第8話 追跡者

 ミルジェンスク警察署。この街における法の守り手である。以前から鉱山労働者の暴力事件や、違法な採掘、恐喝などが頻発していたが、近年は街に新型麻薬も蔓延しており、どの部署も休まる暇がない。

 慌ただしく働く警官たちの間を、事務員に案内されて1人の男が歩いている。黒髪に不吉な赤目の、精悍な中年男性だ。目立つのは羽織ったロングコート。混沌とした署内では輝くような白色だ。

 エレベーターを降り、廊下を歩き、辿り着いたのは署長室。受付嬢がノックすると、中から返事があった。

「何だ?」

「連邦保安局の方がお見えになられました」

「通せ」

 ドアが開き、カインは中に入る。そこで待っていたのは制服に身を包んだ、やや太り気味の壮年の男だった。事務員が一礼してドアを閉める。

「連邦保安局組織犯罪対策課、カイン・ディアギレフです」

 連邦保安局。連邦中央政府直属の治安機関であり、地方政府や警察では手に負えない大規模・広範囲の犯罪に対応している。主な任務はテロ対策、密輸・麻薬取締、スパイや不穏分子の摘発など。その中でも組織犯罪対策課は大統領の密命を帯びて行動することも多い精鋭部隊、エリート中のエリートだ。

「署長のローアン・アダムです。よろしく」

 カインとローアンは軽く握手を交わす。

「中央からはるばるようこそ」

「こちらこそ、所長自らおもてなしいただけるとは意外でした」

「中央政府直属の捜査官がお越しともなれば、部下には任せられないでしょう」

「すみませんね、色々お忙しいでしょうに」

「お気になさらず。何、私は前線に立ちませんから。これが仕事ですよ」

 表面上は穏やかに話しているが、その実、カインはローアンを値踏みしている。果たして、どこまで立場をわきまえている人間か。

「仕事ですか。素晴らしい。では、こちらも仕事の話をするとしましょう」

 カインは手持ちの鞄からファイルを取り出した。クリップで止められた数枚の書類。その上には写真が貼られている。望遠画像をむりやり引き伸ばしたもので、画質は悪い。それでも、写っているのが帽子を被った男だということはわかる。

「この男、ご存知ありませんか?」

「……彼は?」

「ハザエル・ディマスカ。先日掃討したテロ組織、トゥエリスタン独立派の幹部です。コイツが、この街に逃げ込んだ可能性がある」

「……本当ですか。テロリストですよね?」

「ええ。少なくともここまでの足取りは掴めています。ここで列車を乗り換えたか、陸路で別の町に向かったか、あるいはまだこの街にいるのか。それをはっきりさせるために、しばらくこの街で捜査をしたいのです」

 ローアンは写真を手に取り、ふむ、と唸る。

「恐ろしいですな。トゥエリスタン独立派とは……ピーチェルの爆弾テロは、私もニュースで見ました」

 2ヶ月ほど前、連邦西部の街、ピーチェル郊外で爆破テロ事件が起きた。休日の遊園地を狙ったこのテロにより、100人以上が死亡、300人以上が負傷した。

「ええ。あれは絶対に許しちゃならん所業です。隠れてコソコソ麻薬を売ってる小悪党より、コイツの方がよっぽどの悪党だ」

 微妙な沈黙。読み違えたか、とカインは緊張する。

「……公人としては、テロリストも密売人も等しく捕まえるべきだと考えております」

「あ、そりゃ当然ですね。失敬失敬……」

「ですが、私情を挟むのであれば、国家に反逆するテロリストを捕まえることに協力は惜しみません」

 ローアンはニヤリと口元を歪めた。カインも釣られて、忍び笑いを漏らす。

「流石、話がわかる。とはいっても、そこまで大げさにしなくていいんですよ。私と部下の行動の自由を保証してくれれば、それでいい。聞き込みをしただけで警察に捕まってたら、捜査になりませんから」

「承知しました。では、部下を数名つけましょう。微力ですが、皆さんの助けになると思います」

「お忙しいのに……わざわざどうも」

「他には何か? よろしければ、指名手配の準備もいたしますが」

「いや、それは結構。むしろ止めた方がいい。下手に刺激すると大変だ」

 壊滅したとはいえ、ハザエルは一組織の幹部だ。部下や協力者が近くにいるに違いない。もし、追手が目の前まで迫っているとわかれば、逃げ出すかもしれない。あるいは、ピーチェルの再演を行う可能性もある。

「奴は我々が秘密裏に始末します。署長さんはご自分のお仕事に専念してください」

 その後は、細かい調整と他愛のない雑談を交わして、カインは署長室を出た。来た時と同じように受付嬢に案内され、警察署を出る。駐車場に向かうと、白いワゴン車が止まっていた。カインが来た事に気付いた部下が、中からドアを開ける。

「よし、出せ」

 カインが乗り込み声をかけると、車は走り始めた。運転手と助手席、それに後部座席に2人。合計5人。いずれもカインと同様の白いコートを着ている。

「いかがでしたか、課長」

 そのうちの1人がカインに声をかけた。カインは座席に体重をかけつつ答える。

「許可は取り付けた。条件は2つ。向こうのビジネスには不干渉、監視要員を受け入れること。ま、読み通りだ」

「署長はこちら側に引き込めそうですか?」

「難しいな。ありゃあ、未来の儲け話よりも今の貯金を気にするタイプだ。まずは奴のビジネスの証拠を集める。言い逃れできない所まで追い詰めるまでは、手を出すな」

 カインたちがこの街に来た目的は2つ。1つは額面通り、ハザエル・ディマスカを探すこと。もう1つは、これが真の目的で、警察署長ローアンのビジネスを調べることだ。

「了解しました……ハザエルはどうしますか?」

「いるわけないだろ、こんな辺鄙な街に」

 カインの読みでは、この街にハザエルはいないと踏んでいた。ミルジェンスクの街は鉄道こそ通っているものの、大半が貨物鉄道だ。ここからは実質ヤトーツクにしか行けない。ヤトーツクは大都市で、鉄道だけでなく空港もあり、人口も多いので身を隠すには最適だ。だから、この街に残る理由が無い。

 実際、連邦保安局の人員の大半はヤトーツクに配置されていた。カインたちはおまけのようなものである。

「そうだとは思いますが……万が一、いた場合です」

「上からは応援を待てと言われてるが……警察や極東軍閥の連中に捕まったらたまったもんじゃない。俺たち『コッペリア』だけで捕獲するぞ」

「了解です」

 車は走る。連邦保安局組織犯罪対策課特務班、通称『コッペリア』の面々を乗せて。


――


 白いワゴン車が走り去る。ローアンは署長室からその様子を見下ろしていた。すると、部屋のドアがノックされた。

「誰だ?」

「ドミトリーです」

「ふむ、入れ」

「失礼します」

 入ってきたのは眼鏡を掛け、褐色の髪をオールバックで固めた男だった。神経質そうにハンカチで手を拭いている。

「署長、中央の連中が着たという話ですが?」

「うむ、この街にトゥエリスタン独立派のテロリストが逃げ込んだらしい。それで調査をさせろという話だ」

「……許可を出したのですか?」

「監視付きでな」

 ローアンの返事を聞いて、ドミトリーは苦々しい顔をした。

「こんな街にテロリストが逃げ込んでくるとは思えません。恐らく狙いは……」

「わかっている。だが、中央の申し出を断ることはできんだろう」

 昔と比べれば影響力が低下したとはいえ、中央政府の権力は依然として健在である。たかだか一地方の警察署長の権力では、連邦保安局に逆らうことはできない。

「ドミトリー、奴らの監視はお前に任せる。ホテルと倉庫には絶対に近付けるな。部下の人選は好きにしろ」

「……畏まりました」

 ドミトリーが頷いた。

「よし。ところでドミトリー、線路の件はどうなっている?」

「ああ、それはですね……順調です。順調ですよ、ええ。向こうでの人員は手配できました。ただ、駅の搬入に問題がありまして……」

「……時間がかかるのかね?」

「いえ! 目処はついております。なるべく穏便に済ませたいので、もう少しだけ待っていただければ……」

「構わん。私は気の長い方だ。損害が出なければそれでいい。だが……」

 前置きして、ローアンはドミトリーを睨みつける。

「待つことが損害になるようであれば……わかっているな?」

「……すぐに取り掛かります」

 ドミトリーは顔を引きつらせて、署長室を出ていった。部下に釘を差し終わったローアンは、大きくため息をついて椅子に座る。本革張りの上等な椅子が、ギシリ、と音を立てる。灰皿に残っていたタバコを押し潰し、新しいタバコを1本、火を点ける。

 紫煙を燻らせ、ローアンは思案にふける。連邦保安局がやってきたのは予想外だった。だが、ローアンが長い年月をかけて組み立ててきたシステムは完璧だ。何かしている事を予想はできても、確たる証拠は掴めない。そしてドミトリーの仕事が終われば、もはや連邦保安局、いや、中央など恐るるに足りない。

「ようやくここまで来たのだ。誰にも邪魔はさせんぞ……!」

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