第35話 試練
勇者は、アストヘアの館の前に立った。
身体にこびり付く泥やその他諸々を、ぱんぱんと払う。細やかなるモノらが、空中を舞って地に戻る。
茜色の太陽が、山の端に見えた。それは、向こうの側へと超えようとしていた。烏たちが置いてけぼりを恐れるかのように、陽光の元へ飛び去っていく。そして、日は没した。
光と闇とが拮抗し、全てが
館の裏へまわる。木造平屋の建物がある。アストヘアが指定した『道場』は、おそらく此処だ。年期の入った飴色の木戸を潜ると、そこにアストヘアが立っていた。
彼女は鋭い視線で勇者を睨み付けたが、ふと口許を緩めた。
「・・level 16、か。ふん、最低限の礼儀は心得ているようね」
勇者は昼食後、『ピジョンの草原』で魔物討伐に励み、level を一段上げることに成功した。この草原は弱小な魔物が多い。得られる経験値が少ないため、中堅者がIevel を上げるには始終走り回って狩りを続けなければならないことをアストヘアも理解していた。
「道場主を待たせるなんて不届千万だけど、まあ、許すわ。控え室に予備の道着がある。そのままだと、服がボロボロになるわよ」
そう言うアストヘアは、白いワイシャツに水色のジーンズという小洒落た格好である。だが、そのlevel は『30』。勇者のそれとは隔絶している。
「装備はなし。二分で着替えて」
アストヘアは勇者に言い捨てると、さっさと道場の中に入ってしまった。
勇者は言われるままに控え室に入り、道着に着替える。着替えながら考える。
――・・ 一撃だけでも。
なにか、できないか・・ ――
勇者がアストヘアに唯一勝るのは、複数の『職位』を有する点だ。常人はlevel が50に達せねば新たな職位を得ることができない。
しかし、勇者と従者は無制限に職位を得ることができる。そのため、職位ごとに会得可能な『
数多の『
・・もっとも。level 『16』と『30』とでは、その差はあまりに大きいのだが・・
隠密行動を得意とし、索敵や工作、破壊活動に長ける職位『
攻守ともに優れる職位『
『目潰し』は、相手の足元に穂先を薄く刺して土を跳ね上げる技であり、『足払い』は穂先や石突きで相手の脛下を叩き払う技だ。共に地味ながら、実戦ではかなり使える。だが、どちらも『槍』を使う技であるためアストヘアとの手合わせには使えない。
集団戦の主力にして単体でも威力を発揮する職位『
刀技に特化した職位『
―― 通常より、さらに懐深く飛び込む。
抜刀に代え、肘打ち若しくは裏拳で。
・・使える、かな・・?――
一礼し、道場に入る。
正面。正座していたアストヘアがすっと立ち上がった。
「武器と魔法は禁ずる。それ以外は、何でもあり。
アストヘアの言葉を受け周囲を見渡すと、道場の隅にちょこんと老婆が正座していた。彼女が『ばあや』であろう。
「殺しはしない。存分に、来い」
アストヘアの言葉が終わると同時に勇者は飛び込んだ。
『
その瞬発力。
なかなかのものだ。
居合は、槍を扱い難い屋内戦や、槍を失った戦場での応急技として発展してきた。その要諦は、間合いだ。刀を用いて槍や薙刀など長い得物相手に闘うためには、瞬時に距離を詰め、相手の間合いを潰さねばならない。一息で飛び込み同時に抜刀し斬り抜く。力ではなく、距離と速度を利用する技だ。接近と同時に抜刀するため、相手からは太刀筋が見え難く距離も測り難い。先の先、後の先を集約したような技だ。
手練れのアストヘアであっても。武器を装備しない勇者が『居合』を用い得ると想定しようか?勇者の一手は、アストヘアに対する『奇襲』と成った可能性がある。
戦術を考える際、最初に考慮すべきは『奇襲』の可否とされる。敵を知り己を知り初めて成立し得る『奇襲』を考えることは、現況の再認識に他ならない。作戦の要だ。
しかし、奇襲は天・地・人全ての最適活用が要求される戦術である。故に迅速な事前考察、水も漏らさぬ周到準備といった煩雑で難しい作業が要求される。加えて、失敗すれば甚大な被害を被りかねない。その為だろう、強者は往々にして考慮すら怠る。
そこに弱者の活路がある。失敗すれば壊滅的だ。だが、成功すれば戦況を覆す。
アストヘアの言葉が終わると同時に勇者は飛び込んだ。
言葉を発する際、ひとは息を吐く。言葉を発した後は、必然的に息を吸う。
息を吸えば身体は弛緩する。最も無防備な瞬間だ。そこを狙った。速度もタイミングも申し分ない。
ドスッ
めり込む。
顔面。膝。
動きを止められ、続く強烈な後ろ蹴り。
吹っ飛ばされる。仰向けに倒れた勇者の口から、鮮血が吹き出す。
後の、先。
勇者の僅かな動きを察知したアストヘアは逆に勇者の間合いを潰しその顔面を膝蹴りで破壊した。奇襲は阻まれた。『殺しはしない』と言いつつも、その破壊力は凄まじい。放置すれば、すぐ死に至るだろう。
音もなく『ばあや』が来て、勇者の顔と胸に手を当てた。青い光がばあやの掌から発し陥没した顔と胸を包んだ。血は止まり、陥没はみるみる間に復した。
「・・よし。さあ、がんばりなされ」
ばあやの言葉に勇者は跳ね起きた。職位『
何度、気を失ったか分からない。
ばあやの言葉によって引き戻され、起き上がっては突進する。そして粉砕された。
倒れても倒れても。ばあやの「よし」の言葉で身を起こし、アストヘアに飛び掛かる。
だが。段々と起き上がる速度、突進の勢いがどうしようもなく鈍っていく。
ばあやの治癒魔法は超の付く一流である。どんな傷も素早く直してしまう。断ち切られた筋肉も潰された神経も元どおりだ。
しかし。
心身に刻み込まれていく『恐怖心』。その『恐怖心』が心身を萎縮させる。
肉体を完全に修復したとしても、刻まれた『恐怖』は消えない。いや、神経魔法を用いれば、『恐怖心』に膜を張り知覚できなくすることは可能だ。
だが。level 上げに際しては、『恐怖心』こそが鍵となる。知覚できなくなってしまっては意味がないのだ。
大方の魔物や動物等は、ある一定に達すると、それ以上level が上がらなくなる。
対して人間は、その者の努力次第でどこまでもlevel を上げることが可能だ。
これは、『恐怖』の捉え方、扱い方の違いに原因があるらしい。
大方の魔物らは、恐怖を感じると本能に従い逃避行動に出る。つまり、逃げてしまう。
対して人間は。恐怖を前にしても、これを乗り越え克服する者がいる。
体が硬直する。汗が吹き出す。震えは止まらず吐き気がしてくる。恐怖による警告は、心身状態に異常をもたらす。生存の危機を知らせているからだ。逃避行動に出るのは至極当然なのである。
だが。『逃げれば追われる』のも、また自然の
『恐怖』を払拭するには。
逃げるのではなく、対峙するしかない。
体に震えを生じさせるモノの正体を、刮目して見極める。曇りなき
もし震える身体を以てして、そいつを呑み込むことができたなら。そいつはもはや眼中より消え去り。周囲に転がる、ありふれた事象の一つとなっていよう。
この一連の作用が、すなわちlevel という形状を組成している。
故にアストヘアの『特訓』方法は間違っていない。勇者を徹底的に追い込み『恐怖』を蓄積させようとしているのだ。
もちろん、『恐怖』に呑み込まれたら終わりだ。それが解っているから、勇者はアストヘアごと呑み込むつもりで『恐怖』に突っ込んでいく。たが、蓄積された『恐怖』は身体を縛る。頭で理解していても身体が言うことを聞かない。
「どうした!来ないならこっちから行く!」
鈍る足を懸命に動かそうと焦っても、アストヘアは待ってくれない。容赦しない。視野の外から上段回し蹴りが飛んできて勇者の側頭部に炸裂する。よろけたところを背負投で顔面から床に叩きつけられる。大輪の花が咲くかのように、床に血が広がった。
「あっ!・・」
声にならないような叫び。むろん、アストヘアではない。ばあやでもない。
薄れゆく意識のなかで。勇者は従者が道場に来たらしいことを知った。自分の醜態を従者に晒してしまったらしいことを、覚った。
ばあやの治癒により意識を取り戻した勇者は、頭上から降ってくるアストヘアの声を眩しい光のなかで聞いた。
「今日はここまで。これからリン様のお稽古になるから、お前は外せ。控え室を自由に使っていい。明日も、今日と同刻に」
勇者は、素早く立ち上がろうとした。平常無事に振る舞おうと努めたが、膝が砕けて尻餅をついてしまう。視界に、従者が入った。今にも駆け寄らんばかりに、心配そうな顔をしている。しかし、アストヘアに気兼ねしているのだろう、胸に手を当てて、苦しそうに辛そうに立っているのが見えた。
眼前が、真っ赤になる。
流れ込む熱い鉛に圧し潰されそうになる。
ただ一方的に。何も出来なかった悔しさもある。しかしなにより。守るべき従者に心労を掛け、痛々しいまでの表情を強いてしまった己が情けない。
声を発することもできずに、その顔を見返すこともできずに。逃げるように道場を出ていくしかなかった。
月のない夜空。
星も見えない。
灰色の分厚い雲が、どこまでも覆う。
ふらつく足を、兎に角前へと進める。
後ろから、声が掛かった。
「勇者殿。どこへ行くのじゃ?」
勇者は暗い空を見上げた。
低く垂れ込む雲を、強く見上げた。
・・その瞳は、まだ死んではいない。
突き抜けた先にあるはずの、清く優しい白光を求めていた。
勇者は、振り替えらずに言った。
「・・ゾルドの、森へ」
大気に満ちる
大地に染みる
宣して誓するような声音で、言った。
(つづく)
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