第2話 目覚めた男
初めに感じたのは柔らかい布の感触。次に、空気の暖かさ。瞼を開くと、蛍光灯の光と白い天井が目に入った。眩しさに目を細める。
目を覚ました男は記憶を辿る。列車を降り、駅から出たのは覚えている。解熱剤と痛み止めを買うために薬局を探した。その途中で記憶が混濁する。雨が強くなって。薬を買うのに苦労して。傷が熱を帯びて。路地裏から顔を覗かせた赤い傘の女。それを追いかけたか、追いかけなかったか。思い出せない。痛む頭に手を添える。
「目が覚めた?」
女の声。男は咄嗟に懐に手を伸ばした。手は布団にぶつかる。銃がない。あるべきはずのものが無い事に驚きつつ、男は声の主を確かめる。
ソファに座って男を見ている女がいた。肩甲骨の辺りまで伸びたエメラルド色の髪が、蛍光灯の光を受けて輝いている。男を見つめる瞳はアイスブルー。肌の白い、どこか存在感の薄い女だ。声を出すまでそこにいる事に気付けなかった。身に纏っているのは長袖の白いシャツと、その上から羽織るクリーム色のカーディガン。それに緩い紺の長ズボンを履いている。見た所、武器になるようなものは手にしていない。だが、油断はできない。
「誰だお前は」
「コリウス。貴方は?」
「ここはどこだ」
コリウスと名乗る女からの質問に返さず、男は更に質問を重ねる。見た所、男がいるのはアパートの一室だった。ベッド、テーブルとソファ、テレビ、キッチン、玄関。ごく普通のワンルームのようだ。
「私の部屋よ。外で倒れていたから、怪我か病気かと思って部屋に上げたの」
そこで男は上着を着ていないことに気付いた。代わりに体には包帯がしっかりと巻かれている。左腕は添え木で固定もされている。本格的な手当てだ。
「……何を考えてるんだ?放っておけばいいだろう、そんなもの」
男は警戒を深めた。わざわざ助けるということは、何か探られているのだろうか。それとも、単なる善意だろうか。前者なら目的がわからないし、後者ならただ迷惑なだけだ。
「でも、放っておいたら貴方、死んでいたわ。お医者さんもそう言っていたもの。全身傷だらけ。なのに応急処置だけで、医者を知らないのか、ってロウリさんが文句を言っていたわ」
どうやら女は後者のようだった。
「……それがどうした」
吐き捨てるように、男が呟く。放っておいて死ぬのなら、そのまま無様に死ねばよかった。余計なことをしてくれた。
「ちゃんと体を治したほうがいいと思うわ」
「結構だ。もう出る、構わないでくれ」
上体を起こし、ベッドから降りる。床についた足が崩れた。何が起きたか理解する前に、男の体が床に倒れる。手をついて起き上がろうとするが、体が重い。足に力が入らない。筋肉が鉛に置き換わってしまったかのようだ。
「大丈夫!?」
女が駆け寄ってくる。支えられて何とか上体を起こした。
「お前、何をした……!?」
「無理しないで。3日も寝ていたんだから。立てないのも当然でしょう?」
「3日……?」
体を起こすと窓が見えた。あれだけ降っていた雨が止んでいる。それほどまでに弱っていたのか、と男は愕然とした。
「とにかく暖かくして、栄養のつくものを食べて、ゆっくり休みましょう? 出かけるのは、それからでも遅くないと思うの」
「駄目だ。すぐにここを離れないと……」
女の手を振りほどいて、男は立ち上がろうとするが、意思に体がついてこなかった。またしても床に倒れ、女に無様に助け起こされる。
「どうしてそんなに急いでいるの?」
問いかけに男は答えない。答えられるはずがない。
「……でも、何があったかはわからないけど、動けないのに出ていくのは無理だと思うわ。まずは休むのが第一でしょう?」
拳を握り締めようとするが、それすら叶わなかった。女に助け起こされて、男はベッドに戻る。ようやく大人しくなった男に、女は安心したような表情を浮かべた。
「元気になるまで、大人しくしていてね。……ええと、名前は?」
「……お前は誰だ」
「コリウスよ。さっき言ったけど、忘れちゃった?」
そう言えば、さっき名乗っていたような気がする。焦っていて聞いていなかった。
少し考えた後、男は名乗ることにした。名前を教えるぐらいなら、問題ないだろう。
「ダルス。ダルス・エンゼルシーだ」
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