第55話 傀儡師

「場所はわかった。そっちに行くから待っていろ」

 スマートフォンを投げ捨て、ライフルを構える。狙いは頭上、ベランダに立つローアン。

 放たれた弾丸は、しかし逸れて壁に突き刺さった。気にはしない。当たるとは思っていないし、直接会って殺すつもりだったからだ。これは宣戦布告にすぎない。

 銃口を降ろし、正面玄関に向かって歩く。その途上で、精神を集中させつつ、ダルスは聖句を口にする。


「……我は我が成すことを知っている」

 暗示。雑踏では精神を苛む鋭敏な五感、日常には溶け込めない倫理のタガを外した判断力を、場面に応じてスイッチのようにオンオフする技術。

「我は王位の簒奪者。神の忠実なる下僕にして、神の怒りを代行する者」

 日常では決して口にしない聖句を呟くことで、精神構造を切り替える。鍛えた身体と研ぎ澄ました技を100%発揮できるよう訓練した、戦闘機械の精神に上書きする。

「我が名はハザエル。嵐神ハダドの名の下に、天を、地を、人を焼き尽くさん」


 暗示は成った。傀儡師が宿る。糸に引かれるがままに、ハザエルは玄関に銃口を向ける。

 ドアが開いた。引き金を引く。立て続けに2人が倒れる。撃ちながら人数を確認する。3人。その奥に、見える範囲だけでも5人。

 撃ち続けながら前進。3人が倒れる。物陰に隠れるマフィアたち。それをダルスのライフルが貫く。軍用ライフルだ。木のテーブルやコンクリート程度は苦もなく貫通する。

 死体を踏み越え、正面玄関を潜る。ロビー。2階まで吹き抜けになっていて、中央の大階段から直接上がることができる。

 見える範囲には多数の敵。合計17人。一瞬で把握したハザエルは、まずフロントのカウンターへ銃口を向けた。轟音とともにカウンターが穴だらけになり、3人が倒れる。

 直後、ハザエルの周囲に鉛玉が殺到した。背後の窓ガラスが割れ、足元の床に穴が空き、頭上の照明が砕ける。

 無数の破壊に囲まれて、しかしハザエルは眉一つ動かさない。当たる確率は極めて低いと、計算し終えているからだ。

 左へ歩きつつ、ハザエルは2階の敵に向かって弾をばらまく。マフィアたちは慌てて身を隠す。銃撃が緩まったのを見て、ライフルをリロード。新しい銃弾で1階の敵を立て続けに4人射殺する。

「撃て撃て!」

「バカヤロウよく狙え!」

「邪魔だ!」

「何で当たらないんだ!?」

 マフィアたちは喚きながら銃を乱射するが、ダルスには掠りもしない。運が良すぎるのか、それとも目に見えない力が働いているのか。戦慄するマフィアたちは、しかし答えを知ることなく次々と倒れていく。

 ――その答えは、運でも、魔法でもない。れっきとした武術であった。


――


 リブリアという国があった。数年前まで極右政権の恐怖政治によって支配され、あらゆる芸術と感情を破壊された東欧の国だ。その恐怖政治、即ち暴力を担っていたのは、世界最新にして最強の武術であった。

 その名は『クグツ』。正式名称『Close-Up GUn TacticS / 極接近銃闘術』。

 武術と称されているが、創始者は人間ではない。コンピューターだ。リブリアで開発された世界最高峰のスーパーコンピューター『ファーザー』が膨大な戦闘データを解析し、あらゆる戦闘局面において最適な動作をパターン化した。その集大成がクグツだ。

 暗示により脳の処理能力を限界以上に高め、統計データに基づいた戦闘を行うことにより、敵の死角や攻撃が当たりにくい位置を常に保ち続け、最も効率的な反撃を行うことができる。

 理論上は、四方を囲まれた銃撃戦であっても、1発も被弾することなく20人の敵を倒すことが可能だ。

 コンピューターが計算したデータに沿って戦う姿は、さながらデータの糸に操られたマリオネットである。故に『傀儡クグツ』。それを使う者たちは『傀儡師』と呼ばれた。

 有名な傀儡師はリブリアの秘密警察である。彼らに粛清されたデモ隊や特殊部隊は数知れない。

 特に有名な事件は、数百人規模のデモ隊が、たった1人の傀儡師とそれに従う5名の警官によって制圧された『アラドの虐殺』。それに大使館員の解放のために送り込まれた合衆国の特殊部隊30人が、傀儡師3人によって全滅した『11月28日の敗戦』であろう。

 世界に恐怖と悪名を轟かせた『クグツ』だが、現在はほぼ使い手は存在しない。極右政権が崩壊した際、リブリアの主要な傀儡師は死亡、または逃亡した。更にクグツに関する資料は全て処分され、クグツを新たに習得することは不可能となった。

 例外は、リブリアの治安機関に潜入していた連邦の工作員。ダルス・エンゼルシー、傀儡名『ハザエル・ディマスカ』はその内の1人だった。


――


 ロビーの敵は激減していた。残るは2階の4人だけだ。ハザエルは柱の陰に隠れ銃弾をやり過ごしつつ、手榴弾のピンを抜いた。銃撃戦の最中、エレベーターの駆動音を聞いていた。

 ベルの音がした。エレベーターに向かって手榴弾を投げる。ドアが開く。マフィアたちが雪崩を打って飛び出す。轟音。増援が一瞬で全滅する。

 爆発音に驚いたのか、2階からの弾幕が止んだ。ハザエルはすかさず柱の陰から飛び出し、敵に狙いを定める。相手は慌てて撃ってくるが、それでは狙いは定まらない。

 しかし、下手な鉄砲も数撃てば当たるものである。柱に当たった弾が跳ね返って、ハザエルの肩に当たった。

 ハザエルは動じない。ライフルを単3連バーストで4射。2階の4人を仕留める。第一波はこれで全滅した。ハザエルは休みもせずに、階段を昇る。

 肩に当たった弾丸は防弾コートに弾かれ、ハザエルの体に傷はない。それでも運動エネルギーは殺せない。ハザエルの肩は金槌で殴られたかのような衝撃を受けている。神経は痛みを感じている。

 しかしハザエルはそれを感知しない。自身の痛みも、恐れも、時には命すらも無視して傀儡となる。そのための暗示だった。


 2階から3階へ上がるには、大ホールが最短距離だ。ハザエルはホールの扉を銃撃しつつ蹴り破る。

 マフィアの溜まり場だった。その数21人。いずれも驚いた顔をしてハザエルを見ている。入口付近には、不幸にも撃たれたマフィアが3人転がっていた。

「あぁ!?」

「おい、あいつまさか……」

 マフィアたちが気付いた頃には、ハザエルは既にライフルを撃ち始めている。2人が倒れる。それでようやく、マフィアたちは事態に気付いた。

「敵だ!」

「殺れ!」

 敵が銃を構える。ハザエルはライフルを構え、中央へ突貫すた。

 前方に居た4人を銃撃して倒す。更に斜め前方へ銃撃しようとするが、弾切れ。

 走りながらライフルを投げ捨て、腰の拳銃を両手に握る。火線が集中する。周りにあるのはテーブルと敵のみ。銃弾を防げるものはないと、普通なら思うだろう。

 クグツはこの状況にも最適解を提示する。

 ハザエルはテーブルを踏み台にして跳躍、銃を構えたマフィアの上を、前方宙返りしながら飛び越えた。

 眼下のマフィアの脳天に鉛玉を撃ち込みながら、暗示によって研ぎ澄まされた意識で周囲の状況を確認する。

 予測落下地点に近い順から、4人、4人、1人、1人、3人、2人、3人のグループ。合計16人。落下までの2秒足らずで、距離と配置を分析し終える。

 着地と同時に体を床と水平に回転させる。コートの裾を翻し、黒い竜巻の如き様相。両手に握った拳銃で周りのマフィアたちを次々と撃ち抜いていく。

 自陣のど真ん中に飛び込まれ、マフィアたちはハザエルを撃てない。味方が邪魔だ。あるいは離れたところにいるから、狙いが定まらない。一瞬のためらいのうちに、10人以上が死んでいく。

 残りは遠い位置にいる2人と3人。そちらに銃を向けようとして、ホールのドアから白いコートの男がこちらにライフルを向けているのに気付いた。連邦保安局組織犯罪対策課特務班『コッペリア』。最優先排除対象。

 銃舞を中断、身を屈めて全力疾走。ライフル弾が一瞬前までいた場所を通り過ぎる。マフィアを盾にするように回り込むが、相手はマフィアごと撃ち殺そうとしてくる。不運なマフィアが倒れ、銃弾が3発、ハザエルの体をかすめた。

 クグツにとって厄介なのは、味方の誤射も厭わず攻撃してくる相手、それにショットガンや手榴弾、迫撃砲といった面制圧兵器だ。故に、それらの排除を最優先に動く。

 ハザエルは走りながら、コッペリアへ銃撃する。相手は銃撃を止めて慌てて壁に隠れる。狙いは全く定まらないが、威嚇としては十分だ。一気に距離を詰める。

 金属音が響いた。弾切れだ。銃は握ったまま弾倉を排出し、腕を捻る。コートの袖口の自動給弾機構が作動。空になった拳銃に新しい弾倉がバネ仕掛けで押し込まれる。

 リロードが終わると同時に、ハザエルはスライディングしながらホールの入口へへ飛び込んだ。驚いた男がハザエルに銃を向けようとしたが、その前に銃声が響いた。

 眉間を撃ち抜かれた男が倒れる。ハザエルは振り向き、ホールに残っていた4人のマフィアを事も無げに射殺した。ホールは無人になった。

 死体からライフルと弾倉を奪い取り、ハザエルは傷を確かめる。脇腹、足、肩。防弾コートはライフル弾までは防げない。肉が抉れている。

 だが、動きに支障はない。ハザエルは痛みを捻じ伏せ、階段を昇っていった。

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