曇天

劉度

第1話 土砂降りの夜

 その日は大雨だった。昼過ぎから降り始めた雨は、夜には本格的な土砂降りになり、街を一層暗くした。無数の白い糸が、空から街に向かって伸びているかのようだった。

 雨は地面を濡らし、屋根を濡らし、人を濡らす。大雨では傘も役に立たず、人々は足早に家に帰る。夜も更けてくると、家の明かりも消え、街は僅かな街灯だけに照らされるようになる。

 微かな明かりに照らされた裏路地を、1人の男が歩いていた。傘を差していない男は、くすんだ金色の髪も、緑色の瞳も、ボロボロの黒いコートも、等しく雨に濡れている。男がおぼつかない足取りで歩を進める度に、ぱしゃり、ぱしゃりとブーツが水を跳ね上げる。

 ばしゃり。一際大きい水音が響いた。男の体が水溜りの上に倒れていた。男は何とか身を起こすが、立ち上がろうとして失敗し、また水溜りに倒れ込む。もう一度起き上がり、壁を支えに立ち上がろうとするが、それも叶わず壁にもたれて座り込む形になった。

 座り込む男が浸かる水溜り。そこに色がつく。濁った赤色。男は自分の胴に手を当て、それから手の平を見る。降りしきる雨でも流しきれない血が、手に絡みついていた。

 手から視線を外し、男は顔を上げる。見つめる先は虚空。緑色の瞳は焦点が合っていない。

 男の口が僅かに動いた。言葉を紡いだのだが、その声は雨音に掻き消され、どこにも届かない。そして、彼が話しかけているはずの人物は、そこにはいない。

 数度、口を動かした後、男は右手を掲げた。手は空ではない。金属の殺戮機構、すなわち拳銃が握られていた。

 引き金が引かれる。雨に濡れながらも、火薬はその役割を果たした。1発の弾丸が虚空へ弾き出され、向かいの建物の壁に突き刺さる。それだけだった。銃声は雨音に掻き消され、銃弾は誰の命も抉らない。

 掲げられた右手が、落ちる。男の視線は虚空から地面へ移動している。否、もはや何も見ていない。力尽き、傾いだ男の体が三度、雨水を跳ね上げた。男はぴくりとも動かない。白い糸のような雨もあいまって、操ることを放棄された人形が横たわっているかのようだった。

 どれほどの時間が経っただろうか。冷え切った男の体に打ち付ける雨が、不意に遮られた。傘。ビニール傘が男の頭上に差されている。それを握るのは、エメラルド色の髪の女だった。

 アイスブルーの瞳が、男を見下ろす。

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