵』が何を示すかは不明だが、勇者は従者に隠し事がある。

 深慮遠謀、ということにしておこうか。


 勇者はスキルを発した。『気配遮断』。姿を消すことはできないが、闇に紛れてしまえば、簡単には見つからない。

 スキルというものは、使えば使うほどに磨きが掛かる。勇者の『気配遮断』は、かなり高精度なものとなっている。・・常習犯だし。

 気配を完全に消し去り、音も臭いも発しない。そんな熟練のスキルを勇者が身に付けていることなど、従者はまるで知りもせず。隠し事だから。

 つまり。この時点で、策は成っている。


 音もなく『枝葉の円陣ハガクレのじん』に近づく。円陣の周りには、分厚く落ち葉が敷き詰めてあった。不審者ゆうしゃの接近を知らせる探知機センサーといったところか。しかし、勇者ふしんしゃスキル探知機センサーを容易く無効化した。

 娘は耳をそばたてながら、盥に身を置き黒髪を流しているところだ。しかし、探知機センサーは作動しない。だから、安心してしまう。音がしない限り、異変はないと信じ込んでしまう。


 光が、射した。

 雲が途切れ、月が顔を出したのだ。

 暗闇で。優しく光り浮かぶその姿。

 雲の衣を脱ぎ去りて、白き肌をば露にし。

 太陽の目を盗み、無防備に安らぐ。

 まさに、女神のごとき麗しさ。


 その月よりも、白く。

 艶やかな肌は濡れ光り。

 張り付く黒髪、掻き上げて。

 盥に浮かぶ、沐浴せし女神。


 勇者は『枝葉の円陣ハガクレのじん』に取り付く。遠目からは一分の隙もなくみえる障壁だが、顔を近づければ所詮は枝葉。よく、見える。むしろその枝と葉は、より扇情的な演出を施してさえいた。

 隙間から垣間観える、無防備な女神の姿。世界と世界がいびつに接合しているためか。一方方向で通ずるこの接合法は、観える世界フレーム幻想的ファンタジックな味付けが加えられていた。

 手が届きそうだが手が届いてはならない。しかし、妄念だけはダイレクトに伝わってしまいそうな。

 そんないびつな甘美を魅せる世界フレーム


 いや。従者の世界は、あくまでも平穏無事なのだ。従者の意識が存する世界では、聖樹の元で月の下、静寂のなか身を清めているに過ぎない。そこに不埒な行い等有りはせぬ。


 ・・勇者は立ち位置を変えながら、従者の姿を堪能していく。


 髪を、洗い終えたのか。娘は器用に黒髪を巻き上げた。白い指が濡れた黒髪と戯れる。勇者はその背後で目を見張る。美しいうなじが覗く。白い背中はつるつると滑らかで。その下にはまろやかなお尻。柔らかそうに、弾力の有りそうな。思わず噛みつきたくなるような。かぶり付き舐め回し。溢れる汁を吸い採りたい。

 勇者の妄念が通じたものか、娘は盥の中で膝立ちする。美しい円みが全貌を現す。月明かりが煌々と照らす。まるで剥き卵のように光る。

 娘は体を洗い始めた。勇者は急いでその正面へ回った。

 たわわな実が二つ。登頂の可愛らしい突起すらが良く見える。・・何度観ても、嘆息を禁じえぬ美しさ。

 先程のまろやかなるものにも、劣ることなきまろやかさ。

 加えて。この可憐さといったら、ない。

 生命の有せし『可愛らしさ』を全て合わせて濃縮したような造形ではあるまいか。

 だが。

 その『可愛らしさ』には、得も謂われぬ『妖艶さ』が滲み出ている。

 しっとりふうわりと、ぷるんとたわわに。

 容易に染まりそうな白さと、どこまでも食い込みそうな柔らかさ。

 暴虐を呼び覚まさんと云わんばかりの形状ながら、ぎゅっと摘ままれるのを恐れて身を竦めているような、甘い突起。


 affordance(アフォーダンス)という言葉がある。『環境が動物の行動を決定する』、といった意味合いだと思う。

 草原の中央に小高い丘があるとする。『その丘に登ると眺望が効く』といった認識を持つまでもなく、ひとは、つい何気なく、その丘に登ってしまう。丘に登ることの有意性を認識するか否かに関わらず、丘が人を登らせてしまう。これが、アフォーダンスだ。

 つまり。女性の胸は、否応なく男の行動を規定する。男を、アフォードする。それは女神の象徴として男を虜にし、かつ、男の欲情を駆り立てるトリガーとなる。

 だから。女性は男から崇められつつ、暴風雨のような愛欲に見舞われることになる・・


 生命史上、おそらく最も可憐な形状を与えられ、かつ、最も効果的に蹂躙されやすい場所を占めるに至った、胸。

 アフォーダンスが生命の進化に相関するのであれば、女性の胸の意味は大きい。


 無駄話をした。

 勇者は、それどころではない。


 喰い入るように、今にも枝葉を振り払って突入せんばかりに、娘の胸を凝視している。

 覗き見の『醍醐味』と『もどかしさ』に、勇者は翻弄されている。

 つまり、覗き見という擬似的空間が作り出した量子力学世界を堪能しているというわけか。覗き見が成立するためには、観察者は対象に触れることができない。覗き観られていることを知らぬがゆえに、無防備な姿が曝される。観察結果は確率に左右される。

 いや。量子力学世界で考えれば、覗き見が成立した時点で世界は変容していると考えるべきか。意識の有無に関わらず、覗き見という環境が成立したことにより、その身体が変容されてしまうのだ。相互に。観る側も、観られる側も。・・おそらく、アフォードされている。



 月光が、少し陰った。

 薄暗闇にぼうっと光り浮かぶ、裸体。

 眼を、凝らす。

 光が。また射して。

 

 その秘地を、照らした。


 惹き付けては、離さない。

 魅惑の茂み。もっとも、茂みの奥は見えはしない。胸の造形美に比べれば、どうということもない足の付け根に過ぎぬはず。だが。

 むしろそこは『見えぬが故の魅惑』に溢れていた。漆黒なる茂みの奥に息づく神秘が、隠れながらも、隠れるがゆえに男を魅せる。吸引してからる。奥へと、その深淵へといざなう。造形の美を越えた、根源的な何か。

 ・・一体、どこへ誘うのか。


 娘は石鹸を泡立たせ、丁寧に体を泡で満たしていく。指が、艶やかな肌を滑っていく。豊かな胸や魅惑の股間が白い泡に彩られ。

 チラリと覗く胸の突起や泡にまみれた漆黒なる茂みが、得も謂われぬ官能美エロスを誘う。

 『隠れたものは暴きたくなる』『暴いたものはより美しい』。何故その様にインプットされているのかは謎だ。しかし、チラリズムがまた官能美エロスの真髄を担うことは確かだ。



―― 必ずや。

 組伏せ暴き。舐め尽くしてみせよう ――



 勇者は、静かな決意に燃えている。

 ・・なるほど。ひとの道徳で測れば、この男は不届きだ。だが、生命の尺度に則れば、実に素直で真っ直ぐなのかも知れぬ。


 ・・はてさて、生命は。一体、我々に何をさせようとしているのか。未だ皆目見当もつかぬが、単に『生めよ殖やせよ』と云っているわけではなさそうだ。


 勇者の妄念を辿るなら。あのまろやかなる双丘に顔埋め、登頂に揺れる苺の実をなぶろうか。優しく強く捻り上げ、甘噛みしながら味わうか。房に指立て揉みしだき、愛しき娘のかんばせを汗と涙で濡らそうか。揉めば揉むほど柔らいで、苦悩と歓喜の汁溢れ、甘い香りが立ち籠めよう。茂みの頭角探り当て、優しく舐めてこすろうか。汁と汁とで交じり合い、ぬめりのなかで絡まりて。深淵至る洞穴の、我が身を溶かし呑み込まれん。ずりずり揺さぶり肉を打ち、摩擦の熱で燃え上がる。

 さすれば。天地は合一にして煩悩と菩提は通じ合おう。前門なるは胎蔵界、後門たるは金剛界。ならば最奥の、絞りの花すらじ開けて、蛇なる舌で舐め抜けば、得たる叡知は真理の鍵か。

 気怠けだる微睡まどろみ身を委ね、久遠の響きに溶けゆこう。



 



 曇りなき眼で見据えるならば。生殖は、目的でなく手段か。機会を増やすための手段。ならば、目的は?


 はてさて。生命よ。一体、我々に何をさせようと企むのか。





 食後のお茶を、勇者は従者に手渡した。

 ぱちぱちと焚き火がぜる。

「わあ、ありがとうございますっ」

 いつものことを、初めてのように喜べるのは至上の智慧だ。

 その喜びを、余さず表現できるのは慈雨の徳だ。

 従者は両手で抱えるようにしながら、マグカップにふうふう息を掛けた。焚き火に照らされたそのかんばせは、可愛らしく火照って少し眠そうだ。

 幼い娘のような表情と、先程の。そのギャップがまた勇者をたぎらせる。


 勇者は大きく伸びをして、ご丁寧に欠伸あくびまでかいてみせた。


「リンちゃん、ごめんね。僕、先に休ませてもらうよ。火はそのままでいいから」

「あ、はいっ。今日もありがとうございました。お休みなさいっ!」

「こちらこそ。おやすみ、よい夢を」

 勇者は眠そうな顔をしてみせ、自分のテントへと潜り込んだ。もちろん、偽計だ。先に寝たと思えば、警戒は解かれる。

 

 暫くすると。微かな音が聞こえてきた。従者の寝支度だろう。寝袋を整え歯を磨き、周囲を見渡し片付けて。『寝ている』勇者に気遣って、なるべく音を立てないように。

 そして。

 従者は動いた。

 勇者は急ぎスキルを発しテントを出る。


 見たいものだけ、見る。

 それも世界の作り方であろう。

 しかし。

 有りとあらゆるものを我が物とし。

 可能な限り、ぴったりと合わさりたい。

 自己の物差しはへし折って、混じり逢って美醜ともども受け入れたい。

 初めに光ありと謂うならば、生きることは観ることだ。


 全てを、観る。

 合一する。

 それが、愛だ。


 もっとも、娘は見せようとしない。だから勇者は覗く。

 しかし。そうなのだ。

 存在の有り様からするならば、見たいと思う方が自然なのだ。

 隠そうとする方が、技巧的ではないか。

 そう。

 我らは、



 従者は再び『枝葉の円陣ハガクレのじん』に入る。むろん、そこに『黄金の盥ゴールデン・バス』は既に無く。

 沐浴、ではなく。


 従者はガウンの裾をたくし上げ、しゃがんだ。勇者はその正面の生け垣に顔を突っ込む。既に寝入ったものと信じているのか、警戒している様子も見えず。


 先程より、月が明るい。


 面白いことだが、開けた場所の中央では、致そうとはしないものだ。端に寄り、生け垣向けて致すもの。無防備となる姿を捕食者から隠してきた名残か。娘も、そうした。


 結構近い。なんなら飛沫すら掛かりそう。むろん、尻込みする勇者ではない。


 茂みの下。先程とは違い、見える。体勢の違いによるためか。

 鼓動の高鳴りが聞こえてしまわぬかと、柄でもなくドキドキする勇者。


 キラリと光り。

 清涼なる、音。


 ごく自然な欲求を自然なままに解放しただけの姿。

 そこに。意味などあるのだろうか。


 アーチ状の水流が、月光に照らされ輝く。

 まるで、夢の中の架け橋のように。

 姿は、清廉にして可憐。


 事が終わると紙で丁寧に拭きとり、すっと立ち上がった。なんでもなかったように。

 勇者は動けない。その美に侵食されたように、体が痺れて動けない。息をすることすら忘れていたらしい。従者が去ってから、肩で息をした。


 今は。その美を堪能するに精一杯だろう。

 やがて、合一するには。

 混じり逢って、受け留め合って。

 ・・ともに。



―― 仮令たとい七難八苦を受けようも

 我、必ずや。

 その時を、得ん――


 勇者は。

 月を見据え膝を折り、誓った。

(つづく)

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