第59話 浄瑠璃

 閃光が目を打つ。

 衝撃が体を打つ。

 轟音が耳を打つ。

 硝煙が鼻を打つ。

 鮮血が舌を打つ。


 防弾チョッキを着たローアンの体を盾にし、防弾繊維コートに身を包んでいても、軍用ライフルの連射を無傷でやり過ごすことは不可能だ。

 拳銃弾とは比べ物にならない猛撃がハザエルを襲う。全身をバットで殴られているかのような感覚。筋肉が断たれ、神経を抉られ、骨が砕ける。

 それでも倒れない。踏み止まる。倒れれば終わりだ。咆哮する。あるいは絶叫か。どちらもハザエルの耳には届かない。全ての音が銃声に上書きされている。

 不意に、音が止んだ。同時に体を襲っていた衝撃が消えた。手の中の肉塊を取り落とす。ローアンだった物体は、鉄の暴風を浴びて原型を留めていなかった。

 ハザエルは――否、ダルスは、まだ立っている。許容量を超える衝撃で暗示が解けた。全身くまなく苦痛に苛まれている。大口径のライフル弾はコートを貫き、いくつもの銃創をダルスの体に与えている。衝撃は内臓を破り、口からは血泡を吹き溢れさせている。

 それでも緑眼は爛々と輝き、前を見つめている。

 その先にいるのは、カイン・ディアギレフ。

「……勘弁してくれよ」

 カインは引き攣った笑いを浮かべていた。

「コンクリートの壁もぶち抜く、連邦軍御用達の制式ライフルだぞ? 倒れてくれなくちゃ困るんだが……」

 倒れている。普通なら。倒れられない理由がある。

「コリウス、無事か!?」

 叫ぶ。返事を祈る。

「ええ……ダルス、大丈夫なの……!?」

 あった。姿は見えないが、その声に苦痛の色は無い。

「……俺が良いと言うまで出てくるな。危険だ」

 ダルスはカインから目を逸らさない。カインもダルスから銃口を逸らさない。

「そこまでご執心かい。『傀儡師』もこうなっちまえば型ナシだな」

「……知っていたのか」

「ついさっき、な。最初から知ってりゃ、ショットガンと爆弾と……とにかく統計なんて意味ないぐらいメチャクチャにしてやったよ」

  正しい認識だ。いかにクグツといえども、避けられない攻撃を浴びれば死ぬ。

「エイフマンも、モンテカルロも、ミハイロフスキー、マリインスカヤも、みぃんな死んじまった。署長さんも、マフィアの皆さんも、ひとり残らずだ」

 カインが口を動かしている間に、ダルスは体を確認する。

 両足。左の太腿に銃弾が刺さっている。これが一番の重傷だ。まだ立っていられるから、神経や骨は無事なようだが、出血は無視できない。

「良い奴らだったとは言わねえよ。俺も悪人だからな。だがよ……クソッタレ、アンタ1人のせいで何人死んだ?」

 両腕。指は失っていない。左肩が呼吸をする度に痛む。右腕の一部はライフル弾で抉られている。

「大富豪に子ども兵、軍隊、マフィア、隣の国の盗賊に、旧政権の残党。極めつけは何の罪もない一般市民。敵も味方も殺しまくってる癖に、そこのお嬢さん1人は助けようとするのか?」

 胴体。右脇腹に穴が空いている。それに内臓のどこかで出血。断続的に血反吐がせり上がる。

 頭は左耳が熱い。千切れたか。確認する術は無い。戦闘に支障はない。無視する。

「同じ悪党から言わせてもらえば、だ。今更になって真人間みたいな愛を語るんじゃねえよ。悪党らしく、一人寂しく死んでくれ」

 確認終了。動ける。それだけで十分だ。残りの命の多寡は問わない。

「ベラベラと喋ってる暇があったら、リロードしたらどうだ?」

 ダルスはカインに対して言葉を投げかけた。カインはピクリとも動かない。ダルスの心臓に狙いを定めている。

「必要ねえ。まだ残ってる」

「いや、空だ。銃声は30発、マガジン1個分だ」

「ハッタリだ。弾切れだってわかってたら、その銃を拾えばいいだろうに」

 ダルスとカインの間には、署長の手からこぼれ落ちた拳銃がある。だが、ダルスは拾わない。

「その銃だと威力が足りん」

 下の階でコッペリアと戦った時に、彼らの白いコートにも防弾繊維が編み込まれていることに気付いた。故に、拳銃弾では貫けない。

 頭を狙えば良いが、飛びついた瞬間に向こうもマガジンを取り替えるだろう。狙えて1発、分が悪い。早撃ち勝負は得意ではない。だから、拾うなら確実に頭を狙えるようにしなくてはならない。

「なら、どうするつもりだ? 武器無し、体力無し。このまま俺に撃たれるのを大人しく待つか?」

「ソビエトカラテだ」

「あん?」

 右手を握る。拳を見せつける。

「ソビエトカラテ必殺の正拳突き。一撃でお前を吹き飛ばして、ベランダから突き落として、殺す」

「……無理すんなよ。読めてる。使うのはクグツだろう?」

 その通りだ。だが、今の一言でカインは柵との距離を気にした。これで後ろに下がりにくくなった。

「クグツ、ああ、全く大したもんだよ。リブリアの一騎当千の戦闘術。初めて聞いた時は冗談だと思ったが、こうして目の当たりにするとマジだったって思い知るよ。なるほど、こいつを身に付けていれば――」

 不意に、カインのライフルからマガジンが落ちた。リロード!

 その瞬間を待っていた。ダルスは前転しつつ、床の拳銃を拾い、立ち上がりつつカインのライフルへ掌底を放つ。弾倉交換が終わった直後のライフルを弾き飛ばし、拳銃をカインの眉間へ――。

「確かに無敵だ」

 カインの白いコート、右の袖口から、拳銃が現れた。バネ仕掛けで飛び出してきた。ダルスのコートと同型の機構。

 眉間に突きつけたはずの銃口が逸れる。カインの左手が払っていた。そしてカインの右手の銃口がダルスを向く。左手を伸ばして、半身を回転させ銃口を逸らす。

 引き戻した右手を突き出し、再度拳銃を向けるが、戻ってきたカインの右手の拳銃に阻まれた。金属同士がぶつかり、甲高い音が響く。

 銃同士の鍔迫り合い。この状況、この動きをダルスは知っている。

「貴様も……『傀儡師』か……!」

「そういう事。まあ俺は又聞きで教わっただけだがね」

 拳銃が押し返される。銃口を避ける。耳元で火薬が爆ぜた。

「死んでもらうぜ、ハザエル・ディマスカ」

 呼びかけに応える。

「なら、上手く殺してみろ」


 ゼロ距離での銃撃戦が始まる。ダルスが銃を向ければ、カインが手で射線を逸らす。カインが引き金を引けば、ダルスが身を反らして避ける。

 さながら舞のような応酬が繰り広げられる。だが、2人の間に舞い散るのは祝福の紙吹雪ではない。死の銃弾だ。


 クグツ使い、つまり『傀儡師』同士の戦いは日本の人形劇になぞらえて『浄瑠璃』と呼ばれる。

 浄瑠璃は格闘だが、その実態は計算式の示し合いだ。お互いが統計データに従って相手の攻撃を無力化し、自分が有利な位置を取る動きを繰り返す。攻守は絶え間なく入れ替わり、必殺の銃弾は互いをかすめて虚空へ放たれる。

 理論上、クグツ同士の戦いは千日手となる。だが、クグツを使うのは疲れを知らないコンピューターではなく人間だ。練度、思考速度、疲れ、負傷、様々な要因によって、先に計算が追いつかなくなった方が負ける。これを、傀儡師たちは『糸に絡め取られる』と呼んでいる。


 ダルスの左手がカインの銃を掴んだ。すかさず右の銃口をカインに向けるが、カインの左手に払われ銃弾は当たらない。更にカインは踊るように、全身を大きく回転させる。関節の限界。ダルスは銃を手放し、守りに入る。

 ダルスが繰り出すクグツは銃撃理論を最速で実行する正統派のものだ。更にダルス自身の長年の実戦経験を経て、一つの戦闘技術として昇華されている。だが今は負傷と疲労が重なり、動きそのものが鈍い。


 掌底によって銃口を跳ね上げられたカインは、セオリーを無視して銃を振り下ろした。グリップ下部がダルスの鼻に叩きつけられる。鼻骨が折れ、鼻血が吹き出すが、ダルスは目を閉じない。カインは追撃を諦め、銃を奪い取ろうとする左手に対抗する。

 カインが繰り出すクグツは荒い。基礎理論しか習得しておらず、専用の暗示も持たない。そのハンデをアレンジで補っている。必殺を重ね続けるのではなく、負傷を重ねて最後の必殺に繋げる戦闘技術だ。


 銃口をフェンシングの如く繰り出し、ダルスは攻める。カインは銃口を逸らされるが、構わず引き金を引いた。銃弾はダルスの肩に当たった。

 本来なら愚策だ。ダルスは無視して詰めにかかっただろう。しかし、今のダルスは痛みを無視できなかった。顔が苦痛に歪み、動きが僅かに鈍る。

 その一瞬の隙を突き、カインが腕を伸ばした。銃を握るダルスの右腕に、蛇のように左腕を絡ませ、体全体を回転させて関節を極める。へし折るまでは行かなかったが、ダルスの右手から銃が零れ落ちた。

 体勢を立て直したダルスは、向けられた銃を空になった右手で弾く。防戦になる。攻め手がない。予備の拳銃を抜く余裕など無い。糸が絡みついている。

 カインは自分の有利を確信しているが、焦って仕留めようとはしない。着実にダルスの逃げ道を潰してきている。このまま浄瑠璃を続けていれば、糸に絡め取られるだろう。


 糸を断ち切る。ダルスは踏み込み拳を繰り出す。ソビエトカラテ。カインの脇腹に拳が突き刺さる。赤眼が苦痛に細められる。銃口が突きつけられるが、ダルスは左手で弾く。攻防一体。クグツは格闘戦においても有効である。

 両腕をフル回転させ、ダルスは打撃を繰り出し続ける。時間がなかった。額に熱い感覚がある。傷が開いた。今はバンダナで抑えているが、いずれ溢れて片目が塞がる。そうなれば終わりだ。その前に決着をつけなければいけない。

「オオオオオッ!」

 咆哮。左正拳、右フック、左肘打、そして鳩尾への右正拳。肩、脇腹に当たり、肘は拳銃を弾き、拳が胴体に突き刺さる。

 吹き飛びかけたカインの体が止まった。背中に柵があった。

「ッ!?」

 距離が開けば銃で撃てばいいと思っていたのだろう。カインの顔に驚愕が浮かぶ。狙いはその顔。ダルスは拳を構え、左足を前へと踏み出す。

 踏み込んだ足に、カインが蹴りを入れた。いや、蹴りとも呼べない、つま先で軽くダルスの太腿を触る程度のものだった。

 クグツで蹴りは使わない。1秒にも満たない時間とはいえ、片足立ちで動きを止めることは死に直結するからだ。故にその動きはダルスにとって盲点だった。

 ダルスの動きが止まった。カインが蹴った場所は、ライフル弾が突き刺さった銃創。許容を遥かに超えた痛みに、ダルスの意識が一瞬飛んだ。

 ダルスはすぐに息を吹き返し、右の掌底を放つ。しかし遅かった。顔面に届く寸前で、カインの左手が掌底を受け止めた。肌と肌がぶつかり合う。隻手の声が鳴り響く。

「獲った」

 カインはダルスの右手を掴み、引き戻させない。そのまま右手の銃を向ける。ダルスの左手は腰の位置。払うには間に合わない。

 故に、ダルスは、右"腕"を捻った。

 コートの袖口に仕込まれた自動給弾機構が起動する。予備の弾倉は下の戦闘で既に消費している。故に、収められていた金具だけがバネ仕掛けで飛び出す。

 金具の先端はナイフのように研ぎ澄まされている。それが伸びる先は、カインの喉。

 肉を貫く感触が手首から伝わる。カインの体が大きく痙攣する。震えが右手に伝わり、引き金が引かれる。炸裂音。銃火がダルスの顔の左を灼く。銃弾は虚空を穿ち、はるか後方の床に突き刺さる。

 右腕を捻る。カインの喉から、ごぼ、と血が溢れる。押し付けて、引く。半ば切断された首から、血が吹き出す。

 カインの口が動くが、声は出ない。声帯を抉った。カインの体が力を失い、音を立てて倒れた。

 次いで、ダルスの口から血が溢れた。

「ゴボッ……!」

 全身が灼けていた。熱か痛みか区別がつかない。それでも膝はつかない。

 足を引きずりながら部屋の中に戻る。そして呼びかける。

「コリウス」

 カウンターの影から、彼女はこわごわと顔を出した。エメラルドの髪、アイスブルーの瞳。変わりない彼女が、そこにいる。

「……すまない、遅くなった」

 コリウスは何も言わず、カウンターの影から飛び出してダルスに抱きついた。ダルスは無言でそれを受け止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る