第26話 Kidnapping

「こんにちはー!」

 昼過ぎ、ダルスたちが開店の準備をしていると、オリンピアがやってきた。朝に注文したムクゲの配達だ。

「お花の配達に来ましたー!」

「はい、ありがとさん。そこに置いといてくれ」

 オリンピアはムクゲの植木鉢を店内に運び入れる。そしてダルスに近づいてくると伝票を差し出した。

「それじゃあダルスさん、サインお願いします!」

 冷蔵庫の中身を確認していたダルスは、手を止めて伝票にサインをする。店長はスザンナで、花を選んでいるのはコリウスなのに、オリンピアはいつもダルスにサインを求めてくる。

「ダルスさんって厨房にも立つんですか?」

「少しだけな。ヤキソバと、あとチャーハンは作れる」

「おおー。今度食べに来てもいいですか?」

「女一人で来るような店じゃないぞ」

「大丈夫、お父さんも連れてきますから」

 親子で酒場に来るなんてロクでもない、と言おうとしたら、店の裏からコリウスの声が聞こえてきた。

「ダルス。ちょっと手伝ってくれない?」

「わかった、今行く」

 ダルスは手早く伝票にサインを書き込み、オリンピアに渡す。それから店の裏に行く。コリウスが棚の上を見上げていた。

「どうした?」

「あれ、取ってほしいの」

 洗剤のボトルだ。以前、ダルスが買ってきて置いたものだ。手を伸ばして箱を取る。

「ありがと」

 コリウスは礼を言うと、キッチンに戻っていった。ダルスも後に続く。

 オリンピアがまだ残っていた。何か言いたげな表情でダルスを見ている。

「……サインしたよな?」

「ええ」

「オリンピア、さっさと帰んな。こっちは客も来てんだから」

「はい。またよろしくお願いしまーす」

 オリンピアは一礼すると店を出ていった。車のエンジン音が聞こえてくる。何だったのだろうか。

「……すまないね、相談事があるのに騒がしくしちまって」

 オリンピアが出ていったのを確かめて、スザンナは"客"に頭を下げた。

「いえ。こちらも無理言っているものですから」

 カウンターに座っているのは、背筋の良い丸刈りの男。名前はベンジャミン。ロウリの知り合いで店にもよく来ている男だ。

 ベンジャミンは近くの駐屯地に勤めている軍人で、非番の時はここに来て食事をとっているそうだ。だが、今日彼が来ているのは食事のためではない。

 テーブルの上にはゴーグルが置かれている。軍で使っている、暗視機能付きのものだ。

「で、こういうのを売った奴を探してるってわけかい」

「ええ。スザンナさんなら何か知っているかと思ったのですが」

 駐屯地で装備の横流しがあった。犯人は既に捕まっていて、装備がこのミルジェンスクの街に流れているところまではわかっている。

 しかし、どこに卸されたのか、その先が辿れない。そこでベンジャミンは街の裏事情に詳しいスザンナに聞きに来たのだ。

「ニコライじゃないのは確かだね。アイツが使うには、軍隊の武器は大げさだ。ゼミリヤの連中ならまだわかるけど……殺られちまったからねえ」

 ゼミリヤは先週、ボスのヤキム・バレンティンを含めた大半の構成員が殺され壊滅した。犯人は未だ捕まっていない。彼らが横流しされた装備を隠し持っていた、という話もない。

「となると、やはりホテルでしょうか」

「だろうね。いよいよ本格的に攻めてくるつもりかい、あいつら」

「……そうなると、マフィアや警察だけだと止められないな」

 ダルスは呟く。横流しされた装備は多岐に渡る。拳銃、暗視装置、手榴弾、ライフル、挙句の果てには車載用の重機関銃やロケットランチャーまで売られたらしい。全てをホテルが買ったとは思えないが、もしも強力な装備をホテルが手にしていたら、マフィアや地方警察の武器では太刀打ちできない。

「もしもホテルが手に負えなくなったら、軍隊は出てくるのか?」

「自分には判断できません。上官の指示に従うだけです」

「……まあ、それはそうだろうな」

 万が一の時は、議会が軍に出動を要請して、それから戒厳令を敷くことになるだろう。そうなれば街を出られなくなる。何事もなければ良いが、と考えるダルスであった。


――


 夜になって酒場を開くと、いつものように客がやってきた。今日も満員御礼、とまではいかないが中々の客足だ。ダルスもコリウスもあくせくと働いて、客たちをもてなす。

 注文が落ち着いたら歌の時間だ。コリウスが裏で着替えてステージで歌う。今日のステージにはムクゲの花が飾られている。昼にオリンピアが配達してきたものだ。白い花はコリウスを一層華やかに引き立てている。

 歌の間は、客は大人しく聞き入っているので注文が止まる。ダルスにとってはちょっとした休憩時間だ。壁に寄りかかってコリウスの歌に聞き入る。

 不思議なことだ。歌には興味がなかったのに、コリウスの歌を心待ちにしている自分がいる。いつも聞いている声が音楽と合わさるだけで、まるで魔法のように心に響いてくる。曲が良いだろうか。そう考えてダルスは、違うな、と否定する。コリウスが歌う元の曲のCDを聞いたこともあったが、何とも思わなかった。歌っているコリウスを、ダルスは気に入っているのだろう。

『でしたら、この街に住みませんか?』

 不意に、オリンピアの言葉を思い出した。ダルスは深いため息をつく。悪い兆候だ。何かに執着するのは、いつも最悪の結果を招いてきた。散々学習したのに、この心はまだ学んでいないらしい。

 愛は許されない。正義も許されない。許されるのは唯一つ、傲慢の果ての惨めな死のみ。わかっている。それでもこの心は安らぎを求めてしまう。

 急ブレーキの音がダルスの思考を断ち切った。店の前に車が止まったようだ。ダルスが壁から背を離すと同時に、男がドアを勢いよく開けて飛び込んできた。コリウスの歌が途切れ、客が一斉にドアの方を向く。

「助けてくれ、スザンナさん!」

 店に飛び込んできた男をダルスは知っていた。コーリア・イパティ。ミルジェンスク駅の駅長。

「娘が……オリンピアが誘拐された!」

 

――


 異変に気付いたのは今日の夕方だった。オリンピアが花の配達から帰ってこない。母親のアンジェリカが携帯に連絡しても返事はない。不安に思っていると、ポストに手紙が入っていることに気付いた。宛先は、コーリアとアンジェリカ。差出人はオリンピア。手紙を開けてみると、オリンピアを誘拐したということが書かれていた。

 それを聞いたコーリアは急いで帰宅し、アンジェリカから詳しい状況を聞いた後、2人でスザンナの店にやってきた。コーリアは若い頃にスザンナの店のツケを踏み倒そうとして、先代のボスに説教されて以来、彼女に頭が上がらない。そのツテで助けを求めに来たのだ。

 それに、警察に伝えればオリンピアの命はないという定型文もある。頼れるのはスザンナしかいなかった。

 犯人の要求は、ホテル『クロドゥング・メヴリージャ』の麻薬密売に協力すること。列車を使って各地に麻薬を輸送し売上を一気に上げるつもりらしい。彼らは以前からコーリアに接触していたが、コーリアは毅然として断っていた。それでとうとう、このような強硬手段をとったようだ。

「おう、俺だ。……そうか、わかった」

 部下からの電話を終えたユリアンはコーリアに告げた。

「ヤブジニーが車を見つけた。キーが差しっぱなしで、道端に停まってたそうだ。オリンピアちゃんは乗ってない」

「そうですか……」

 コーリアとアンジェリカはうなだれる。ここまで来たら、タチの悪いいたずらや何かの間違いとは言えなかった。

「『娘の命が惜しければ、明日の日没までに街外れの工場に1人で来るように』か……」

 ユリアンは手紙の一部を読み上げる。内容にダルスは眉をひそめる。ユリアンはそんなダルスには気付かず、コーリアに話しかける。

「コーリアさん。アンタ、マジで娘さんを助けたいのか?」

「当たり前だ! たった1人の娘だぞ!?」

「なら、奴らの言う通りにすれば良かったんじゃないのか?」

「なっ……そ、そんな事ができるか! 犯罪の片棒を担ぐなんて、死んでもゴメンだ!」

 コーリアは顔を紅潮させる。本心なのは間違いない。ユリアンは頷いた。

「わかった。娘さんは俺たちが必ず助ける。ダビド、電話かけろ。動ける奴は全員出動だ」

「わかりましたぁ!」

 ダビドが景気のいい返事をして、電話を始める。どうやらユリアンはコズロフ・ファミリーの総力を上げてオリンピアを救出するようだ。

「待て、ユリアン」

 だが、ダルスが止めた。

「何だよ」

「罠だぞ、これは」

「ああ?」

「『街外れの工場に1人で来るように』……今時、こんな脅迫をする奴はいない。使い捨ての携帯電話で連絡を取ればいい。恐らく相手は、コーリアがお前たちに助けを求めることを読んでいる。突っ込めば罠にかかるぞ」

 だが、ダルスの指摘にユリアンは反論する。

「だからってよ、カタギの頼みを無視したらコズロフ・ファミリーの名折れだ。助けに行かなかったら今度はその噂が街に広まって、終わりだ」

 マフィアは法や契約の外にいる存在だ。外からの評判は死活問題に直結する。自分たちを守ってくれないとわかれば、部下はついてこないし、協力している人間も離れていくだろう。

「これだからマフィアは……!」

「おめーだってよ、オリンピアちゃんとは仲良くしてただろうが! 何とも思わねえのかよ!」

 ユリアンは更に畳み掛ける。これにはダルスも言葉に詰まった。

 視界の端のコーリアとアンジェリカは、憔悴しきった様子でうなだれている。どちらも知らない人間ではない。アンジェリカは店でオリンピアと仲良く話している様子を何度も見ているし、コーリアもたまに挨拶を交わすだけだが、オリンピアを大切にしているのはわかった。これだけ仲の良い家族が壊れる様を見たくない。親も子もまだ平和な時を生きているのだ。

「クソッ……」

 悪態をついて、ダルスはカウンターに置かれた手紙に目を向けた。何か事態を打開するヒントはないだろうかと、すがるように。

 手紙の入った封筒は市販のもの、手紙はパソコンで書かれたもので、普通のコピー用紙に印刷されている。変わったところはない。文章そのものも簡潔で、先程コーリアから聞かされた内容がそのまま乗っている。

 ふと、ダルスは最後の一文に妙なフレーズを見つけた。

『トリコロールに白い三日月を添えて。オリンピア・イパティ』

 定型文の挨拶ではない。トリコロールに白い三日月。その図面を思い浮かんだ瞬間、ダルスは心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃に襲われた。

 知っている。この旗を。知っている。奴らは俺を。

「ダビド、何人来れる?」

「10人です」

「まあそんなもんか。よし、ハジキを持って事務所に集合だ。そっから工場に全員で行くぞ」

「ユリアン」

 外に出ようとしたユリアンを、ダルスが呼び止めた。

「何だよ、まだ何かあんのか?」

「先に偵察に出る。罠を見つけたら連絡するから、電話は繋がるようにしておけ」

「……おう、やる気になったか。頼むぜ」

 ユリアンはニヤリと笑うと、ダビドを引き連れて店を出ていった。続いてダルスは、離れたテーブルで事態を見守っていたベンジャミンとロウリの下に行く。

「ベンジャミン。頼みがある」

「何ですか?」

「昼に見せた暗視装置、あれを貸してくれ」

 ベンジャミンはしばし考えた後、バッグから暗視装置を取り出した。

「使い方はわかりますか?」

「問題ない」

「エンゼルシー君。足はもう大丈夫だが、左腕はまだ完治していない。くれぐれも無茶はやめたまえ」

「偵察だけだ」

 口を挟んできたロウリを、ダルスは手短に制する。ベンジャミンから暗視装置を受け取り、コートを取りに店を出ようとする。その途中でコリウスとすれ違った。

「……ダルス」

「何だ」

 コリウスはダルスに声をかけたが、彼女はダルスの顔を見上げるだけで何も言えなかった。ダルスは小さく息を吐くと、何も言わずに店を出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る