第22話 警略

 ミルジェンスク警察署。副所長ドミトリーの勤務は1分間の手洗いから始まる。それから机の周りの掃除を行い、机上を整理整頓し完璧に揃える。朝礼を終え報告書の確認を始めようとすると、署長のローアンに呼び出された。これから仕事だというのにタイミングが悪い。1分間手を洗って、苛つきを押さえてからドミトリーは署長室へ向かった。

「お呼びですか、署長」

「……アゴン・スズハレイのマクシムが倒されたそうだ」

 スマートフォンを手にしたローアンは、憂鬱な顔で告げてきた。

「それは、なんとも……死んだのですか?」

「いや、だが死んだも同然だ。これを見ろ」

 ローアンのスマートフォンを見ると、白目を剥いて気絶しているマクシムの顔が大写しになっていた。見覚えのある汚い顔が、更に汚くなっている。他にも、マクシムの部下たちが倒れている写真がある。場所はいずれもアゴン・スズハレイのVIPエリアだった。

「SNS上にこの写真がばら撒かれた。刑事課の連中も通報を受けて駆けつけているから、フェイクではない」

「誰がやったのですか?」

「……わからん」

「は?」

「マクシムの奴、素直に喋らんそうだ。この期に及んでまだ面子を気にしているらしい」

 どうやらよほど恥ずかしい相手に叩きのめされたようだ。ドミトリーとしては、あの粗暴な男は嫌いだったので、胸のすく思いだった。

「こんな写真をバラ撒かれて、プライドも何も無いでしょうに。お笑い草だ」

「笑い事ではないぞ。コズロフ・ファミリーがやったという噂がある」

 その言葉にドミトリーは耳を疑った。

「冗談でしょう?」

「まあな。だが昨日、コズロフ・ファミリーとホテルが交戦したのは確かだ。なら、マクシムを襲ったのも奴らと考えるのが自然だろう?」

 ローアンの言うことには一理あるが、ドミトリーとしては賛同しかねた。

「……噂は噂。あんな貧弱な連中にここまで大それた事はできんでしょう」

「確かにな。だが、その貧弱な連中から線路一本買い取れないのは、どこの誰だったかね?」

 ドミトリーの喉から呻き声が漏れた。駅の買収は未だ済んでいない。破格の条件を出しているのだが、駅長が首を縦に振らないのだ。もはや、金銭や取引で交渉を締結することは不可能なのは明らかであった。

「……連邦保安局の連中に嗅ぎつけられたら厄介だ。手段は問わん。早く決着をつけたまえよ」

 つまり、これ以上待つことはできない。連邦保安局が来ている今、むしろ大人しくしていたほうが良いのだが、ローアンの気分はそうではないのだろう。ドミトリーの計算には反するが、ローアンに沿ったプランも用意はしてあった。

「でしたら……とっておきを出しましょう」

「ほう?」

「目には目を、歯には歯を。コズロフ・ファミリーの連中には、身内同士で潰しあってもらいます」

「ならば、確実に成功させろ」

 話を終えたドミトリーは、署長室を後にする。洗面所に立ち寄り、手を洗い、それから携帯を取り出した。

「私だ。『ゼミリヤ』と連絡がつくようにしろ」


――


「これ、何に使うんだい?」

「焼きそば」

 青ノリの段ボールを受け取ったダルスは店主のタルコフに代金を支払った。ユリアンが言っていた通り、青ノリが新たに入荷されていた。これで焼きそばの完成度が上がる。

 マクシムとの戦いから一夜明け、ダルスは市場に買い出しに来ていた。結局、酒場が襲われないまま事件が終わったので、今日から通常営業になる。そのための食材が必要だった。

 マクシムとの戦いは大騒ぎになったものの、噂が錯綜するだけで実害は引き起こしていなかった。恐らく、マクシムが詳細を誰にも話していないのだろう。無理もない。何しろ武闘派で鳴らしているマフィアの一派が、たった1人にアジトを襲われて叩きのめされたのだ。恥ずかしさの余り自殺してもおかしくない。

 警察の捜査も進んでいない。コズロフ・ファミリーが徒党を組んで襲撃したと決めつけているので、客として1人でクラブに入り込んだダルスに辿り着けないのだ。マクシムが素直に警察に話せば真実が明らかになるが、その時は永久にやってこないだろう。

「ところで、日本のラーメンは入っていないか?」

「入ってないねえ」

 ダルスの問いに、タルコフは首を横に振る。

 ユリアンを始めとした酒場の客は、妙にラーメンを食べたがっていた。もしあれば、と思ったがやはり見つからないらしい。

「作っちゃえばどうだい?」

「無理だ」

 ダルスが働いてた店では麺もスープも作っていたが、それができたのは店主と、"ユキリ"を許された一部の人間だけだ。

「通販で取り寄せたら?」

「そうすると自腹になるんだよな……」

 日本から輸入すれば、麺もスープもセットになった商品が届くのだが、やや高い。それに、店の金で買うのはスザンナが許さないだろう。借金を増やしてまでラーメンを作るつもりはない。

「しょうがないね。まあ、探してみるからさ。皆にはゆっくり待ってもらうよう、言っといてよ」

「わかった」

 タルコフと別れ、ダルスは市場をめぐる。コリウスは来ていない。少し前から、ダルス1人でも買い出しに来ている。スザンナの判断だ。確かに場所さえ覚えれば買い物は1人でもできるし、力仕事になるからコリウスの手を煩わせるのも悪かった。

 本日分の食材を買い終えたダルスは、花屋の前を通りかかった。

「ダルスさん!」

 すると、元気な声が飛んできた。花屋のオリンピアだ。

「今日は何か買っていきますか?」

「いや、特に頼まれてはいないんだが……」

 オリンピアは店の前を通る度に、ダルスに声をかけてくる。特に買い物はしないのだが、オリンピアの楽しそうな話し方を見ていると、何だか申し訳なく思えてくる。

「でも、コリウスのステージに何か飾ったほうが良いと思いますよ? 前に飾った時も良かったでしょう?」

 そう言われて、以前のコリウスのステージを思い出す。鈴のようなコリウスの歌声。それを遮る油の音。立ち上る蒸気。香ばしいソースの匂い。

「そうだな……何か買っていくか」

 詫びである。

 ダルスは並んでいる花を一通り見た。色鮮やかな花が並んでいるが、どれがステージに似合うのかさっぱりわからない。

「……何がいいと思う?」

 ダルスが聞くと、オリンピアは満面の笑みを浮かべて胸を張った。

「お任せください!」

 ダルスの頼みを受けて、オリンピアは並ぶ花を吟味する。

「あそこのステージはちょっと暗いですから、明るい色の花がおすすめですね。なので……」

 少し考えた後、オリンピアは横長のプランターを手にとった。

「むふーん、これがおすすめです」

 薄紫色の花だった。花びらは尖って細長い。茎も葉もほとんどなく、まるで地面から直接花が生えているようだ。そんな花が1つのプランターから10数個咲いていて、薄紫色の絨毯のようにも見える。

「これは?」

「コルチカムです。ちょうど、今の季節が旬の花ですよ」

 初めて聞く名前だ。いい花だとは思う。ただ、一つ問題がある。

「……少し大きいな」

 プランターが大きかった。他の荷物も考えると、ミニバンには積めないかもしれない。悩んでいると、オリンピアが申し出た。

「よろしければお店までお持ちしますよ?」

「いいのか?」

「はい! スザンナさんにはお世話になってますので!」

 そういう事なら迷う必要はない。ダルスはコルチカムの花を買うことに決めた。

「なら、頼む」

「ありがとうございます! お花はお店が終わったら、えーと、午後にお届けします!」

 オリンピアは礼をして、コルチカムを裏手に運んでいった。

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