真・握りたい勇者と渡さぬ従者
呪文堂
第1話 序
この世の存在たるや。
甚だ覚束無きもの。
生命に至っては、尚更のこと。
維持と増殖の機能を有せしものを、或いは生命なりと定めたとする。
ならば。この物語に内在せし『想い』は、生命足り得るか。
文字という、幾千幾万の伝達粒子で構成され、触れて思考を感情を、変容させ拡張させ伝えゆくモノ。外界より圧を受け、新陳代謝を余儀なくされ、また外界の変化に応じて活動域を模索していく。
自身の維持に汲々としながら、外界の知覚神経に潜り込み、その脳髄を介して増殖させしモノ。
ならば。想いは、生命足り得るか。
そんな妄念を遊べるほどに、生命とは実に不可解不可思議だ。
よし。生命のなんたるかが、一向に覚束無いことは了解した。
しかし、自らが生命たると自認する以上、生命の『あるべき姿』を解明したいと奮起するのは自然の理であろう。
蕎麦屋は、自らが蕎麦屋と知るために蕎麦を打ち蕎麦を客に食わせる。八百屋は八百屋と知るために野菜だの果物だのを仕入れては客に売り付けるのだ。
自らのあるべき姿を解明できねば、自らが何をすべき者かも解らず甚だ不都合だろう。
不都合を不都合のままに放って置き、涼しく笑うのも風流だ。しかし。
この物語は、そんな風流を解さずに、ただひたぶるに、知りたい知りたいと求める心の発露だと、ご承知おき頂けたなら幸いだ。
◇
さて、ここに。鬱々たる森が広がるものとご想像願いたい。この森は『ゾルドの森』と呼ばれ、それはそれは恐ろしげな妖魔怪物が跋扈する。土地の者は、決して安易には近寄らず。恐れ忌み嫌われた森である。
そんな森を。うら若き女性が過ぎ行く。
その後ろ、荷を担ぐ若者が一人付き歩く。
その後に続く者は、いない。
つまりこの一行。若き女性と男の二人だけで構成される。この森を進むには、人数が少なすぎる。
・・さてはこの二人、余程の武芸達者か?
すたすたと歩く娘。
眉をきりりと逆立てて、形よい口をきゅっと一文字に結び、挑むような目付きで前へ前へと進むその表情。なかなかに勇ましい。
だが、くるりと
時折、木々にぶら下がる指先ほどの毛虫にきゃあと声を上げ
その後を歩く青年は。
粗末な服に色褪せたズボン。腰のベルトに武骨な棍棒を挟み込んではいるものの、その二の腕も胴回りも、華奢とは言わぬが猛者とも見えない。荷を担ぐ使用人のような格好と風格だ。
ならば、お忍びの姫君とその召し使いか?
否。お忍びにしてもこの剣呑な森に、荷担ぎひとりを伴とする姫君などいない。更にこの若者、姫君の使用人には到底見えぬ。
若者。先程より鼻腔を広げてにやにやしては、姫君の叱責を受け続けている。
黒一色で生地の粗い、身体の線を隠す様にだぼついたその服は、まるで修道女か隠者のコスチュームのようだ。
・・しかし。
黒い生地から覗く首元、しなやかな指先。白く光るそれらは、却って
そんな色香を備えつつ、凛然とした気位と清涼なる佇まい、それがこの娘を貴くみせる。
そして若者は、前方より飛来する、むせ返るような甘い色香に
もはや無我の境地に、ただ
吸い込むものは香りか、違う。
匂いを宿す物質が、女体より分離独立して空を飛ぶ。いや。女体が空を飛び、分離独立したものが道を歩むのか。
・・どちらにせよ、空を飛ぶものは女体の一部で女体そのものだ。
その
そう。吸われる先は、
空を舞い遊ぶ女体をかき集めるように吸い込み吸い込み。惚けた穴はやがて女体で満ち満ちる。もはや穴は、女体そのもの。もとより穴は穴でしかない。満ちてはじめてそれは現れる。だが。在るのはただ女体の集まり。もはや、穴などどこにも有りはせず・・
畢竟。
満ちせし境地は
だが。満ちた香りはどこかに消えて。
だからまた、飽きもせずに鼻腔は膨らむ。
そのうち
彼は、香りを求めて奮起する。
一度消えた穴は彼をして再び女体を吸う。
彼の世界で彼は
縛られる。穴ばかりとなる。
・・幾度も、繰り返される。
―― ああ、たまらない。
甘いミルクのような。
ユリの花のような。
いい香りだなあ ――
若者は繰り返し鼻を広げる。
ふいに娘が振り向く。黒髪を押さえる赤いカチューシャが、陽を浴びて光る。森は少し開けて空が見えた。
「・・変態!」
娘は若者をキッと
若者は感心したような顔つきで娘を見た。
―― どうして分かるんだろ?
もしや自分の香りにも、意識が乗っかっているのだろうか? ――
――だとしたらリンちゃん。いま僕に吸い込まれるのを、察知した? ――
娘の名こそが、リン。リン・アルテミアネス・リンレイ。若者は尊崇と慈しみを込めて『リンちゃん』と呼ぶ。その尊崇と慈しみが娘に届いているかどうかは、知らない。
若者は娘を感心したような顔つきで見つめながら、鼻腔を広げて思考する。
―― 香りも、リンちゃんの一部。
僕に吸い込まれていくリンちゃんの一部。
・・おお、これは淫靡な発想だ。
吸い込まれ、僕の体内に幽閉されてしまうリンちゃんの一部。
吸えば吸う程、僕の体内にリンちゃんが取り込まれ幽閉されるのだ。
・・まるで物のように仕舞われて。
動くこともままならず。
僕のなかに監禁されて。
息を殺してただ耳ばかり澄ませて。
・・いい。
この想像は、いい・・! ――
「もうやめてよ!ばかっ!」
娘が赤い顔をして叫んだ。なんだか心なしか、瞳も潤んでいるようだ。
―― おいおい!色っぽすぎるよ!
だめでしょ!
今の僕にそんな表情を見せてはっ!
瞳を潤ませ、頬を染めて。
やめてと哀願するリンちゃん。
・・僕の体内に幽閉されるリンちゃん。
囚われて。身悶えて。ああ・・
ま、まずい。
もう、まずいって。
突っ張ってしまって、
もう、歩けないっ!――
恍惚と苦悶の狭間。
若者は今、存在と存在の
これを。娘は知ってか知らずか冷たい眼光で一瞥し、つんと鼻を上げて先へ進む。
若者は、そんな態度にむしろ悦びを感じて体を曲げながら、すうはあと、盛大に音を立てて吸引する。
ばっと体の向きごと変えて、腰に手を当て若者を見据える娘。
これは彼女の『怒ったぞ』のポーズだ。
『堪忍袋の緒が切れました、もはや許しは致しません』との体現である。
彼女リンちゃんは、兎に角気遣いが細やかだ。つまり優しい。裏返せば小心だ。突然に怒ったりはせず、これから怒りますよーっ!と体を用いて表明する。弾を撃つからちゃんと避けてね?というわけだ。もっとも『わたし怒るんだから、そのおつもりで!』との宣言でもあるから、まあ甘えん坊でもある。
若者は先刻承知である。むしろリンちゃんが撃った弾を全弾胸でしかと受け止めたい、そして悪かったと囁きながら、その体をがっつりと抱き締めたい・・
そんな夢想をふわふわ広げている。でも、ボールを追う犬のような顔をして鼻腔を広げすうはあいってるんだから、おそらく娘は応じない。
「いい加減にして!・・あなた、仮にも勇者なんでしょう?もうちょっと、真面目にできないのですか?」
その
若者はうっとりした顔つきで、じいと娘を見つめる。やがてはっとした顔つきで、頭を掻きながら言葉を発す。意味など、後から付いてくるものだ。
「いかにも。いかにも僕は勇者です」
おどけたように言う若者、いや勇者は、言葉を切ると一度顔を地面に向けた。
そして。再び上げられたその顔の、太い眉の下で光る黒々とした瞳には、突き上げるような強い力が込められていた。
揺るぎなく真っ直ぐ進む光が宿っていた。
それでいて、包み込むような優しい色を帯びていた。娘は、射抜かれた。
娘は、怯んだように少し身を反らす。娘の頬は首筋は鮮やかに色づいた。
まるで、陽光を浴びて開く花びらのよう。
勇者は、優しい瞳のままで、にっこりと笑った。
「そして、僕は変態です」
娘の肌は更に色づく。
「ひ、開き直らないで下さいっ!」
「開き直るなどと。僕は勇者で、変態だ。ありのままを言ったまで。・・そして」
少しだけ。勇者の声が低くなる。じわじわと追い詰めるように、言葉を配する勇者。
攻めてるつもりだったのに。いつの間にか攻守が逆転していて、追い込まれていく?
戸惑う娘に、勇者が言葉を重ねる。
「そしてリンちゃん。・・貴女はそんな変態勇者に、従うと誓ったのです」
(つづく)
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