第49話 ダルちゃんラーメン

 目の前には寸胴鍋。たっぷりの湯が湧いている。

 ダルスはビニール袋の口を開け、黄色い中華麺を取り出した。縮れていて、小麦粉が少しついている。それをザルに入れ、ザルごと寸胴の湯に浸す。規定の時間にタイマーをセットする。

 麺を茹でている間にスープボウルにお湯を入れて温める。本当はドンブリが欲しかったが、流石に食器まで買い揃えるわけにはいかなかった。

 チャーシューのパックを開け、一口大に切り揃える。ネギとメンマ、モヤシ、ノリは準備済みだ。

 タイマーが鳴った。スープボウルの湯を捨て、スープの素を注ぎ、新しい湯で薄める。香ばしく、少し甘い醤油の匂いが鼻をくすぐる。

 そして寸胴から麺を上げる。残念ながら、ダルスはユキリの技術を身に付けていない。ザルを細かく振って水気を取るだけである。

 麺をスープの中へ。その上にチャーシュー、ネギ、メンマ、モヤシ、ノリを乗せる。これで完成だ。

「ショウユラーメンイッチョウ!」

 カタコトの日本語とともに繰り出されたのは、中国より伝わり、日本でアレンジされた麺料理、ラーメンだった。

 醤油ラーメンを受け取ったユリアンは、自宅から持ってきた箸を手にとり、両手を合わせた。

「イタダキマス」

 同じくカタコトの挨拶。酒場の面々が見守る神妙な空気の中、ユリアンは器用に箸を使い、麺を口に運んだ。

 しばし、沈黙。

「うまい……」

 万感の思いを込めた、ユリアンの一言であった。

「いや、そう言われても、スープも麺も出来合いなんだけどな」

「カップラーメンと比べたら別物だよコイツは。日本から取り寄せたのか?」

「ああ、通販でな」

 今朝、ダルスが郵便局で受け取った荷物。そのうち片方、クール便の中身は通販で買ったラーメンの食材であった。作戦が上手くいったら作ろうと思っていたのだ。

「すまねえ、俺にも1つ!」

「こっちにも!」

 黙々とラーメンを啜るユリアンに感化されたのだろう。周りの客たちもラーメンを頼み始めた。

 ダルスは注文を受けて、次々とラーメンを作っていく。

 今日の酒場は満員御礼だ。詳しいことはわからずとも、コズロフ・ファミリーとホテルの戦いに大きな転機が訪れたことを皆、察したらしい。酒も料理もハイペースで出る。

 そこに現れた一夜限りの限定メニュー、醤油ラーメンは客の心と胃袋をガッチリ掴んだ。ヤキソバと違いそこそこ有名で、味も食べやすい料理は大人気だった。

 ダルスは僅かに微笑みながら、麺を作り続ける。自分の作った料理に客が目を輝かせるのを見るのは楽しかった。そんな気持ちになるのは久しぶりだった。

 しばらく注文を受けてラーメンを出していたダルスだったが、不意にその手を止めた。

「どうした?」

「……歌の時間だ」

 コンロの火を止める。今日はコリウスの歌をできるだけ静かに聞きたい。

 他の客がラーメンを啜り終わった頃、コリウスが裏から出てきた。

 初めて見る衣装だった。白い生地にはラメが織り込まれているのか、キラキラと輝いている。肩の辺りには羽根をあしらった装飾が施されていて、華やかで儚げな印象を受ける。

 曲が流れ出す。コリウスが歌い始める。仕事の手を止めて聞き入っているからだろうか。いつもよりも、痛烈に胸に響く歌声だった。

 透き通っていて、高らかと響き渡っていて、そして、少し悲しい。

 2曲、3曲。コリウスの歌はいつにも増して真剣だ。いい歌だ。ずっと聞いていたいと、心からそう思う。

 だが、それは許されない。

 曲が終わる。歌の時間が終わる。割れんばかりの拍手が酒場を埋め尽くす。ダルスも思いを込めて手を叩く。

 悲しげなアイスブルーの瞳と目が合った。


――


 酒場が閉まったのは深夜だった。酔い潰れた客を片隅に寄せた後、ダルスは後片付けを始めた。

 食器を下げる。テーブルを拭く。勝手に動かされたテーブルや椅子を元の位置に戻す。床を掃いて、モップで拭く。

 残飯を捨てる。流しに溜まった食器や調理器具を洗う。食材や調味料を元の位置に戻して、足りなくなった備品をメモする。

 その他諸々、やることを終えた頃には深夜だった。テーブルでタバコを吹かしていたスザンナに呼びかける。

「終わりました」

「……ご苦労さん」

 いつもの挨拶だ。いつもの、と言えるぐらいに、この店には長く世話になってしまった。

 ダルスが部屋に戻ろうとすると、スザンナが声をかけてきた。

「行くアテはあんのかい」

「……何のことだ」

「ここを出て、行くアテだよ」

 ダルスはとっさに返事ができなかった。気取られるような事はしていないはずだ。荷物の中身を見られたか。だとすれば、面倒な事になる。

「何でバレたかわからないって顔してるね。簡単だよ。自分で買ってきたラーメンを作りたいなんて、最後の記念に思い出を作っておきたい、なんて言ってるようなもんじゃないか」

 行動、だったか。ダルスは深く息を吐いた。

「国外に逃げる。新しいパスポートと身分証を取り寄せた。それで国境を渡る」

「そんな事ができたのかい。……なら、どうして最初にここに来た時に使わなかったんだい?」

「取り寄せれば居場所を察知される可能性があった。今はもう、居場所を知られているからな」

「……追手が来てるんだね?」

 ダルスは無言で頷く。連邦保安局のカインはローアンと一緒に逃げ出したようだ。だが、本隊を連れて必ず逆襲しに来るだろう。

「もしも俺を探している連中が来たら、今預けてあるパスポートを渡して、ヤトーツクに行ったと伝えろ。それだけでいい。下手に隠したりするな」

「アタシに不義理を働けっていうのかい?」

 スザンナの目に剣呑な光が宿った。老いてなお義侠心の強い彼女のことだ。こうなることはわかっていた。

「――頼む」

 だからダルスは、頭を下げる。

「次に来る奴らは、マフィアとは比べ物にならない。奴らは容赦しないし、良心もない。どう足掻いても抵抗はできない。

 これ以上この店にいれば、また俺のせいで全員死んでしまう。もう、そんな目には遭いたくないんだ。

 だから頼む、見逃してくれ」

 言い終わったダルスは、自分の体が震えているのに気付いた。

 怖かった。不格好ながらも何とか守れた光景が、また森の中に、火の中に、あるいは雨の中に消えてしまうのが恐ろしかった。

 長い、長い沈黙の後。

「……行くアテはあんのかい」

 また、同じことを聞かれた。

「いや、だから国外に……」

「違うよ。この街から出る手段は見つけてるのかい? 言っとくけど、道路も駅も検問ができてるよ」

 顔を上げたダルスは、2,3度小さく頷いた後、細い声で答えた。

「電車に乗ってしまえば、後はどうにでもなる」

 スザンナが溜息をついた。呆れてものも言えない、といった様子だった。

「……明日の昼、ベンジャミンがウチに来る」

「何?」

 ベンジャミン。郊外の駐屯地に勤めている軍人だ。彼がどうしたのだろうか。

「アンタ、アイツが探してた武器を見つけてやっただろう? その礼がしたいんだとさ。検問ぐらいならどうにかしてくれるだろうね」

 意外な申し出だった。確かに、軍の協力があればヤトーツクまで行くのには問題ないだろう。

「だから、明日の朝の市場の買い出しも頼むよ。……市場の皆にも挨拶しときな」

 スザンナはタバコの火を揉み消した。

 ダルスは彼女に向かって、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました」

 そして、改めて部屋に向かおうとするが、もう一度声がかかった。

「……言っとくけど、コリウスは立派な大人だよ」

「……だから、何だ」

 振り返ることなく、ダルスは問う。

「自分のことは自分で決められるって訳さ。きっちり話し合っておきな」

 ダルスは返事をせずに、階段を昇っていった。

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