第27話 工場見学
ミルジェンスクの郊外には閑散とした荒野が広がっている。荒野を切り裂くように道路が伸び、その周辺にぽつり、ぽつりと建物がある。かつては畑もあったそうだが、痩せた土地であり、鉱山で働く方が儲かったので今はほとんど残っていない。
ダルスは荒野を歩いている。夜空には薄雲がかかっていて、足元が辛うじて見える程度の明るさだ。遠くに道路の街灯が見えるので、それを目印にして行き先を定めている。
道路を進むのは危険だった。どこに罠が張られているかわからない。そのため、近くのモーテルまで車で来て、そこから歩いて工場に向かっていた。
道路の方から何かが聞こえた。ダルスは借りてきたゴーグルを覗く。軍用なだけあって、この暗い中でも遠くまでハッキリ見える。
いくらかの人影と数台の車が道路を封鎖していた。どうやら警察が検問を敷いているらしい。ユリアンたちが馬鹿正直に突っ込んで来れば、ここで全員捕まっていた。
他にも似たような罠が仕掛けられているのだろう。道なりに進むのはやはり危険だ。ダルスは立ち上がると再び歩き出した。
しばらく進むと街灯とは違う明かりが見えた。目的の工場だ。明かりが灯っている。誰かがいるのは間違いない。
スコープを覗く。工場の周りには見張りがいた。正面に2人、通用口に1人。更に建物の1階に1人、2階に1人いる。合計5人。たまに辺りを巡回して、異変がないかどうか確認している。連絡には携帯電話を使っている。武器は手にしていないが、拳銃ぐらいなら懐に忍ばせていてもおかしくないだろう。
時計を確認する。時刻は深夜、日付が変わる頃だ。しばらく待っていると、建物の中から別の男たちが出てきて、見張りを交代した。時間を決めて休憩しているのだろう。ダルスはしばらく待つことにした。見張りが交代するタイミングを見計らって突入する。
ユリアンには連絡しない。今回の相手の狙いは、コーリアでもユリアンでもない。ダルスだ。
トリコロールに三日月、存在しない国旗。念願適った暁に、彼女たちが掲げようとしていた旗。それを知っている相手ならば、ダルスを殺すか、殺されなければ止まらない。殺したくなるのも当然だ。それだけの事をした。
だから彼は1人で向かう。
――
「誘拐?」
部下からの報告にカインは困惑した。
「はい。監視していた男ですが、他の男たちとグループを作って、市内で女性を誘拐しました」
「いや、そりゃ大事だけどよ……その、そういうタイプの大事になるとは思わなかったな……」
モーテルの宿泊客の内、長期滞在かつ職業不明の人間をリストアップして数日後。監視していたエイフマンは、要注意人物たちが誘拐を行う瞬間を目撃した。
「で、どうした?」
「車を追いかけました。郊外まで追いましたが、そこで追跡に気付かれ攻撃されたので後退しました」
「警察には通報したか?」
「はい」
「で、どうなった」
「警察は来ませんでした」
カインの赤い目が細められる。誘拐事件に対して、警察が捜査官の1人もよこさないというのはおかしい。
「……マリインスカヤ。誘拐された女の車を調べてくれ」
カインから写真を受け取ったマリインスカヤは、ノートパソコンのキーボードを叩く。連邦保安局のデータベースを照会し、車の持ち主が誰かを探る。
「出ました。所有者はコーリア・イパティ。ミルジェンスク駅の駅長です」
疑念が確信に変わった。カインは立ち上がる。
「出るぞ。モンテカルロ、ミハイロフスキー。準備しろ。エイフマンとマリインスカヤはここで待機、バックアップを頼む。誘拐犯たちが消えた方面の地図を調べて、奴らが隠れていそうな建物を探せ」
「わかりました」
「了解です」
4人の部下は素早く準備を始める。カインも武器の点検を始めた。
警察が動かない誘拐事件。攫われたのはミルジェンスク駅長の娘。そして警察は麻薬の密売に手を染めている。これらの状況証拠から、麻薬の密輸に協力させるために駅長を脅迫しているという推理ができる。
あくまでも推測だ。確証も証拠もない。だが状況は揃っている。介入すれば、証拠を拾えるかもしれない。
「ようやく尻尾を掴めそうだ。首を洗って待ってろよ、署長さん」
――
東の空が白み始めた。深夜0時よりも一日の始まりを実感できる時、夜明けだ。ダルスは最初の隠れ場所から距離を詰め、通用口の側まで接近していた。放置された資材の影に身を隠し、見張りの様子を窺う。そろそろ交代のはずだ。
ダルスは仮眠を取りつつ、一晩中見張りを観察して、交代のタイミングを計っていた。そして、見張りの交代は3時間おきだとわかった。今の見張りは夜の3時から位置についている。今は5時45分。あと15分で交代だ。
今回も何事もなく終わるだろう、見張りはそう思っている。油断をしている。見張りがあくびをした。今だ。
ダルスは資材の影から飛び出した。見張りが声を上げる前に、喉に向かって拳を繰り出す。身悶えする見張りの腰からナイフを奪い取り、首の後ろに突き刺す。男は声もあげずに痙攣し、ぐったりと動かなくなった。まずは1人。
ダルスは死体を資材の影に隠し、所持品を確かめた。拳銃、弾倉入りのチェストリグ、ナイフ。どれも軍隊の装備だ。昨日の昼、ベンジャミンが話していた横流し品は、彼らの手に渡っていたらしい。
ナイフを手に取り、拳銃と予備弾倉をコートに入れる。更に死体のポケットを探ると、車の鍵があった。使うかもしれないと思い、ダルスは鍵をポケットに入れた。
右手にナイフを構え、ダルスは工場の中へ侵入した。巡回ルートは夜中のうちに観察している。今は建物の反対側にいるはずだ。身を屈めながら通路を進むと、吹き抜けの大ホールに出た。
無人の大ホールには煌々と明かりが灯っていた。埃が積もった機械があちこちに置かれており、金属棚やパイプ、鉄骨を下げた鎖などもある。作業場のようだ。
2階には空中通路がある。コツン、コツンと足音が聞こえる。見張りが歩いているらしい。上方に注意を払いつつ、ダルスは機械の間を隠れ進む。パイプの隙間に何かが見えた。ダルスは足を止め、パイプの隙間、少し開いた空間を覗き込む。
オリンピアがいた。椅子に縛り付けられ、猿ぐつわを噛まされている。目を閉じているが、死んでいるわけではない。微かに肩を上下させているのがわかる。眠っているというよりは、消耗しきって目も開けられないといったところだろう。
オリンピアの生死については、ダルスは疑っていなかった。犯人が求めているのは密輸への継続的な協力だ。オリンピアが死んでしまえば、コーリアは決して協力しないだろう。だからダルスは夜明けまで待つという作戦を採ることができた。
ただ、命以外の保証はできない。ダルスはオリンピアの様子を確認する。ズボンの裾が血で汚れている。恐らく、逃げ出せないように足を斬られている。止血はされているようだが、早く医者に見せたほうがいいだろう。
それ以外に衣服の乱れはなかった。むしろ、昨日ダルスが見た時よりも着込んでいる。不審に思い、服を見る。それが何なのか理解した時、ダルスは心の中で舌打ちした。
オリンピアが着せられているのは、手榴弾を吊り下げた軍用ベストだった。手足を縛り付けるワイヤーと連動していて、脱がせたり外したりすれば爆発する罠だ。解除はできるが、周りに見張りがいる状況では難しい。
まずは見張りを片付ける。ダルスは物音を立てないように、そっとその場を離れ、作業場を出た。向かうのは正面玄関だ。
見張りが2人いるが、どちらも外を向いていて、中にいるダルスには気付かない。片方はタバコに火をつけている。もう1人の背後に忍び寄り、後ろから口を塞いで喉を掻き切った。首から鮮血を吹き上げ、1人がその場に崩れ落ちる。
「なっ!?」
タバコを吸おうとしていた見張りは銃に手を伸ばした。遅い。素人の動きだ。その時にはもう、ダルスは見張りの懐に飛び込み、心臓に刃を突き刺していた。男の口を左手で抑え込み、悲鳴を握り潰す。動かなくなったのを確認すると、銃の弾倉を奪い取ってダルスは建物の中へ取って返した。
死体は隠さない。ここからは速さの勝負だ。それに、最終的には全員殺す。
通路を抜けて空き部屋に身を隠す。少し待っていると、巡回する男が近付いてきた。通り過ぎた所を後ろから襲いかかる。背中から心臓を突き刺し、すぐさま引き抜いて首を刺す。これで4人。もう1人は2階だ。あの空中通路には隠れる場所がない。後回しにする。
明かりのついている部屋があった。中からは男たちの話し声が聞こえる。休憩中の見張りが詰めているのだろう。ダルスはナイフを納め、拳銃を抜く。左手には予備弾倉。一呼吸おいてから、部屋の中へ歩を進める。中に居た男たちが一斉にダルスの方を向いた。
「誰だ?」
一番近くの男へ発砲する。火薬の炸裂音が耳を打つ。胸と額に銃弾を受け、男はロッカーに叩きつけられた。生き残りが泡を食って武器を準備するが、ダルスは彼らに何もさせない。ただ淡々と銃を撃つ。弾倉が空になった頃には、5人の男たちは全員穴の空いた死体と化していた。
ダルスは死体に一瞥もくれず、弾を込め直すと、踵を返して2階へ上がった。作業場の空中通路に飛び込み、銃声を聞いて下を覗き込んでいる見張りを視界に収める。
「なっ!?」
男がダルスに銃を向ける前に、ダルスは引き金を引いた。轟音が作業場に響き渡る。銃弾を受けた男は通路から落ちて、床に叩きつけられて動かなくなった。
ダルスは軽く息を吐くと、銃を懐に収めた。
「……なってない」
誰が指揮官だったかはわからないが、杜撰な連中だった。
四方を確認しつつ、ダルスは階段を降りてオリンピアに近付いた。
オリンピアは目を覚ましていた。あれだけ銃声が鳴り響いていたのだ、当然だろう。ダルスに気付いたオリンピアは目を丸くした。ダルスは何も言わずに近付き、まずは口枷を外す。
「ダルスさん……?」
「騒ぐな。爆発するぞ」
「……そうです! 逃げてください! 爆発するんです!」
「知っている。これから外す、動くな」
ワイヤーを手繰り、どのように手榴弾を固定しているのかを把握してから、オリンピアの手足の拘束を外す。ダルスが知っている通りの結び方だった。これなら、罠を解除するのに苦労しない。
手早くワイヤーを外し、爆弾ベストを脱がせる。手榴弾を固定するワイヤーには緩み一つない。衝撃を与えないように、爆弾ベストをそっと機械の影に置く。
「これで問題ない。……歩けるか?」
オリンピアは青い顔で立ち上がろうとするが、すぐに崩れ落ちる。ダルスはその体を受け止める。やはり足は駄目なようだ。
「わかった、無理はするな。背負う」
「ダルスさん、他の人が来ます。早く逃げてください……!」
「全員殺した、問題ない」
「へ……?」
身を固くしたオリンピアを背負う。軽いものだ。オリンピアは腕をダルスの首に回し、ぎゅっとしがみついてくる。ダルスは歩を進める。
途中、さっき撃ち殺した見張りの側を通り過ぎた。
「あの人、死んで……」
「ああ。もう動かない、安心しろ」
オリンピアが頭のすぐ後ろで息を呑んだ。ダルスは気にも留めず、作業場を出て正面玄関へ向かう。そろそろ夜明けだ。東の空が朝焼けに染まっている。
玄関前には、誘拐犯たちが乗っていたであろう車が並んでいた。最初の1人から奪った鍵を取り出す。ボタンを押すと、1台の車が反応した。
「あれに乗って帰るぞ」
「は、はい……」
相手がオリンピアの足を傷つけたのは、これで全くの徒労に終わった。爆弾ベストと二重の罠を仕掛けたつもりだったのだろう。ご苦労なことだ。そんな事を考えながら、ダルスはドアノブに手をかけた。
そこまで来て手を止めた。
「……ダルスさん?」
動きを止めたダルスをオリンピアは訝しむ。
ダルスは返事ができなかった。違和感が頭の中で渦巻いていた。
オリンピアに着せられていた爆弾ベスト。それが頭の中に引っかかっていた。手の混んだ罠だったが、ダルスは簡単に外すことができた。知っている通りの結び方で、まるで自分が仕掛けたかのような出来栄えだったからだ。
「オリンピア、お前にさっきのベストを着せた奴は誰だ?」
「え?」
「手榴弾がついていたベストだ。誰が着せた?」
「あの……誰だかはわからないですけど、女の子です」
ぞくり、と悪寒が背筋を貫いた。車のドア1枚を隔てた先に、死を感じた。
「……クソッ!」
ダルスは車から離れて、工場へ向かって走り出す。
「え、戻るんですか!?」
背負われているオリンピアは混乱しているが、説明している暇はなかった。ダルスたちに向かって、鋭い銃撃が浴びせられたからだ。銃撃はダルスたちのすぐ近くの地面を抉った。
「きゃあっ!?」
オリンピアが悲鳴を上げる。ダルスは彼女を背負ったまま正面玄関に飛び込み、壁に隠れた。銃撃で窓ガラスが割れ、コンクリートの壁が砕かれる。ダルスはオリンピアを隣に下ろし、壁の影から狙撃手の姿を探す。見つけた。かつて警備員の詰所だったプレハブ小屋から、こちらに銃口を向ける人影がある。
向こうもダルスの視線に気付いた。微笑んで声をかけてくる。
「お見事ですね、教官。惚気けていても勘は鈍っていないようで安心しました」
考えておくべきだったのに、可能性を無視してしまっていた。ダルスの素性を知っている人間で、ダルスが知っている通りに爆弾ベストを仕掛けられる人間。そして、ダルスを殺したがっている人間。いるに決まっている。だが、相対したくはなかった。
プレハブ小屋の中から姿を表したのは、茶色い髪の少女だった。朝焼け色の瞳がダルスを真っ直ぐ見つめている。どこにでもいそうな、まだ学校に通っている年齢の少女だが、その手には自分の体より大きなライフル銃を携えている。
ダルスは彼女を知っていた。かつての教え子。自分の技を請われるがままに教え、壊れるがままにしてしまった少女。
「エルヴィナ!」
「はい、エルヴィナ・マリッツァです。それではお相手願います、ハザエル・ディマスカ教官」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます