第9話 はじめてのおつかい

 カーテンを開けると、朝日がダルスの目を打った。今日のミルジェンスクは曇りだった。空は明るいので、雨の心配はなさそうだ。顔を洗い、テレビをつけて、朝食を準備する。

 焼いたパンと淹れたてのコーヒーをテーブルに並べると、ダルスはさっさと食べ始める。テレビのニュースでは、リブリア新政府の要請で、連邦が治安維持のために軍を派遣することを伝えている。これで今年3回目の増派だ。数年前に政変が起きた隣国は、まだまだ政情不安定のようだ。

 朝食を済ませると、ダルスは寝間着から仕事着に着替える。いつもの生活リズムに変わりはない。

 仕事を初めて一週間。大分この生活にも慣れてきた。始めの頃は昔の癖が出ていろいろと迷惑をかけたが、それさえ直せば楽なものだ。少なくとも、今までの仕事よりはずっと。

 ただ、その分実入りも少ない。今のペースだと、借金を返すまでに時間がかかる。出費を抑えるためにもっと安い部屋を探したが、意外にも見つからなかった。少々古く交通の便は悪いが、家賃が安く家具もついてきたこの部屋は意外と優良物件だった。

 それなら他にも住人がいそうなものだが、ここにはコリウスとスザンナしか住んでいない。不思議に思ってコリウスに聞いてみると、スザンナの出す条件が厳しいので、他の人間は部屋を借りられないそうだ。ダルスは無断で担ぎ込まれて住み着いているのでなあなあになっているだけらしい。運が良いのか悪いのか、判断しかねる。

 着替えたダルスは1階に降りた。店内の掃除と朝のゴミ出しに取り掛かる。店が開くのは夕方からだが、ゴミ収集は朝に来るし、一緒に掃除を済ませればいろいろと楽だ。

「おはよう、ダルス」

 掃除を進めているとコリウスが降りてきた。

「おはよう」

「何か手伝う?」

「なら、食器を頼む」

 食器は昨日のうちに洗って乾かしてある。棚に戻すだけでいい。スザンナは朝になってからで良いと言っていたが、散らかった流しをそのままにするのは飲食店としてマズいので、ダルスが洗っている。

 生ゴミ、燃えるゴミ、ビニールゴミなどを分け、店の裏のゴミ箱へ。そして生ゴミと燃えるゴミの袋の口を縛り、両手に持つ。今日が収集日だ。歩いて3分の集積所に置いていく。

 店に戻るとスザンナも降りてきていた。皿は片付け終わったようで、コリウスと何か話をしている。

「おはようございます」

 雇い主なので挨拶はする。

「……ふん。ちゃんと仕事してるみたいだね」

「仕事だからな」

「だったらもう一つ仕事だ。買い出しに行ってきな」

 そう言うと、スザンナは車の鍵を取り出した。

「買い出し?」

 どうやら、新しい仕事のようだ。

「そうだよ。店で使う料理の材料だ。裏の駐車場にある車を使いな」

 そういえば、コリウスが買い出しに行っていたのを覚えている。それを任せるということは、スザンナは少しはダルスの仕事を信用する気になったらしい。

「わかった。何を買ってくればいい?」

「メモ書くから、それを持ってきな」

「お婆ちゃん、私も行っていい?」

 コリウスの提案に、スザンナは少し考えてから頷いた。

「ああ、そうだね。最初は案内があったほうが、いろいろ便利だろ」

「ありがとう。それじゃあダルス、準備してくるから、ちょっと待っててね」

 そう言うと、コリウスは軽い足取りで店を出ていった。

「ところで」

「何だい」

 買い出しに行くにはもう一つ、必要なものがある。

「免許証を返してほしいんだが」

「いらないよ」

「えっ」

「ここの警察は交通安全なんて気にしてないよ。気にせず行ってきな」

 この街はいろいろと大丈夫だろうか。少々心配になるダルスだった。


――


 店の車は古いワゴン車だった。デザインは古いがメンテナンスは行き届いている。コリウスが言うには、近所の工場に勤めている常連の客がサービスで修理してくれているらしい。

 そんな訳で、ダルスはコリウスを乗せて市場に向かっている。

「そこ、右ね」

「ああ」

 助手席のコリウスが道を教えてくれる。一応、場所はスザンナに教えてもらっているし、店にあった地図も確認しているのだが、やはりその場でナビゲーションしてくれるのは助かる。

「そこのタバコ屋さんのお婆ちゃんはタチアナさんって言ってね。スザンナお婆ちゃんのお友達なの」

「……ああ」

 ただ、道案内だけでなく街の紹介もしてくるのは情報が余計すぎる。そのせいで市場までの道と一緒に街の人間模様まで覚えてしまっている。

「あ、そこの左がエイフマンさんの工場よ。車を見てくれる人」

「ふむ」

 街を紹介されて、わかったことが一つある。スザンナの交友関係は広い。タバコ屋から街のマフィアまで、誰もが彼女に頭が上がらない。コリウスとは違う意味で、何者か気になった。有名人なのだろうか。

「あ、ここ、曲がって」

「うん?」

 言われた通りに曲がる。一見何の変哲もない通りだったが、コリウスの声色が少し違うのがわかった。

「……今のは?」

「今のとこ、ミガン・ストリートって言ってね。お婆ちゃんに入るなって言われてるの」

「そうか」

 恐らく治安が悪いのだろう。一瞬しか見えなかったが、窓ガラスが割れた建物が見えた。ミルジェンスクの街は寂れているが、割れたガラスを放置するほどではない。少なくとも、ダルスが見て回った限りでは。

 そのようにして街を案内されているうちに、車は市場に辿り着いた。駐車場に車を停め、後部座席からクーラーボックスと台車を下ろすと、ダルスはコリウスに連れられて市場へ入っていった。

 市場の中は、売る人間と買う人間が入り乱れてごった返していた。店の品揃えにも活気があり、肉、果物、魚、調味料といった食べ物はもとより、食器や家具といった店内用品、伝票やペンなどの事務用品なども売られている。

「まずはカタリナさんのお肉屋さんに行きましょう。こっちよ」

 ダルスはコリウスの後に続いて台車を押していく。通路が狭く、すれ違うのがやっとだが、気をつければぶつからない。やがて、市場の一角にある肉屋に辿り着いた。店番をしているのは、浅黒い肌の中年女性だ。

「おはようございます、カタリナさん」

「おはよう、コリウスちゃん。おや、誰だいあんた?」

 店主のカタリナは早速ダルスに気付いたようだ。ダルスが名乗る前に、コリウスが紹介する。

「この人はね、ダルスって言うの。先週からお店で働いているのよ」

「……ダルス・エンゼルシーだ。よろしく」

「へー、やっと新しい奴が入ったのかい。良かったねえ、コリウスちゃん」

「ええ。今度からはダルスが買い出しに来ると思うから、よろしくね」

「ああ、男手が入ってきてホッとするよ。コリウスちゃんひとりじゃ、積み込みが大変そうだったからねえ」

 確かに、女1人で市場に買い出しに来るのは大変そうだ。コリウスの体は細い。力仕事が得意そうには見えない。

「それじゃあカタリナさん、豚肉を3kgください」

「あいよ、待ってな」

 コリウスの注文を受けて、カタリナは肉を袋に包む。そしてダルスに手渡した。

「はい、豚バラ肉」

「どうも」

 肉を受け取ったダルスは眉をひそめた。3kgにしては妙に重い。袋の中を除くと、豚肉だけでなく鶏肉も入っていた。

「待った、これは頼んでないぞ」

 コリウスから代金を受け取ったカタリナは、ダルスの質問に対して大笑いした。

「いいのいいの、サービスよ。頑張りなさい」

「……感謝する」

 ありがたい話なので、素直に受け取った。コリウスもダルスの様子を見て、ニコニコと笑っている。

「それじゃあ、次のお店に行きましょうか」

「次は?」

「魚ね。こっちよ」

 肉をクーラーボックスに入れてコリウスの後についていく。やがて、さまざまな魚が並んでいる店に辿り着いた。

「おう、らっしゃい、コリウスちゃん」

 店主らしい男が声をかけてくる。

「こんにちは」

「どうも」

「誰だいそいつは」

「ダルスよ。新しく働くことになったの」

 ダルスは無言で会釈した。

「ほーん。まあええわ。今日はどうする?」

「サーモンとタラ……それと、イカね」

「あいよ。ちょっと待ってな」

 店主は言われた魚を手早く袋に詰めてダルスに渡した。

「ほい、これな」

「……多くないか?」

 袋が妙にずっしりとしている。中を覗くと、注文した数より魚が多い上に、エビまで入っていた。

「いいんだよ、持ってけ。仕入れたはいいけど中々売れなくて困ってたんだ。最近はどこもかしこもケチくさくてなあ。ちょっとでも高いと見向きもしないんだ」

「そうか。なら、貰っておこう」

 受け取った品物をクーラーボックスに入れる。そしてコリウスに案内されて、次の店に向かう。

 コリウスと一緒に市場を回って、わかったことが一つある。やはり、スザンナの店の評判はとても良い。どの店でも歓迎されている。最初はリップサービスかとも思ったが、様子を観察するに、本気で歓迎されているようだ。

 一通り買い物が終わった後、コリウスは花屋に向かった。

「おはようございます、アンジェリカさん」

「あーらあらあら、コリウスちゃんじゃない、おはよう! オリンピアー! コリウスちゃんが来たわよー!」

 アンジェリカの声を聞いて、裏にいた栗色の髪の女性がやってきた。顔立ちがアンジェリカに似ている。どうやら娘のようだ。

「あれ、コリウスじゃない。おはよ、今日はウチで買い物?」

「ええ。ステージにお花を飾ろうと思って」

「なるほどー」

 オリンピアがコリウスの後ろにいるダルスに気付いた。

「……その人は?」

「ダルスよ。今、お店で働いてる人」

「どうも」

 本日何度目かの自己紹介。慣れたもので、ダルスは軽く会釈をして済ませる。オリンピアはダルスを見て少し目を見開くと、会釈を返した。

「ほっほーう、ステージをウチの花で飾ってくれるわけね」

「何がいいかしら」

「そうねえ、あのステージだったら……」

 コリウスとアンジェリカは花を選び始めた。手持ち無沙汰になったダルスは、オリンピアに声をかけた。

「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「はいっ!?」

 オリンピアは酷く驚いている。忙しかったのかもしれない。

「すまん。忙しいならいい」

「いえ、全然全然! 何でしょうか!」

 少し迷ったが、本人が良いと言っているので気になっていることを聞いてみる。

「店長の……スザンナさんの店は長く続いてるのか?」

「え。 あ、お客さん、この街の人じゃないんですか?」

「ああ」

「ほおお……。あ、えっと。スザンナさんのお店は長いですよ、ええ。私のお母さんが子供の頃からだから……40年くらい? だと思います」

「そんなにか。昔からスザンナさんが厨房に立ってたのか?」

「だと思います」

 ふむ、とダルスは考える。あの料理の味で40年も店が続くとは思わない。となると、人気の秘訣はやはりスザンナ自身にありそうだ。

「あのう、お客さん。どうしてスザンナさんのお店で働くことになったんですか?」

 今度は逆に、オリンピアが質問してきた。隠すことでもないので、これは正直に答える。

「……財布を無くして。宿代と食事代と、色々借金してるから、返さないといけないんだ」

 ダルスの答えを聞いて、オリンピアは顔を強張らせた。

「借金って……返せそうですか?」

「働けば、な。3ヶ月ぐらいで返せそうだ」

「そうですか。それならとりあえず安心ですね。何か困ったことがあったら、何でも相談してください。あ、でも逃げるのはやめておいたほうがいいですよ。ボッコボコにされますから」

「そのつもりはない」

 ユリアンの手下程度ならどうにでもなるが、そこまでの騒動を起こして目立つのは避けたかった。それに、そもそも財布とパスポートを取り返す必要がある。逃げるわけにはいかないのだ。

「ダルス、決まったわよ」

 振り返るとコリウスが花束を持っていた。赤と紫の花だ。どうやらあの花をステージに飾るらしい。

「これで全部か?」

「ええ。帰りましょ」

「ありがとうございましたー! またよろしくー!」

 オリンピアの元気な挨拶に送られて、ダルスとコリウスは市場を後にした。

 

――


「何でこんなにあるんだい!?」

 市場から帰ってきたダルスとコリウスを待っていたのは、スザンナのねぎらいではなく驚愕の声だった。驚くのも無理はない。おまけを合わせるとクーラーボックスに入り切らない量になったのだ。

「サービスで貰ったんだが……」

「あいつら……何でホイホイ受け取ったんだい!」

「タダだと言っていたんだが……何かまずかったか?」

「あいつら売れない食材を全部アタシん所に回してくるんだよ。こんなに貰っても使い切れないってのに」

 ダルスは首を傾げた。

「適当に、何か作ればいいんじゃないのか?」

「あのねえ、アタシに食材を見て料理を作るなんて、シェフみたいな真似をしろっていうのかい?」

 その言葉に耳を疑った。

「店長だよな?」

「隠居の道楽だよ。真面目な料理なんて作れないっての、まったく……」

 どうやら今までスザンナの料理が簡単なものばかりだったのは、敢えてではなく本当に料理が苦手だったかららしい。それでよく40年も店が続いたな、とダルスは不思議に思った。

 しかしその疑問を解消するのはもう少し後だ。今はこの山積みになった食料品の山をどうにかしないといけない。

「それなら……今までみたいに、簡単なものを作ればいいんじゃないのか」

「メニューが思いつかないんだよ。例えばこのエビ。どう料理しろっていうのさ?」

 スザンナが示したのは小さなエビだ。そのまま出すには小さすぎるし、生ものだからとっておくわけにもいかない。少し考えてから、ダルスは呟いた。

「野菜の上に乗せて、サラダにすればいいんじゃないのか」

「エビのサラダね……ふーむ」

「茹でたエビを乗せるだけだ。それほど手間にはならない」

「それならまあ、なんとかなるか……」

 次にスザンナは、細長い野菜を手にとった。

「じゃあこれは。これは……何だい?」

「ズッキーニよ」

 八百屋から受け取ったコリウスが答える。

「これがズッキーニなのかい。で、どう料理すればいいのさ?」

「細かく切って、サラダにすればいいんじゃないかしら」

「またサラダかい。まさか、ここにある野菜を全部サラダにする気かい? メニューがサラダで埋まっちまうよ」

 他にも調理法があると思うのだが、料理が得意ではないスザンナにいきなりそうさせるのは難しいだろう。いくつかは焼いたりスープの具材にしたりすれば良いが、上手く味の調整ができるだろうか。

 考えていたダルスの脳裏に、ふと、ある単語が思い浮かんだ。 

「……気まぐれサラダだ」

「気まぐれサラダ?」

「ああ。前に通っていた店にそういうメニューがあった。レタス以外は何が入っているかしょっちゅう変わるサラダだ」

 食べていた時はいろいろな種類があるな、ぐらいにしか思わなかったが、出す側に立ってみてようやくあのメニューの真の意味に気付いた。

「エビと野菜は全部、気まぐれサラダにすればいい。賞味期限の早いものから順番に使っていけばそれっぽくなる。メニューも1種類で済む」

「……なるほど」

「そういう手があったのね。……それじゃあ、この魚は私が料理してみようかしら」

 魚を見ながら、コリウスは缶詰をいくつか手に取る。

「缶詰もいろいろあるし、組み合わせたら良いかも」

「できるか?」

「ええ。いつもはお婆ちゃんが料理してるけど、私だっていろいろ覚えてるのよ?」

 どうやら、貰い物の食材は大体片が付きそうだ。

「そしたら、これはどうするよ」

 だが、ここにきて最大の難敵が現れた。

「……あー」

 ビニール袋に入った麺だ。パスタとは違う、ちぢれた麺。袋には日本語が書いてある。

「こんなパスタ見たことないよ。どう料理すればいいかもわかりゃしない。そのせいで売れ残ったんだろうね、まったく。捨てるしかないじゃないの」

 輸入品を扱っている店で強引に押し付けられたものだ。スザンナの言う通り、普通はこれの調理方法など知らないだろう。

「いや、これは……あれだ」

「え?」

「知ってるの?」

 コリウスの問いに、ダルスは頷く。ラーメン屋でバイトしていた縁で、ダルスはいくつかの日本料理を知っていた。趣味で作ったこともある。今はもういないが、食べさせた相手からは概ね好評だった。そして、この袋麺に書かれた日本語も読めてしまった。

「焼きそばだ……」

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