第7話 ラッシャーセー
「お疲れ様っす、兄貴!」
「お疲れさまです」
「おう、ご苦労さん」
一日の仕事を終えたユリアン・マルコフは、部下のヤブジニーとダビドを連れて車に乗り込んだ。今日は金曜日、3人で酒場『ザフトラシニーヤ・パゴダ』に足を運ぶ日である。
「ダビド、例の採掘機械のプログラミングの件は進んでるか?」
「ええ。引き受けてくれる会社がようやく見つかりました。ちょいと割高ですが、納期は守ってくれる所っすよ」
「よーし。せっかくシモチェンコの鉱山に我慢して貰ったのに、機械が間に合わなかったってなったら笑い事じゃねえもんな」
ユリアンは街にある人材派遣会社の社長である。この会社は、表向きは鉱夫やプログラマー、事務員などを鉱山の経営企業に送る人材派遣会社だ。しかしその実態は、鉱山同士の仲裁を行い、時には行政に届け出ない違法採掘を指揮する鉱山マフィア『コズロフ・ファミリー』であった。
鉱山の運営に必要な労働者や重機、資材などはコズロフ・ファミリーを通さないと手に入らないようになっており、鉱山はユリアンに逆らえない。その代わりにコズロフ・ファミリーは企業間でのトラブルを仲裁し、時には傾きかけた会社に優先的に資源を回す。いわば調整役だ。また、一応派遣会社であるため、労働者の扱いが悪い企業に労使交渉を持ちかける、鉱山労働者組合のような一面も持っている。
「ところで兄貴、いいですか」
「何だ、ヤブ?」
「ベネディクトの鉱山で、鉱夫の給料を下げるって話が出てます」
「マジかよ……」
「給料の一部を積立金にして投資会社に預けて、退職する時に配当を渡す形にするようですが」
「それ、何だかんだ理由をつけて払わないやつだろ……どうにかして止めさせられないか?」
「あそこのレアメタル、採れる量が減ってますから。ただ止めさせるだけじゃ厳しいと思います」
「あそこもか。やべえなあ……」
最近のコズロフ・ファミリーの悩みは、シノギの鉱山業そのものが低迷していることだ。レアメタル景気に湧いたのが30年前。その頃は街はもっと潤っていて、コズロフ・ファミリーも先代の下で隆盛を誇っていた。しかし、鉱脈が掘り尽くされた今となっては、迂闊にカタギを殴れない合法寄りのコンサルタント企業にまで落ちぶれていた。
「それと、鉱夫が逃げ出す事件が増えてます。原因は多分……」
「言うな、ヤブ」
ユリアンの目に剣呑な光が宿る。
「わかってる。東の連中のせいだ。だから証拠を抑えるために、ピサレンコを見つけなきゃならねえ」
ヤブジニーもダビドも、ユリアンの言葉に黙って頷いた。
しばらくすると車がザフトラシニーヤ・パゴダに着いた。ユリアンは運転手にチップを渡すと、意気揚々と酒場に入る。ままならない仕事の悩みも、コリウスに出迎えてもらえば吹き飛ぶだろう。
「ラッシャーセー!」
ところが、店に入ったユリアンを出迎えたのは、珍妙な叫び声だった。
「何やってんだよ!?」
ユリアンを出迎えたのは、先週この店でケンカをしたよそ者、ダルス・エンゼルシーだった。ただ、服装はボロボロのコートではなく、清潔な紺色の半袖シャツにジーンズ、その上に黒いエプロンをして、頭にはバンダナを巻き、意識の高そうな腕組みをしている。要するに、店員の格好だ。
「……何やってんだよ!?」
店員、という事に気付いてユリアンは再度叫んだ。何故ダルスが店員になっているのだろうか。その問いに対し、ダルスは気まずそうに答えた。
「いや、借金を減らすために働くことになってな……」
ドアベルが鳴った。4人の冴えない中年男性たちがもたもたと入ってくる。
「おいすー」
「ラッシャーセー!」
「だからその変な声はやめろってんだろ!」
キッチンのスザンナが料理の皿をカウンターに置きながらダルスを怒鳴りつけた。
「すみません。お客様4名様です! こちらへどうぞ!」
ダルスは入ってきた4人をテーブル席に案内した。それから水をグラスに注ぎ、それぞれに配る。
「婆さん、どうしたんだコイツ?」
ダルスが接客に回ってしまったので、ユリアンはスザンナに聞いてみた。スザンナは頬を掻いて、小さな声で答える。
「いや……何でだろうね。働けるって言うから、試しにやらせてみてるんだよ」
「鉱山で働かせるんじゃなかったのか?」
「アタシもそのつもりだよ。でもねえ……」
「あら、ユリアンさん。いらっしゃい」
コリウスがやってきた。彼女はいつも通りの、赤いエプロンの接客スタイルだ。
「席、空いてるわよ? どうぞ」
「お、おう……」
コリウスに案内され、ユリアンたちはいつもの席に移動する。
「コリウスちゃーん」
「はーい!」
その途中で別の客に呼ばれたので、コリウスは注文を取りにいった。代わりに、席についたユリアンたちに水を出したのはダルスである。
「お冷です。ご注文はお決まりですか?」
「あー……ビール3つと、シャシリクの盛り合わせ、3つ」
ダルスの接客は、口調は丁寧だが笑顔が無いので妙な威圧感がある。ユリアンはつい気圧され、普通に注文してしまった。
「かしこまりました。ビール3丁、シャシリクの盛り合わせ3丁!」
ダルスは素早く伝票を書き、カウンターに置くと、入れ替わりにグラスと料理の皿を受け取って、別のテーブルへ運んでいく。
「お待たせしました、ウォッカのストレートとチキンステーキです」
料理を出すと、別の席に近付いていった。そこには料理を運ぶダルスを見ている客がいた。
「ご注文ですか?」
「お、おう。えーと、ウイスキーのロックとサーモンステーキ」
「かしこまりました。ウイスキーロック1丁、サーモン1丁!」
注文を伝票に書き込んだダルスは、カウンターに向かう途中、別の席に寄る。
「お済みのお皿、お下げしてもよろしいでしょうか?」
「おう、気が利くねえ」
空いた食器と伝票をスザンナに渡すと、ダルスは店内を見渡し、状況が落ち着いていることを確認すると空のテーブルを布巾で拭き始めた。
「……何か、すげえ慣れてないっすかアイツ」
「店員か?」
ダルスの動きは妙に慣れている。ダビドとヤブジニーも驚いているし、ユリアンも同様だ。
「お待たせ。ビールとシャシリク盛り合わせね」
そうしていると、コリウスが注文した料理を持ってきた。
「なあ、コリウスちゃん……あいつ、いつから働いてるんだ?」
ユリアンが聞くと、コリウスは答えた。
「今日からよ」
「今日!?」
初日の人間の動きではない。ユリアンたちの驚きに対し、コリウスは理由を答える。
「ダルス、昔、日本料理店で働いてたことがあるんだって。何だったかしら、ラ・ムーンっていう料理の……」
「……まさか、ラーメンか!?」
こう見えてユリアンは日本かぶれである。カラテを身に付けているのもそれが理由だし、日本食も通販で色々と試している。ラーメンの事も当然知っていた。
「そうそう、ラーメン屋さんで働いていたんだって。それで、こういうお仕事ならできるそうなの」
「ウォッカ2つ!」
「ハイヨロコンデー! ウォッカフタチョウー!」
「またかよ! やめな!」
どうやらたまに出るあの叫び声は日本語らしい。その度にスザンナに怒られているが、中々直らないということは、癖になるほど働いていたのだろう。それなら、給仕の仕事が板についているのも納得である。
「しかし、ラーメン屋ってことは中央だよなあ……」
ユリアンがポツリと呟いた。ユリアンが知る限り、国内でラーメンが食べられる日本料理店は首都、つまり中央にしか無い。この国は広い。中央まではとにかく遠い。電車なら5日、飛行機でも9時間近くかかる。ユリアンも一度ラーメンを食べに行こうとして、あまりの距離に諦めたから覚えている。
「そんな遠くから、何しにここまで来たんだ?」
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