第35話 時には昔の話を

 他人を自分の部屋に招くのは初めてな気がする。トゥエリスタンでは尋ねてくる人間などいなかった。聖歌隊にいた頃は各地のホテルを転々としていた。その前は外国に暮らしていて、招かれることはあっても招くことはなかった。

 部屋を訪れたコリウスをテーブルの席に座らせると、ダルスは向かいに座った。コリウスの表情は先程から変わっていない。アイスブルーの瞳でダルスを真っ直ぐに見つめている。話を聞くまでは梃子でも動かない、だけどダルスから話すまでは絶対に口を開かない。そんな様子だ。

 やむなくダルスは口を開いた。

「……オリンピアはどうだった」

「足、怪我してた」

「治るのか?」

「ええ。ロウリさんが、時間はかかるけど治せるって」

 少しだけ安心した。一生残る傷になったら、ダルスとしても痛ましい。

「それで、オリンピアが言ってた。確かに貴方に助けられたけど……次は自分が殺されるんじゃないかって、怖がってた。

 人を人とも思わずに。簡単に人を殺してしまって。小さい女の子も容赦なく殴り殺したって。本当なの?」

 長い静止の後、ダルスは頷いた。返事を受けて、コリウスは小さな、しかし長い溜息をついた。

 ごまかすことはできない。嘘もつけない。過去に追いつかれた様をオリンピアに見られている。だけど、コリウスにだけは知られたくはなかった。

「でもね」

 しかし、コリウスは語り続ける。

「覚えてる? 私に記憶がない、って初めて話した夜のこと」

「ああ」

「あの時の辛そうな貴方と、オリンピアが言っている怖い貴方、その2人がどうしても繋がらないの。今の貴方が嘘をついているのか。それとも、どっちも本当の貴方なのか。それを教えてほしいの」

 そこで少し間を置いて、コリウスは訊いた。

「話してほしいわ。貴方の事を。信じさせて」

 ミルジェンスクの空は秋晴れだった。昼下がりの陽光が部屋に差し込んでいる。ダルスとコリウスは光が差さない所に座っている。

 長い沈黙の後、ダルスは口を開いた。

「長くなるが、いいか」

「ええ」

 どこから話すかは決めている。麻薬を目の敵にする理由からだ。

「俺は連邦軍基幹戦略隊特殊諜報班、通称『聖歌隊』……まあ、わかりやすく言えば軍人のスパイだな。そういう仕事に就いていた。

 その頃、中央では麻薬の密売が問題になっていた。俺の部隊は密売組織を探して、潰すことが任務だった」

「……それは警察の仕事じゃないの?」

「そうだな。普通は警察の仕事だ。しかし俺たちの相手はもっと上、元締めだった。場合によっては国外に出ることもあった」

 麻薬ビジネスの元締めは敵国の軍隊や国内のテロ組織、マフィアなどといった、重武装犯罪者集団である。とても警察の手には負えない。だから、ダルスたちのような、軍属の特殊部隊が必要とされた。

「俺は隊長で部下は5人。バックアップもいたが、現場は6人で回してたな。クセはあったけど、良い奴らだったよ。仕事を終える度に、世界が少しマシになった、そんな風に感じてた」

 連邦保安局や対外情報作戦課など、他のスパイ組織とは比べ物にならないほどの戦果を挙げていた。最強だったという自負は、うぬぼれではない。

 うぬぼれていたのは、自分たちの存在そのものに対してだった。

「だが上官に裏切られて、俺たちは全滅した」

「どうして……?」

「俺たちが潰したはずの密売ルートを、上官が乗っ取った。俺たちは口封じのために消されたんだ」

 上官は最初から中央の麻薬密売ルートを掌握するつもりで聖歌隊を設立した。ビジネスのライバルを蹴散らした上官は、年間数百億の利益を生む密売ルートを手に入れた。

 そして、用済みとなった聖歌隊を反逆者に仕立て上げ、軍隊を送り込んで抹殺した。そのまま行けば上官は連邦裏社会の、場合によっては世界の帝王になっていたかもしれない。

 だが、唯一にして最大の誤算は、ダルスが生き延びたということだった。

「俺は生き残ったから上官を殺し返したが、もう中央にはいられない。それで逃げ出したって訳だ」

「1人で?」

 コリウスの問いに答えようとして、言葉に詰まった。記憶が引き出せない。上官を撃ち殺した瞬間は覚えているのに、そこに至るまでが上手く思い出せない。

 だが、あの時のダルスに協力者などいなかった。それは確かだ。

「ああ。1人だ」

「大変、だったのね」

 恐らくコリウスには想像もつかないのだろう。そう言うのが精一杯のようだった。実際に生きていたダルスとしても、改めて振り返ると信じられない人生を歩んでいる。

 だが、これはまだ途中に過ぎない。

「それからだな。追われながらあちこちを彷徨い歩いて、辿り着いたのがトゥエリスタンだった。俺に自警団の訓練をしてほしいって話があったんだ」

「自警団?」

「ああ。あの辺りは武装強盗だの、ゲリラくずれだの、物騒な連中がいてな。住人が酷い目に遭ってるから戦えるようにしてくれって話だった」

「警察……はどうにもできなかったのね」

 コリウスの言う通り、警察はあって無いようなものだった。中央はトゥエリスタンを完全に見捨てていた。

「それで自警団を訓練したんだが……ほとんどが女か子どもだった。男は戦えないような連中しか残ってなかったからな」

 その中にはエルヴィナもいた。

「ダルスは、教えたくて、その子たちに戦い方を教えたの?」

 黙って首を横に振る。

「他人に教えるものじゃない。ただ、あまりに不憫でな。せめて生きていける力を持たせてやりたかったんだ」

 その思いは届かず、自らの手でエルヴィナを殺すことになったのは、どんな皮肉だろうか。それとも、トゥエリスタンが狂っていく土台を用意した自分への罰なのだろうか。

「それで訓練して、ゲリラが近付かなくなって少し経ってからだな。あのテロが起こったのは」

 コリウスの表情に影が差す。ピーチェル爆破テロ事件。数百人の罪なき人々の命が奪われた。それを仕掛けた側にいたことは、どうあがいても覆せない。

「……ダルス」

「何だ」

「あの事件は貴方が考えたの?」

 少し間を置いて、ダルスは答えた。

「違う。知っていれば、絶対に止めた」

 ただ復讐心を満足させるために、無関係の人々の日常を破壊する。無益な計画だった。独立を目指すのなら、連邦の人々の同情心を集めてロビー活動に勤しむべきだった。

 それに、もっと単純な話。そんな悪行には耐えられない。

「信じてくれ、なんて虫がいいと思うが……」

「信じるわ」

 自嘲しかけたダルスの声を、コリウスが遮る。

「ええ、信じるわ。貴方はそんな事を許す人じゃない。ずっと一緒にいたのだもの。それぐらいわかる」

 コリウスの眼差しに同情は無い。ただ、信頼だけがあった。

「……感謝する」

 感謝はするが、最後まで語りきらなくてはいけない。彼女に対する礼儀であり、ダルス自身のけじめでもある。

「その後はニュースの通りだ。連邦軍がトゥエリスタンに攻め込んで、ほとんど全員死んだ。逃げられたのは本当に少しだけだったと思う。俺も逃げたが、傷を負って限界だった時に、お前に助けられた」

 そして話は今に至る。後はコリウスも知っている通りだ。

「軽蔑してくれて構わない。恐れてくれても構わない。何なら、警察でも、軍に言っても良い。ただ、嘘はついていない。それだけは信じてくれ」

 他人にここまで自分の事を話すのは、これが初めてだった。コリウスには嘘をつきたくなかった。

「そんな事はしないわ。絶対に。……ありがとう。話してくれて」

 コリウスが口にしたのは、決意と、感謝だった。

「貴方がしてしまった事は、取り返しのつかないことで、本当に辛いことだと思う。でも私は、今の貴方を信じる。辛いことを忘れずに背負っていてきてきた今の貴方が本当だって、信じる」

「……ありがとう」

 感謝の言葉が口をついた。だけど感情は純粋な感謝だけではない。罪悪感がある。



 話せなかった。もっと古い、心の奥底にある出来事を。愛する人の命を自らの手で奪った、あの雨の日の事を。

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