第3話 その命、27万4,480ルーヴル也

《次のニュースです。チェレンコフ議員の脱税疑惑に対し、昨日国会にて答弁が行われました。質問に対しチェレンコフ議員は……》

 テレビからは陰鬱なニュースばかりが流れてくる。ベッドで上体を起こしてテレビを見ているダルスの顔には驚きも感動もない。既知故の無関心だ。

 かつては二大超大国と言われたこの国『連邦』は、ゆっくりと、だが確実に腐りつつあった。前大統領の死により不穏になった国内情勢。都市では麻薬が蔓延し、問題に対処すべき政治家たちは不正に明け暮れている。幾つかの隣国は無政府状態となり、武装した盗賊団が国境付近の街やパイプラインを襲うため、貿易量が激減している。海路でも原因不明の海難事故が多発している。

《次のニュースです。政府は3日、リムツスカヤ郊外にて、テロ組織『トゥウェリスタン独立派』のリーダー、オリガ・ジェコヴァを殺害したと発表しました。政府の発表によりますと……》

 ダルスはテレビの電源を切った。画面から色が消え、黒一色になる。部屋の中が静かになる。コリウスはいない。仕事があると言って、出ていってしまった。拾った男を部屋で自由にさせるなど不用心にも程がある、とダルスは呆れていた。もっとも、自由に動きたくてもダルスは動けないのだが。

 窓の外から、朝の街を行き交う人々の生活音が流れ込んでくる。ダルスは外に目を向ける。平坦な街並みが並び、その向こうにはやや高いビルが見える。この街の名前はミルジェンスク。コリウスが教えてくれた。連邦の中央からは遠く離れた、東の寂れた田舎街だ。

 ぼんやりと街の景色を眺めていると、ドアがノックされた。ダルスは身を強張らせて、ドアの方に目を向ける。家主のコリウスはいないが、返事をすべきかどうか。そもそも誰が来た。考えている間にドアが開いた。

 入ってきたのは赤いエプロンを身に着けた白髪の老婆だった。顔は皺だらけで相当年齢を重ねていると推察させる。しかし黒い瞳には力が宿り、背筋は真っ直ぐとしていて、弱々しい印象は受けない。老婆はトレーを持っていて、その上には湯気立つ皿と水、それにスプーンが置かれていた。

「何だ。本当に生きてたのかい」

 老婆はダルスが起きていることに、少し驚いたようだった。

「誰だ」

「アンタこそ誰なんだい? ウチのコリウスに迷惑かけて」

 その口ぶりに、ダルスは老婆とコリウスの関係を推察する。

「あいつの……親か?」

「……まあ、似たようなモンさね。それでアンタ、名前は?」

「ダルス。ダルス・エンゼルシーだ」

「そうかい。アタシはスザンナだ。ほれ」

 サイドテーブルにトレーが置かれる。皿の中にはトマトのリゾットが入っていた。

 つまり、どういうことだろうか。よくわからず、ダルスはスザンナの顔を見た。

「食わないのかい?」

「……食事なのか?」

「他の何に見えるんだい。いらないなら下げるよ?」

「いや……何故だ? 頼んだ覚えはないんだが」

「コリウスに頼まれたんだよ。アンタに朝飯を用意してくれって」

 どうやらコリウスが準備していたらしい。しかし、素直に手を付けていいものなのだろうか。いたれりつくせりではあるが、ここまでされる理由が全くわからない。本人に理由を聞いてみたが、困ったように笑うだけで何も答えてくれなかった。

 トレーの上のリゾットから甘酸っぱい匂いが漂ってくる。温かい食事に胃が期待している。空腹という本能がダルスの思案を上回った。

「……貰おう」

「さっさと食いな」

 皿とスプーンを手に取り、トマトのリゾットを口に運ぶ。味そのものは普通だった。市販の米とトマトソースに、レシピ通りの味付けをした感じだ。それでも3日間の空腹を調味料にすれば、何にも代えがたい美味になった。

 スザンナが見ているのも忘れて、ダルスは夢中でリゾットを掻き込む。皿はあっという間に空になった。ふう、と息をつく。体の中にじんわりと熱が灯る感じがした。

「さて、聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」

 スザンナが質問してきた。食べ終わるのを待っていたようだ。

「何だ」

 そして、ダルスとしても質問されるのは想定内である。何しろ自分は正体不明の重傷者だ。普通だったら詮索するのが当然だろう。聞かれるのは、『何者か』『どこから来たのか』『行く宛はあるのか』といった所だろうか。名前は名乗っている。来た場所は明かせない。行く宛はないが、ここに長居するつもりもない。大体の答えを思い浮かべておく。

「アンタ、コリウスの知り合いかい?」

 想定外の質問が出た。

「……いや?」

「本当に? 昔どこかで会ったとか、覚えは無いのかい?」

「いや、知らない」

 全く覚えがない。そもそも向こうも自分の名前を知らなかった。完全に初対面だ。

「そうかい……」

 ダルスの答えに対し、スザンナはガッカリした様子を見せた。それを見ると、逆にダルスの方に疑問が湧いた。

「なあ、アイツは……コリウスは一体何者なんだ?」

 どうにも不思議な所がある。話していると噛み合わない感じがするし、妙に常識を知らないところもある。そもそも何故ダルスが助けられたのか、全くわからない。

「アンタに答える必要は無いさね」

 だが、スザンナからの返答はそっけないものだった。

「……そうか」

 そう言われると退かざるを得ない。何しろダルスも腹の中を探られると困る立場だ。

「さて、次の質問だ」

 スザンナが口を開いた。ようやく素性を問いただしてくるか。

「アンタ、金は持ってるかい?」

「……金?」

 想定内ではあるが、また優先度の低い質問が来た。

「慈善事業でアンタを助けたわけじゃないんだ。治療費、修理費、迷惑料、その他雑費、あとこの食事代も。しめて27万4,480ルーヴル、キッチリ払ってもらうよ」

 全くもって理に適った言葉だ。タダで助けてもらえるなどという甘い話があるはずがない。スザンナの要求に答えるため、ダルスはコート掛けに目をやった。

「……すまない。コートを取ってくれないか」

「はいよ」

 投げ渡されたコートのポケットを弄る。財布がない。パスポートもない。銃もない。

「……なあ」

「荷物ならアタシが預かってるよ」

 一瞬、最悪の想定が頭をよぎったが、それは避けられたようだ。

「なら、その中から金を出してくれ」

「……あの財布、800ルーヴルぐらいしか入ってなかったんだけど?」

 そう言われて、思い出した。薬を買うのにふっかけられて、次の目的地までの電車賃しか残っていなかった。確か、1,000ルーヴル程度だっただろうか。目的地につけば金を用意する手段はあったのだが、こんな所で裏目になった。

「そういやカードも入ってなかったね。アンタ、銀行に口座は持ってるのかい?」

「いや……駄目だ」

 銀行は使えない。口座を開けば、間違いなく足がつく。そもそも口座を開けるかどうかもわからない。つまり、金を払う手段がない。

 固まったダルスを見て、スザンナはやれやれ、といった風情でため息をついた。

「ま、それもそうか。パスポートも免許証もめちゃくちゃ、おまけに銃まで持ってるとくれば、訳アリなのは一目瞭然だったからね。期待してないよ」

 どうやら手荷物はとっくの昔に改められていたらしい。金はともかく、武器と書類が無いのはまずい。どうにかして金を用意しないといけないが、今のダルスには働く場所が思いつかない。

「……この街で働ける場所はあるか?」

 半ば諦め気味にダルスが質問したが、意外にもスザンナは頷いた。

「安心しな。治ったらアタシが働き口を用意してやる。それまで楽しみに待ってるんだね」

 それぐらいの考えはあるようだ。様子を見るに、どうやらスザンナはこういう事態に慣れているらしい。ということは、コリウスがけが人を拾ってくるのもよくあることなのだろうか。

 ダルスが考えているうちに、スザンナは食器をトレーの上に乗せて帰ろうとする。

「さて、そろそろコリウスが戻ってくるか。仕込みをしないとね」

 その言葉にダルスは疑問を覚えた。

「戻ってくる? あいつは仕事に出たんじゃなかったのか」

「あん? 仕事だよ。市場に買い出しさ」

「買い出し?」

「……ああ、聞いてなかったのかい。ウチは1階が酒場になってんのさ。アタシが店主で、コリウスが店員なのよ」

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