第11話 招かれざる店員

 気まぐれサラダはそこそこ好評だった。やはり新メニューは人目を引く。それでいてかかる手間はほぼ無い。いつものサラダに市場のお買い得品を付け足すだけで良い。

 焼きそばは期間限定メニューにして、中華麺の在庫が尽きるまで売ることになった。こちらはサラダほど売れていない。味が濃いらしい。ユリアンはたまに食べるが、アオノリを仕入れろと言ったり、ラーメンも作れと言ったり、やたら注文が多い。その注文に応えるためにダルスは市場で食材を探さないといけないわけで、自然と買い出しはダルスが担当することになった。

 今日も買い出しを終えたダルスは、食材を店内に運び入れると着替えて街を出た。これは仕事ではない。リハビリだ。買い出しが終われば店が開く夕方までは自由行動なので、歩き回って体力と身体感覚を取り戻そうと思っていた。

 実際に歩いてみると、ミルジェンスクの街についていろいろ知ることができた。まず中央に駅があり、そこに市庁舎や警察署、市場などの施設が集まっている。駅からは何本か大きい道路が伸びており、郊外の鉱山に繋がっている。恐らく、街で先にできたのは駅と道路、そして鉱山だ。人が集まるに従って、駅の周りに建物が建ったのだろう。

 そして街は駅を挟んで西側と東側に分かれている。西側にはスザンナの店『ザフトラシニーヤ・パゴダ』を始めとして、鉱山労働者向けの住宅や店が多い。古い鉱山は西にあるから、まず西側が発展したようだ。一方東側は、街が十分に潤ってから開発されたようで、高層マンションやショッピングモール、ホテル、サッカー場など、有り余る金に任せて作ったらしい建物がちらほら見える。

 なお、西側も東側も、今はあまり活気がない。街の収入源である鉱山そのものが不景気だからだ。鉄鉱石と石炭はは枯渇、辛うじて残っているのはレアメタルの鉱脈だが、これも先細る一方らしい。

 だが、それにしても。

 シャッターが降りた商店街を歩きながら、ダルスは思う。不景気とは別に、どこか病んだ雰囲気が街に漂っている。道理に合わないことが罷り通っている、そんな気配だ。ユリアンのようなマフィアが大手を振って表を歩いている時点でそうなのだが、それ以外にも何かある気がする。

 冷たい風が吹き付ける。秋が深まってきている。ダルスはコートの襟元を抱き寄せて、寒風を凌ぐ。この街に来た時から使っているコートだ。ボロボロになっているが、特注品なので直しようがない。

「……戻るか」

 十分に歩いた。ダルスは足先を酒場へと向ける。既に昼時だ。昼食は厨房を借りて何か作るか、それとも外で食べるか思案する。

 トマトソースのパスタを作ろうと決めてから10分、ダルスは酒場まで戻ってきた。店に入ろうとして、話し声が聞こえたので、ダルスは足を止めた。コリウスと、スザンナと、知らない男の声。まだ店が開く時間ではない。ダルスは息を潜め、店の裏口から中の様子を窺う。

「だから、それは悪かったって言ってんだろ! 頼むよ、もう一度働かせてくれよ……」

「駄目なもんは駄目だね。ただ辞めたならまだしも、何の挨拶もナシにバックレやがって。そんな奴をもう一度雇う義理なんてないよ」

 何か揉め事になっているようだ。裏口から店内に侵入する。スザンナと話している男がいる。そう言えば、とダルスは思い出す。ダルスが働く前にピサレンコという男が店に居たが、何の挨拶もなしに辞めたという話だ。どうやらあの男がそうらしい。

「だ、だ、だけどよう、俺が居ないと人手が足りないだろ? ほら、買い出しとか、力仕事とか……」

「……戻りました」

 男が話すのを遮って、ダルスはスザンナに声をかけた。後ろで様子を見守っていたコリウスの前に出て、ピサレンコの姿がよく見える所に立った。やや太り気味の中年の男だ。皺だらけのTシャツとジーンズ、古いダウンジャケット、無精髭に整えられていない髪。いかにも金の無さそうな男だ。

「おう、お帰り。見ての通り、人出は足りてんだよ。わかったらさっさと帰りな」

 スザンナがピサレンコを睨みつける。一方ピサレンコは予想外の男の登場に目を丸くして震えていた。

「おい……おい、何だテメェは。誰だお前は」

 ダルスは眉根を寄せる。震えている。それはまだいい。だが、ダルスを指差す手が震えている。まさか。

 ダルスは半歩、右足を前に踏み出す。なるべく声に棘が出ないよう、努めて冷静な声でピサレンコの質問に答える。

「……今月からこの店で働いている、ダルス・エンゼルシーだ。ウチの店に何か用か?」

「何がウチの店だ! 俺が働いてた店だぞ!」

 突然、ピサレンコが声を荒げた。コリウスとスザンナが驚く。

「おいピサレンコ! あんたおかしいよ、何があったんだい!?」

「俺の店だ! 俺の金を奪うんじゃねえ!」

 ピサレンコはダウンジャケットのポケットを弄った。現れたのは鈍色の刃。刃渡り10cmほどのナイフだ。

「ダルス!」

「チイッ、このバカ!」

 色めき立つコリウスとスザンナを、ダルスは片腕を掲げて制した。更に一歩前へ。スザンナよりもピサレンコに近付く。ピサレンコからは目を離さない。ナイフを握る手は震えているし、視線も定まっていない。恐らく、こいつは。

「一度しか言わん。それをしまって、黙ってこの店を出ていけ」

「うるせえ! この泥棒野郎がぁぁぁ!」

 ダルスの顔へナイフが突き出された。遅い。その上、予期できた動きだ。身を捻って刃を避ける。顔の横をナイフの刃が通り過ぎる。ピサレンコの伸び切った手首と肘を取り、足払いを掛ける。ピサレンコは無様に転げ、顔面を地面に叩きつけられた。ダルスはそのまま背中に乗って、片腕を捻り上げ、ピサレンコの体を押さえ込む。

「あっ、ががっ!? ちくしょう離せぇ……!」

 関節を極められた手からナイフが落ちた。床に転がるナイフには目もくれず、ダルスはピサレンコの腕を見る。青黒く変色した注射痕。それが何箇所もある。

 やはり、そうか。

「さて、一つ聞きたいことがある」

 腕に力を込める。みしり、ピサレンコの腕の骨の悲鳴が、ダルスの手に伝わってくる。

「ひっ!? 痛え、痛えよ!」

 悲鳴は無視して、ピサレンコのジーンズのポケットを弄る。後ろのポケットに注射器があった。それをピサレンコの眼前に叩きつける。

「何のクスリだ。正直に答えろ」

「びょ、病気だ! 病気で薬を……」

 極めているピサレンコの右腕、その先端、小指の第二関節に手をかけ、力を込めた。鈍い音が店内に響く。小指が曲がってはいけない方向に曲がった。

「ぎゃあああっ!?」

「正直に答えろと言ったはずだ。もう一度聞くぞ、何のクスリだ」

 悲鳴を無視して、ダルスは薬指に手をかける。

「ダルス……?」

 コリウスが何か言っているようだが、尋問を止めるわけにはいかない。始めたら最後までやりきらなくてはいけないのだ。

「ドラッグだ! 裏路地で売ってるヤクだよ!」

「誰が売っている?」

「それは……」

 薬指を折った。

「ぎゃあああっ!?」

「おい、ダルス……」

 中指に手をかける。ここから先は間髪入れずに矢継早に質問を繰り返す。考える間を与えず、常に痛みを意識させることで、相手に嘘をつけなくする。

「誰が売っている」

「な、名前は知らねえ! シュレスカ通りの奥にいる奴だ!」

「値段は」

「2万5,000ルーヴル!」

「何回分だ」

「3回分だ! もう勘弁してくれ……」

「他の売り場は」

 ダルスの手の甲に温かいものが触れた。見ると、コリウスがピサレンコの指にかけた手を押さえていた。ダルスが見上げると、コリウスが懇願するような目で見下ろしていた。

「もうやめて」

 ダルスの手から力が緩む。ピサレンコの腕が自由になった。ピサレンコはダルスの下から這い出し、ほうほうの体で逃げ出す。

「ちくしょう、何なんだよ畜生がっ!」

 逃がしたら後々面倒なことになる。止めを刺さなくてはいけない。そうわかっているのに、ダルスは動けない。繋がれたコリウスの手を、放せなかった。ピサレンコは店を飛び出し、通りの向こう側に消える。

「ダルス、どうしたの、一体」

 戸惑うコリウスの声で、ようやくダルスは我に返った。額に汗が吹き出す。震える体を必死に抑える。

「大丈夫?」

「どうした、アンタ……」

 コリウスの気遣いも、スザンナの驚きも無視して、ダルスは何とか自分を抑え込んだ。そっと、驚かさないようにコリウスの手を放す。

「……刃物を向けられて、少し頭に血が昇った。それだけだ」

「いや……」

「それより、シュレスカ通りというのは、どこにある?」

 何か言いかけたスザンナを遮り、ダルスの方から質問した。

「何、どうするの?」

「……別に。ただ、場所に気をつけておこう、と思っただけだ」

 どちらからも答えはない。それならそれでいい。ダルスは部屋に戻ろうとする。その背中にスザンナが声をかけた。

「……おい、早まった真似はするんじゃないよ」

「何もしないさ」

 舌打ちして足を進める。それは確かな本心だった。

「二度とやらないと決めたんだ」

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