第12話 ラストナンバー
銃声が響く。砲声が轟く。戦車のエンジン音が唸りを上げ、ヘリコプターのローター音が降り注ぐ。
森は死んでいる。立ち並ぶ木々は一枚の葉もついていない。いずれも焼け焦げ、骨のような枝を赤い空に向かって、救いを求めるように伸ばしている。地面には枯れ葉がうず高く積もっている。乾き切った死んだ葉が森を覆い尽くしている。
落ち葉を踏み割って駆ける男女が3人。金髪の男と、それより二回り大きい体躯の男と、それに担がれた虫の息の女。いずれも同じ黒いコートを着ている。彼らは何度も後ろを振り返り、木々の影に怯えつつひたすら走る。
女が血を吐いた。巨漢の男がそれに気付き、女を下ろして枯れ木に寄りかからせる。
「大丈夫か、イザベル」
巨漢の男の問いかけに対して、女は弱々しく笑い、吐血する。彼女の腹部からは赤黒い血が滲み出ている。巨漢の男は包帯を取り出し、傷の手当をする。
一方、金髪の男は追手が来ていないことを確認すると、通信機を手にとった。
「アブサロム、バラク、応答しろ」
返事はない。スピーカーの向こうから聞こえるのは、機銃掃射とエンジンの音だけ。
「……くそっ!」
金髪の男は通信機を地面に叩きつけ、踏み割った。アブサロムも、バラクも、アヒトヘルも死んだ。残っているのはこの3人だけだ。
後方から銃声が響いた。3人は身を屈める。枯れ木の向こうから、武装した兵士が近付いてくる。歩みは3人よりも速い。追いつかれるのは時間の問題だろう。金髪の男はライフル銃を構え、追手に向き直った。
「ゴリアテ、イザベルを頼む」
「隊長」
「1人だけ生き残るより、2人生き残ったほうが良い。行け」
「待ってください……隊長、私が残ります……!」
息も絶え絶えなイザベルが銃を握り締める。立ち上がろうとしたが、足に力が入らずその場に崩れ落ちる。それでも銃を手放さない。
「2人生き残るなら、隊長とゴリアテの方が……」
「その傷じゃ捨て石にもならん。ゴリアテと一緒に逃げろ」
追手が3人に気付いた。ライフル銃を撃ってくる。金髪の男が持つのと同じものだ。銃弾が一発、近くの地面の木の葉を巻き上げた。金髪の男はスコープを覗き、狙いを定める。先頭の追手の頭が照準の中央に収まった。引き金を引く。穴の空いた頭から赤い飛沫を上げて、追手が1人倒れる。その間に他の追手は距離を詰めてくる。
「……なら、私をここで殺してください!」
イザベルが叫んだ。
「足手まといにはなりたくないんです! こんな傷で迷惑をかけて、奴らに捕まるぐらいなら……」
「ゴリアテを独りにするつもりか?」
スコープからは目を離さず、金髪の男はイザベルを言葉で制した。イザベルは男の言葉に対し、何も言い返すことができなかった。
「……行け。元気でな」
2人目を撃ち殺すと同時に、男は立ち上がって追手に向かって突進を始めた。
「隊長!」
イザベルとゴリアテの叫びを後にして、男は駆ける。木々と銃弾の合間を縫って追手との距離を詰める。当然、反撃の銃火が浴びせられる。銃弾が肩を掠めたが、男は気にする素振りすら見せなかった。その腹には、銃弾によって穿たれた穴が空いていた。
3人目を蜂の巣にした所で、ライフルの弾が切れた。替えのマガジンはもう無い。男はライフルを捨て、腰の拳銃を引き抜く。両手に1丁ずつ拳銃を握り締めた男は、身を屈めて疾走する。黒い風が枯れ葉を巻き上げ、男の後に追随する。
火線が捕らえる前に、男は2人の追手の間に躍り出た。男に向かって銃を向けた2人の追手は、その先に互いの顔があるのを見つけて、引き金を引くのを一瞬ためらった。その一瞬で、男の両手の拳銃が火を噴き、2人の脳に鉛玉を撃ち込んだ。
倒れた死体からライフルを奪い、男は更に前へと進む。もはや走ろうとはしない。現れる兵士に淡々と狙いを定め、引き金を引き、物言わぬ死体に変える。追手が人間となり、やがて白骨化した死と入れ替わっても、男は前進射撃を止めない。
進み続けた男の視界が、不意に開けた。いつの間にか森が消え、目の前には廃屋が立っていた。辺りを見回す。地平線まで何もない、灰色の大地。空は赤く、雲一つない。あれだけ彼らを追い立てていた戦場の音も消え去り、耳の痛い静寂だけが重くのしかかってくる。振り返ると車があった。それを見て彼は思い出す。囮として戦っていたら、車を見つけた。それを奪って無我夢中で走っているうちに、ここまで来てしまったのだと。
男は廃屋へ歩く。穴の空いた胴体からは血が絶え間なく流れ、灰色の大地を赤く染めて、一瞬で染み込み消えてしまう。
廃屋の中は荒れていた。あらゆる家具は破壊され、年月が経って蜘蛛の巣が張り、埃が積もっている。男は壊れたテーブルをどけると、その下の板材を剥がした。土の地面が見える。男は全てわかっているかのように、ためらいなく指で地面を掘る。無表情でひたすら掘り続ける。指が汚れ、爪が剥がれ、肉が裂けたころに、指先の骨が硬い物を掘り当てた。
1台の固定電話だ。男は受話器を取り、話しかける。
「本部。こちら聖歌隊。繰り返す、こちら聖歌隊」
《こちら本部、どうぞ》
「至急、大佐に繋いでほしい。緊急連絡だ」
受話器の向こうで人が動く気配がする。男は待った。やがて、受話器から別の声が聞こえてきた。
《私だ》
無感動な男の声だった。
「聖歌隊、ハザエルです。作戦は完了しました。ですが、未確認勢力に襲撃され、応戦しつつ撤退しました。部下3名が死亡、2名とは別行動を取っており、連絡がつきません」
《そこにいるのは君だけか》
「はい。至急、救援を」
《駄目だ》
「……何ですって?」
《現時点をもって聖歌隊を抹消する。君たちは我が連邦への反逆者であり、生き残ることは許されない》
「……何ですって?」
オウムのように男は同じ言葉を繰り返していた。聞かされた言葉に心が追いついていなかった。
《ならば言い換えよう。君たちが邪魔者を消してくれたお陰で、私は中央の麻薬密売ネットワークを乗っ取ることができた。後は君たちが消えれば、全ての証拠は消えるのだ》
驚愕の余り、男は言葉も出なかった。受話器を握りしめる手の骨から血が溢れ出す。麻薬カルテルの血。中央に巣食っていたマフィアの血。国外から麻薬を輸入していた反政府組織の血。焼き尽くしたはずの血が、受話器に吸い込まれていく。
「俺たちは……正義のために戦った。それは、お前に利用されていただけなのか?」
《そうだ。そうでなければ、お前らのような厄介者たちに価値はないだろう?》
嘲笑うような声。いや、嘲笑っている。顔が見える。電話口の向こうの、真に殺すべき相手の顔が。
《上官殺しの売女の娘、不正規作戦部隊の生き残り、軍のデータベースを丸裸にできるハッカー、他国の要人を殺した狙撃手、生体実験からの脱走者、そして……オルガリヒを殺した男》
仲間、そして男のことだ。何も言い返せない。
《公式には行方知れずだった彼らがテロリストと合流しようとしていると聞いて、中央は予想通りすぐに軍を動かしてくれたよ。君たちは、随分多くの人々に恨まれているようだ。話の真偽も確かめず全滅させられるとはな》
善きことを成していると確信していた。それは単なる盲信だった。
《さて、長話に付き合ってくれて感謝する。逆探知は終わった。間もなくそのセーフハウスに部隊が向かうだろう。最後の命令だ、死ね》
電話が崩れる。呆然とする間もなく、ドアが激しく叩かれる。反射的に拳銃を抜く。
「隊長」
ノックの合間に女の声。さっき、あるいは果てしなく過去に聞いた覚えがある。
「……イザベルか?」
「隊長。どうして殺してくれなかったんですか?」
ノックが止まない。扉だけでなく、壁や窓まで叩かれる。
「隊長」
「隊長」
「どうして見捨てたんですか?」
「隊長」
「気付いてくれたら、良かったのに」
壁、床、天井。あらゆる声が彼を苛む。銃口を彷徨わせるが、どこを狙えば、何を撃てばいいのかわからない。
「あの時、殺してくれなかったから……」
窓の向こうにイザベルが現れる。裂けた口で笑みを浮かべて、剥き出しの右半身は、人の物とは思えない脈動する触手で構成されていた。
「わたし、こんなバケモノになっちゃいました」
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