第38話 共闘
森は、不穏な静けさに包まれていた。
勇者は静けさの原因を知っている。故に、対処可能な不穏である。なるべく音を立てずに
やがて、森のなかを流れる小川にぶつかった。『気配遮断』の
木洩れ日を浴び、金色に染まる
そよ風に揺れて、囁き合う。
鳥の声も消えた午後の森は、神秘のベールを纏うかのようだった。
勇者は
その音だけが、森を渡る。
突如。
空気が変わった。
はっと顔を上げると五十メートル程前方、樹々の間から『
荷物を手に岩を飛ぶ。全力で走る。後ろからガシャガシャと骨をぶつける音が盛大に響く。姿を見られた状態では『気配遮断』は効果がない。逃げるしかない。樹々の間に見えたスケルトンは、三十体を越えていた。
捕捉されたなら。抵抗する間もなく、ばらばらにされてしまうだろう。
このまま進むと火龍の寝床にぶつかってしまう。しかし、スケルトンの一行を引き連れ走る今、道を探す余裕がない。まずい。
―― ・・いや。
天佑かも・・。
毒を以て、毒を制す ――
ガシャガシャいう音が近い。やつらはこの上なく身軽だ。このままでは追い付かれる。そう思うと同時に場が開けた。眼前には褐色の巨体。
走りながら右手の槍を構える。昨晩、level アップで獲得した技『投槍』を発動。右腕がゴムのように
ガズンッ
・・グガァゴォォォォォォンッッ!!!
火龍が雄叫びを発して起き上がる。槍は
火龍の眼前、空に身を投げて飛ぶ。
間一髪、火龍の
勇者のすぐ後ろを走っていた
安眠を妨げられた火龍は、怒り狂っているようだ。地を揺るがす怒号を上げながら、太い尾で周囲の樹々を薙ぎ倒し、首を回しては炎を吐き散らした。勇者もスケルトンらも、慌てて
ボシュンッ!
ボシュンッ!
オレンジ色の巨大な火の玉が、逃げようとしたスケルトンの背を撃ち抜いていく。高温の炎に包まれたスケルトンは灰の砂と崩れ去った。『
―― まずい。
逃げようとする者を狙っている。
・・皆殺しにするつもりだ ――
勇者の予想を遥かに越えて、火龍は怒り狂っていた。瞼を攻撃されたのが余程癪に障ったらしい。そんなに怒らなくても、と思ったところで後の祭りだ。『後門の
スケルトンらも逃げ切れないと悟ったらしく、槍や剣を火龍に向けた。しかし、怖いのだろう、皆腰が引けている。
『
対するは四十数体の『
火龍の圧倒的優勢は、揺らがない。
火龍が太い尾を振り回してスケルトンらを薙ぎ倒す。スケルトンは、いとも簡単にバラバラになる。・・そして、カタカタ音を立て元通りに組直った。
それを見た火龍は苛立つように火を吐きながら、また太い尾を振り回す。弾き飛ばされたスケルトンらはバラバラになり、そしてまた組上がる。
―― ・・・そうか!・・これだっ! ――
「おい!お前ら!火を避けて走れ!走りながら、火龍の逆鱗と目玉を狙えっ!」
勇者は自ら走りつつ、スケルトン達に向かって叫んだ。スケルトンらは、目玉のない目で勇者を見た。勇者は自分の喉と目を叩き、火龍を指さしながら叫んだ。
「喉の下の逆鱗と目!走りながら狙え!」
すると勇者の前方、兜の額に黒い羽根を付けた大柄なスケルトンが、かくんと頷いた。
黒羽根兜のスケルトンは、周囲を見回し剣を高く掲げると「ぐぎゃちゃぎゃちゃ、ぎちゃちゃぎぎぎっ」と大声で叫んだ。
声に呼応するように、周囲のスケルトンらも「ぎいっ!」と高らかに叫ぶ。
それが合図だったのだろうか、彼らは一斉に走り出した。走りながら三隊に分かれて陣を展開する。統率のとれた見事な動きだ。
整然と動き出した
吹き飛ばされた前衛の骸骨戦士は、バラバラになったと思うと直ぐに組み上がり、落ちた槍を拾っては火龍に挑み掛かっていく。後衛の弓隊は、火龍の顔と首元を狙って
だが、要するに。頭さえ攻撃されなければ
ウゴゴオオオォォォォォォーンッ!!
撥ね飛ばしバラバラにしても、すぐに組直って殺到する
火龍は一体の
猛火を浴びた
―― しまった、気づかれた ――
火龍は戦い方を変えた。むやみに腕や尾を振り回すのではなく、一体ずつ
前衛の槍隊は、みるみる数を減じた。
「だめだ!走れっ!捕まるなっ!固まらずに分散し、弱点を狙いながら走れ!」
勇者は、指揮官であろう黒羽根兜に向かって叫んだ。前衛のなかで指揮をしていた羽根兜はこくりと頷くと甲高い声を張り上げた。
その声と共に前衛の
だが。火龍は冷静さを取り戻したらしい。前衛の槍隊が陽動であることを見抜き、これを相手にすることなく背に取り付く遊撃隊を潰し始めた。一体一体掴み取り、丁寧に頭を焼いていく。
それを見た槍隊は即座に陽動を止め、槍を火龍に投げ込むと抜刀した。
午後の陽光に剣が煌めく。恐れを振り払うかのように剣を高く掲げ、我先にと火龍に向かって走っていく。
勇者は弓隊の斉射を避けつつ、転がる槍を拾っては火龍の逆鱗と眼球を狙って『投槍』を繰り出す。火龍は
そして頬を膨らますと、
遊撃隊と槍隊の多くが灰塵に帰すと、後衛の弓隊が抜刀し前に出た。それぞれが何かを叫びながら、火龍目掛けて駆けてゆく。
火龍の吐く炎が風雨を呼び寄せたようだ。
森に開かれた闘場は、大粒の雨で飛沫を上げた。火龍は顎から雨を滴らしながら、周囲を
うおおああぁぁぁぁぁぁっっ・・・!!
勇者の雄叫び。
重なり共鳴し、
勇者は満身創痍。
対する火龍は無傷である。
・・だが。勇者にも骸骨戦士らにも諦念の
響く。
共闘している。
勇者は黒羽根兜に叫んだ。
「まだだ!走れ!掴まるな!的を絞らさせないように走れ!火を、吐かせろっ!」
ハッと何かに気づいたように、黒羽根兜は顔を上げた。洞窟のような眼窩でも、今の勇者にはその意思が読み取れた。死地に活路を見出だそうとする者達の
グゴゴォォ、ゴギィィッッ!
骸骨戦士は馳せた。勇者も疾走した。限界なんてとっくに越えている。むしろ火龍の存在が、彼らを世界に留めているのだ。
走る勇者らを追うように、火龍は
樹々を瞬時に炭化させる猛火が二体の骸骨戦士を呑み込んだ。炎で雨粒が蒸発し、もうもうと白い煙が上がる。雨に濡れる戦鬼たちの身体からも湯気が上がった。
一体の骸骨戦士が火龍の顎に捕まり頭からばりばりと喰われた。近くにいた骸骨戦士が火龍の頭に飛び付き剣で眼球を狙う。火龍はすぐさま炎を吐き出しその猛者を粉砕した。
勇者は叫ぶ。
「諦めるな!もう少しだっ!」
残るは勇者と、黒羽根兜ともう一体。
火龍は嘲笑うかのように眼を細めると、大口を開いて炎を噴き出そうとした。
・・が。
火龍の口からは、息が漏れるだけだ。
―― 来たぁっ!!――
勇者は、眼を見開き戸惑う火龍を指差し、黒羽根兜らに叫ぶ。
「コイツはもう、火を吐けない!恐れるな!よじ登って目玉を逆鱗を、抉り抜けっ!」
勇者の言葉に骸骨戦士らが応と叫ぶ。
火龍は体内に『
メタンガスは膨大な量が蓄積されているらしいが、王水には限りがある。成体の火龍でも、一時間も吐き続ければ王水は枯渇する。
―― そう。
『
雨が、止んだ。
強風が雲を散らす。
雲の切れ間から紅の太陽が見えた。
辺りに、朱色の光が落ちた。
妖しいまでの美しさが、充ちた。
勇者と
勇者は両手にナイフを構えた。矢も槍も、折れて焼かれて既に無い。
火龍は、巨大な顎から唾液を滴らせて勇者を睨む。途轍もない威圧感だが、不思議と勇者は落ち着いていた。・・多くの者達が齧られ灰となり消えていった。挑み掛かっては、容易く命の灯火を吹き消されていった。
・・生命は、無駄とも思えるような死を、幾つも幾つも積み重ねていく。分厚く重なった骸を苗床として、新たな何かを誕生させんと目論むように。それこそが、大いなる営みの要諦であると謂わんばかりに・・
勇者は、『そろそろ自分の番だろう』と感じていた。生きることを諦めているわけでは決してない。ただ、現象としての死を淡々と受け止めていた。生と死は実に身近だ。生きるために死へ飛び込もうとしていることに、なんらの疑問も違和感も無かった。
火龍は、動揺していた。ここに至り、いつもとは勝手が違うことに気付いた。腹癒せに嬲り喰らおうと思っていた輩が、一心不乱に刃向かってくる。まるで、自分を追い詰めているかのように。
勇者の瞳からは星霜を貫くような光が直走り、骸骨戦士の眼窩からは無窮の宙を思わせる闇が見えた。
火龍は、恐怖した。
勇者がずいっと前に出る。
火龍は上体を後ろに反らす。
左右の骸骨戦士が同時に飛び掛かり、火龍の身体にしがみつく。
火龍は叫び声を上げて体を振り、地に落ちた骸骨戦士を頭から呑み込む。火龍が頭を下げたところに黒羽根兜が飛び乗る。鼻面に馬乗りになって剣で眼を狙う。勇者は下からナイフで逆鱗を襲う。火龍は自分の頭を勇者目掛けて振り落とした。横に飛び、巨大な頭をすんでのところで避ける。大地に突撃した火龍の岩頭で土飛沫が上がる。衝撃で黒羽根兜がすっ飛ぶ。その頭から兜が脱げて転がる。そこに火龍の前肢が振り落とされた。
ズガッッッ!
黒羽根兜の頭に火龍の爪が掠める。ピキピキと
黒羽根兜はすぐ立ち上がった。
兜を拾い上げて被り直すと、勇者の手を取りガッシッと握った。
黒羽根兜は、剣をゆっくりと持ち上げる。
その剣で、すっと火龍を指した。
背負う決意を、見せつけるように。
そして勇者の顔を見詰め、頷いた。
勇者も、頷く。
言葉など無用だ。
繋がっている。
黒羽根兜は突如走り出す。剣を上段に掲げ火龍の顔面に斬り掛かった。
火龍は牙でこれを受ける。巌のような顎で黒羽根兜の斬撃を弾くと、その脇腹に食らいついた。そのまま黒羽根兜を横にして咥え、口をモゴモゴさせながら高く掲げた。まるで魚を呑み込もうとする鷺のように。咥えた黒羽根兜をするすると器用に口の中へ運ぶ。黒羽根兜の下半身が呑まれる。
勇者は焦る。先程の混乱の中で、二本のナイフは何処かに失せた。焼けた地面には、槍はおろか矢も落ちていない。
黒羽根兜が呑まれていく。火龍に腹まで齧られながら、体を捻りつつ果敢にその鼻面を剣で叩いているが、もはや時間の問題だ。
―― ・・っ!
あれが、あるっ !――
急ぎ背負袋から引き出す。
『呪いの剣』。
鞘を、ぞろりと払う。
ぶじゅうぅぅぅ・・・・・
赤黒い瘴気が辺りを覆う。剣の柄から数百もの蛭のような触手がうねうねと湧き出し、握る掌に食い込み肉を破って潜っていく。
焼き爛れ。
凍えひび割れるような。
猛烈な痛みと苦しみ、嘆きと哀しみ。辛くて苦しくて悔しくて
勇者は走りながら、念じる。
―― 構わない
呪え
呪い賜え
我を
その力を授け賜え ――
勇者の右半身が、ぴきぴきと音を立てて金属みたいに硬く冷たくなっていく。
同時に
黒羽根兜は、もう胸まで火龍に呑み込まれていた。
黒羽根兜は首を回して勇者を見た。
そして、握る剣を手放した。
剣は音を立てて地に落ちた。
黒羽根兜は、空いた手を勇者に向けてぐっと付き出した。
勇者は理解している。
頷くと、血の通う左手で黒羽根兜の手を強く握り締めた。
繋いだ手と手を中心点にして、勇者は弧を描いて飛んだ。黒羽根兜が渾身の力で勇者を引き上げ投げ飛ばした。
勇者を火龍の頭上に翔ばして、黒羽根兜は火龍の口の中へ消えていった。被っていた兜だけが、ごろんと地面に転げ落ちた。
全てがスローモーションのように見えた。
黒羽根兜の最後を見届けながら、勇者は火龍の首に取り付いた。
渦巻く怒りや哀しみが、自身から生じたものなのか、剣由来のものであるのか分からなかった。分けることなく、渾然一体と荒ぶるものに全てを委ねた。冷たい鋼の刃となり暖かな血潮を求め蠢く。うねうねとのたくりながら、柔らかな温もりに包まれることだけを願って、ぷちぷちと甘い肉を喰い破る。
――うぐわぁああぁんんんっ・・・!!!!
絶叫。
鼓膜を破るような叫びにも構わずに、暖を求めて地中に潜る蛇みたいに、逆鱗の隙間に腕を体を懸命に捩じ込んでいく。さむいさむいはやくはやく。
やがて。
熱い血潮が温泉のように噴き出してきた。
・・あたたかい。
柔らかな温もりに包まれて、蠢くものたちがほろほろと
物凄い絶叫と。
体内から発する歓喜の
勇者はゆっくりと、沈んでゆく。
薄ぼんやりとした明かりを背中に感じながら、ずぶずぶと闇へと沈んでゆく。
―― あいつ。
目玉も無いくせして。
いい顔して、笑ってたな・・・ ――
そんなことを思いながら。
勇者は深い深い闇底へと。
ゆっくりずぶずぶと、沈んでいった。
(つづく)
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