第48話 祭りのあと
「何つーか」
「ああ」
「一発で決まっちまったな」
「一発も撃ってないがな」
電撃的な一日だった。ドミトリーから麻薬を受け取ったダルスは、すぐさまドライブレコーダーの映像とスマートフォンの録音をコピーし、ヤブジニーを通してニカンドロス議員を始めとする協力者たちに渡した。
ニカンドロスはすぐさま議会で追及。それに対して市長は答弁を保留し、そのまま議場を脱走。これで趨勢が決まった。
ローカルニュースの速報は、スクープを求める全国の記者と、ネットニュースの無節操な拡散により、あっという間に連邦全土に広まった。これはもう止めようがない。
ただ、署長は取り逃した。一部の警官が署長を捕まえようと動いたようだが、返り討ちにあったらしい。しかし副署長のドミトリーが捕まったので、表舞台に上がってくることはもう無いだろう。
ホテルに関しては一切動きがなかった。それどころか、オーナーが逃げたという噂まである。
一言で纏めるなら、完全勝利であった。
「いや、すげーなお前。こんな完璧な作戦、思いつくなんて」
ユリアンは銃を持て余しながら感嘆する。何かあった時のために、数人の護衛とともに酒場に詰めていたのだが、全く出番がなかった。
「俺も正直、ここまで上手くいくとは思ってなかった……」
ダルスも呆然としていた。相手が杜撰だったとはいえ、ここまで上手くいくとは思わなかった。いくつかは失敗すると思っていたのだが。
「ダルス」
窓際でタバコを吸っていたスザンナが振り返った。
「そろそろ、外の奴ら、追い返してもいいかい?」
「ああ」
ダルスの返事を聞くと、スザンナは立ち上がり、店のドアを開けた。ユリアンも席を立ち、スザンナを守るように前に出る。
店の外には十数台の車と装甲車、それに警官隊と機動隊が集結していた。ミルジェンスク警察署の連中だ。
夕方ごろ、酒場は警察によって完全に包囲された。ダルスが店に戻って1時間も経たないうちの出来事だった。命令があり次第酒場に突入して、仕掛けられているはずの麻薬を見つけようという魂胆だったのだろう。だが、いつまで経ってもローアン署長からの命令が来ない。
そうしているうちに、誰かがニュースに気付いたのだろう。傍目にもわかるぐらい、警官隊が動揺し始めた。
それでも包囲は続いていたのだが、スザンナはいい加減邪魔に思ったようだ。一発叱りつけることになった。
「アンタたち!」
老女の声が通りに響き渡る。
「さっきから店の前でウダウダたむろして! 一体何の用だい!?」
「いや、我々は捜査を……」
責任者らしき男が返事をする。
「だったらさっさと中に入って、いくらでも調べてきゃいいじゃないか! 令状だってあるんだろう?」
警官たちは顔を見合わせる。家宅捜索を前に挑発してくる容疑者など始めて見る、といった様子だ。
「だけどね、アンタらが探してるようなモノはウチには無いよ! 武器の類は防犯用のショットガンと客の持ち物だけだ! 脱税なんてするだけの儲けもない! 人身売買は昔あの人が叩き潰した! それに、麻薬は1グラムたりとも店には入れてない!
それでも、あの署長の命令で探すっていうなら、勝手にやんな! 野次馬に囲まれながら、めそめそ手ぶらで帰るがいいさ!」
誰も言い返せなかった。50人近い警察官が、スザンナ1人に呑まれていた。
一歩間違えれば逆上して襲いかかられそうなものを、スザンナは胆力だけで集団を捻じ伏せた。
「……撤収だ」
責任者がスザンナに背を向けた。
「良いんですか!?」
「ニュースを見ただろう。あんな事があっては、この令状にどれだけの効果があるかわからん! 確認のために一度撤収する!」
後は早かった。警官たちは自分の車に乗り込み、機動隊も道具を仕舞って装甲車に戻り、走り去っていった。あっという間に通りはいつもの静けさを取り戻した。
「ったく。根性無しどもが」
スザンナは溜息をついて店内に戻る。ダルスと同じテーブルにどっかりと腰を掛けると、新しいタバコに火をつけた。
「あれ、明日も来るのかい? 毎日来られたら商売上がったりだよ」
「いや、もう来ないだろう」
これだけの人数を動員するには、手続きというものがある。今の状況ではそんなことはやっていられない。恐らく警察は今後、いなくなったローアンを探すのに手一杯になるだろう。
「署長はこれからどうなるんだ? まさか復讐しに来たりはしないだろうな?」
ユリアンの問いに対し、ダルスは首を横に振った。
「そんな余裕はない。逃げるのに必死なはずだ。街の外まで逃げて……その後はどうだろうな。少なくとも表には二度と顔を出せないのは確かだ」
戦力が手に入れば復讐しに戻ってくるかもしれないが、公権力を盾にして陰謀を進めてきた人間が、これから裏社会で地位を手に入れられるとは思えない。ローアンの進退はここに窮まったと言っていい。
「あと、ホテルはどうなってるんだ? 何だかオーナーが逃げただの、死んだだって噂、聞いたけど……」
「逃げたんだろうな。引き際の早い奴だ」
オーナー、スフテファン・イェゼフは取引通り、ダルスに警察との癒着資料を送ってきた。今頃は街を出て、どこか別の場所に身を隠しているだろう。
本当に思い切りの良い奴だった。もう二度と出会うことはないだろう。
そこまで考えて、ダルスはひとつ、助言をする。
「リーダーがいなくなったら、組織は荒れるな。誰をリーダーにするか、誰がリーダーになるか……力を見せつけた奴が手に入れるだろう」
「……おうよ。任せときな」
ダルスの言葉の意図を汲んで、ユリアンはニヤリと笑った。
この時点でホテルは大きく弱体化する。配下のギャンググループや店に揺さぶりを掛ける絶好の機会だ。むしろ、放っておけば新たな火種になりかねない。どうなるかは街次第だが、ダルス個人からしてみればユリアンに手に入れてほしかった。
「ただ、あまり強引な手段は取るなよ。ホテルの二の舞になるぞ」
「わかってるよ。……あれだったら、お前、やってみるか?」
「……何?」
「いや、横取りの指揮、やってみないか? お前なら上手くできそうだ。アガリも幾らか持っていっていいぜ?」
全く想像できなかった提案だった。自分がマフィアになる、などと考え、すぐに首を横に振った。
「駄目だ」
「遠慮するなよ。礼のひとつぐらいはさせてくれ」
「いや……マフィアになるっていうのは、ちょっと……」
「あー、そうか……じゃあ現金にしとくわ」
「いや、いい。礼には及ばん」
降りかかる火の粉を払ったのと、相手が気に入らなかったから叩き潰しただけだ。どこまでも自己利益の話で、謝礼をもらう筋合いはない。
だが、ユリアンは引き下がらない。
「だーかーらー、遠慮するなっての。今まで色々感謝してるんだぞ、本当に。遠慮されると逆に辛いんだよ」
「……礼を貰える人間じゃない」
「貰っときなよ、ダルス」
スザンナまで口を挟んできた。
「しかし、店長」
「一度は言っておきたかったんだけどね。アンタ、良い思いをするのを怖がりすぎだ。
昔、何があったかは知らないよ。だけど今、アンタの周りに昔を知ってる奴がいるかい? アンタが良い思いをして、文句を言う奴がいるかい? いないだろう?
……少しは自分に素直になりな。変な意地に巻き込んで周りに嫌な思いさせたら、それこそ失礼だろうよ」
そう言われて、ダルスは黙り込んでしまう。
自分に素直になることなど、何十年もしていない。せいぜい、激情に駆られて銃を手に取った時ぐらいだ。今更、そうしろと言われても、どうすればいいかわからない。
呆然としていると、店の時計が鳴った。もうそろそろ開店の時間だ。今日は特別にやることがある。ダルスはごまかすように立ち上がった。
「店長、そろそろ開店だ」
ダルスの問いかけに、スザンナは目を細めた。
「……アンタねえ」
「予定通り、キッチンに入ってもいいか?」
「……本当にやるのかい」
「ああ。せっかく通販で買ったんだ。悪くならないうちに作りたい」
「あん、何だ? 何か作るのか?」
ユリアンだけは何をするのかわかっていない。そこでダルスは答えた。
「ラーメンを作る」
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