第47話 栄光の落日

 その日、ミルジェンスク警察署はかつてない緊張に包まれていた。

 ミルジェンスクの街を長年牛耳ってきたコズロフ・ファミリーの一斉摘発。その時が遂に来たのだ。本拠地である『ザフトラシニーヤ・パゴダ』を始めとして、フロント企業の人材派遣会社や、各地の事務所を捜査員が取り囲んでいる。

 罪状は麻薬密売。市内にはびこっている麻薬は、コズロフ・ファミリーが売っているものだという情報が入った。

 一部の警官、特に刑事課の人間はこの情報に懐疑的だった。だが、ローアン署長は作戦を強行した。探せば必ず見つかるという確信があった。

 何しろ、ローアンが麻薬を仕込んでいる。無いはずが無い。

「いよいよか」

 署長室にいるローアンは時計を確認する。作戦開始まであと5分。コズロフ・ファミリーが存在していられるのもあと5分だ。

 長かった。汚職と贈賄を繰り返し、署長の座に上り詰めた。そこから更に稼ごうとしたが、コズロフ・ファミリーの先代のボス、アレクサンダー・コズロフに阻まれた。

 転機が訪れたのは7年前。コズロフが死んだ。ローアンはホテルと手を結び、市長に金を送り、捜査網を広げ、表と裏の両方からコズロフ・ファミリーへの締め付けを強めた。それでもしぶとく奴らは生き残っていたが、今日、ようやく決着がつく。

 警察署の雰囲気が、一層慌ただしくなった。もうすぐ作戦開始だ。捜査員たちが最後の確認をしているのだろう。ローアンが胸を躍らせていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 ノックもせずに部屋に飛び込んできたのは、白いコートの男。連邦保安局の捜査官、カインだ。彼は入ってくるなり叫んだ。

「おい署長、一体どうなってやがる!?」

「どうした」

 作戦の概要は協力者であるカインにも伝えている。今更慌てることはないはずだが。

「テレビを見ろ!」

「何?」

 ローアンが困惑していると、カインは机の上のリモコンを掴み、電源を入れた。画面にローカルニュースが映る。


『【速報】ミルジェンスク警察署、麻薬密売に関与か』


「……何だとぉ!?」

 大きく映し出されたテロップと映像に、ローアンは絶叫した。


 ニュースの内容はこうだ。

 まず、先日発売された週刊誌が、ミルジェンスク市長の贈賄疑惑に関する記事を掲載した。それだけなら誰も気には留めなかった。週刊誌は宇宙人襲来のニュースを特集記事にするような三流ゴシップ紙で、信頼性が皆無だったからだ。

 だが、今日の午後の市議会で、ニカンドロス・ティコン議員がその記事を元にして市長に質問書を提出した。市長派の議員からは失笑を、反市長派の議員からは困惑をもって迎えられた質問書だったが、内容を確認すると全員が一様に驚愕した。

 そこには、市長が警察署長ローアンから多額の賄賂を受け取っており、更に署長が街のマフィア『クロドゥング・メヴリージャ』の麻薬密売に関与しているという内容が書かれていた。更に証拠として、マフィア側から提供された裏帳簿と、麻薬そのものが添付されていた。

 荒唐無稽な陰謀に怒号が飛び交う。しかしニカンドロスは、追加の証拠として映像を公開した。

《ローアン署長の使いか?》

《ええ。ミルジェンスク警察署、副署長のドミトリーです》

 ミルジェンスク警察署の副署長ドミトリーが、顔のわからない男に麻薬を渡す映像だった。

《これを店に仕込んで、ローアンの警官隊が見つけて、密売をでっち上げるという算段か。どこに置けば良い?》

《店員に見つからない所ならどこでも構いません。他に何か、質問は?》

 動かぬ証拠だった。

 会議は中断。市長は議場から逃げ出し、駆けつけたマスコミに対してニカンドロスが臨時の記者会見を行っている。


「何だこれは……」

 ローアンは唖然とするしかなかった。

「どういう事だ! 何故計画が全て漏れている!?」

 今まで積み重ねてきた業績が全て崩れ去っていくのを感じながら、ローアンは絶叫した。

「ハザエルだ……」

 カインが呟く。

「何?」

「この証拠映像、ドライブレコーダーだ! ハザエルの野郎、俺たちをハメやがった!」

 言われて、気付く。車の中からドミトリーとダルスを映した映像だ。ならば、ハザエルがやったとしか考えられない。だが、そうする理由がローアンには理解できなかった。

「……何故だ!?」

「知るか! とにかく逃げるぞ、下じゃもう騒ぎになってる!」

 ローアンは慌ただしい雰囲気が近付いているのを感じた。廊下から怒号が聞こえてくる。

「ドミトリーさぁん! そこどいてくれませんかねえ!?」

「待て! 落ち着なさい! これから署長に確認しますから!」

 血の気の多い連中が迫ってきている。ローアンは顔が青ざめるのを感じた。

「下に車を用意してる、来い!」

 カインが叫ぶ。ローアンは我に返り、スーツケースを掴むと机の中を漁り始めた。

「何してる!?」

「金を……」

「ンなモン後だバカヤロウ!」

 カインは襟首を掴んでローアンを引きずり出す。スーツケースが落ちて中身が溢れた。

 署長室を出ると、廊下の奥でドミトリーが取り押さえられているのが見えた。群がっているのは刑事課の連中だ。事務員もいる。

「いたぞ!」

「逃がすんじゃねえええ! あのド畜生八つ裂きにしたらあああ!」

 彼らはローアンを見つけるなり、駆け寄ってくる。ローアンとカインは逆方向へ走り出した。距離はある。階段を駆け下り、裏口から駐車場に出ようとする。

「止まれ、警察や!」

 その前に、刑事と機動隊が5人ずつ立ちはだかった。先頭の、訛りが強い刑事が警察手帳を掲げる。

「ローアン・アダム警察署長殿。贈収賄罪、麻薬取締法違反、殺人教唆の容疑で、逮捕させてもらいまっせ」

「……インノケンティウス! 刑事課のドブネズミ風情が、警察署長の私に逆らうつもりかぁ!」

 激昂したローアンが叫ぶが、インノケンティウスは意に介さない。

「アンタこそな、悪人の分際でおまわりさんに逆らうつもりかい? 笑わせんなや。出所したら芸人目指したらええんとちゃう?」

「黙れ! 警察署長の命令だ、そこをどけ!」

「……どく人、おる?」

 インノケンティウスはおどけて振り返ってみせる。誰一人として動かない。

「貴様ら……ッ! おい、ブラッド! 貴様、どれだけ金をくれてやったと思っている!」

 ローアンは、今度は機動隊の隊長を怒鳴りつける。ブラッドはローアンから金を受け取り、代わりに企みに加担していた、いわば共犯者のはずだ。

 しかしブラッドは、盾を構えたまま告げる。

「もうついていけませんよ。大体、バレてるじゃないですか。俺も警官なんで、最後ぐらいは良い事します」

「今更になって善人面か! この恩知らずめ……!」

 刑事と機動隊が包囲を詰めてくる。ローアンは圧力に一歩下がる。

 その間に、カインが割って入った。

「悪いな、警察官の皆さん方。署長さんをくれてやるわけにはいかねえんだよ」

 一瞬、刑事たちは動きが止まったが、すぐに構えをとった。

「おいおい、連邦保安局だからって容赦はせえへんで……?」

 インノケンティウスがトンファーを持って身構える。ブラッドも盾と警棒を構えた。カインは黙って両手を顔の前に掲げ、構えをとった。指は軽く開いている。

「やったれぇ!」

 インノケンティウスの号令で2名の機動隊員が前に出た。盾でカインを押さえ込もうとする。カインは片方の盾を回るようにしてすり抜け、側面に回り込み、機動隊員の脇腹に拳を放つ。隊員が怯む。

「オラァッ!」

 刑事が警棒を振り下ろす。カインは手首を掴んで受け止め、そのまま刑事をもう1人の機動隊員へ投げ飛ばす。続いてやってきた刑事には胴体に蹴りを放ち吹き飛ばす。

 先程殴った機動隊員が迫ってくる。押し出される盾を横に飛んで避け、隊員の喉を掴んで締め上げる。隊員は盾と警棒を手放し、腕を離そうともがく。

 そこへ別の隊員が2人、盾で押さえ込もうと詰め寄ってくる。

「せえいっ!」

 カインは掴んでいる隊員の力を利用し、回転をつけて投げ飛ばした。人間を投げつけられ、盾を構えた2人が足止めされる。

 その間に、カインは床の盾を拾い上げ、向かってきていた刑事の顔面を殴りつけた。刑事が昏倒する。更に、後ろから来ていた機動隊員に盾をぶつける。突進していた機動隊員がバランスを崩してよろめく。すかさずカインは足払いをかける。倒れた機動隊員の腹に、盾の縁を叩き込む。

 更に機動隊員が迫ってくるが、横合いから飛び蹴りを入れてきた白いコートの女に吹き飛ばされた。カインの部下だ。警官から奪ったらしい盾と警棒を手にしている。

「マリインスカヤ! 後ろは!?」

「片付けました!」

「よし!」

 部下と息を合わせて、カインは敵を次々と掃討する。刑事は丸腰同然、盾で殴れば制圧できる。問題は機動隊員だが、これもカインが攻撃を受け止め、マリインスカヤが回り込むことで倒せる。

「コンチクショウめ!」

 インノケンティウスがトンファーで殴りかかってくるが、カインはやすやすと盾で止め、弾き返した。

 大きく吹っ飛ぶインノケンティウスと入れ替わって、ブラッドが警棒を突き出してくる。これも盾で止めるが、ブラッドは盾を振り回して横を狙ってきた。こじ開けられた側面から、カインの頭に向かって回し蹴りが放たれる。

 カインは身を屈めて回避する。するとブラッドは足を振り下ろし、カインの盾を踏みつけた。カインはためらわずに盾を手放し、振り下ろされた盾から距離を取る。

「往生せえや!」

 そこにインノケンティウスがトンファーを振り下ろす。カインはサイドステップで回避。インノケンティウスは追撃のトンファー、否、キック! カインは落ち着いて蹴りを肩で受け止め、そのまま足首を掴んだ。

「あっ」

 足を掴まれうろたえるインノケンティウスの膝を、遠慮なく蹴り折る。

「があぁ……!」

 倒れた相手には目もくれず、カインはブラッドに突進する。ブラッドはカインを受け止めようと、盾を地面との支えにして耐衝撃態勢を取る。

 カインは、飛んだ。ブラッドの構える盾の縁に手をかけ、塀を乗り越えるようにして飛び越えた。空中で姿勢を変え、ブラッドの首の後ろ、ヘルメットで守られていない部分に、膝を落とす。鈍い音が響き。ブラッドがその場に倒れ伏した。

「マリインスカヤ!」

「終わりました!」

 残りの妨害者たちも全員倒した。立っているのはカインとマリインスカヤ、それとローアンだけである。

「ボサッとしてんな、いくぞ署長!」

「あ、ああ……!」

 カインたちは裏口を駆け抜け、待たせていた白いワゴンに飛び乗ると、何処かへと走り去っていった。

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