第23話 マフィア・オブ・ザ・デッド

「連絡がつかない?」

 業務終了間近に、ドミトリーは不快な報告を聞いた。朝、署長に話したコズロフ・ファミリー分断作戦。その要となるマフィア『ゼミリヤ』に連絡がつかないという話だった。

「はい。どの仲介者が連絡しても、アジトから返事が来ないと」

 ドミトリーは表情を歪める。連絡手段は複数用意してあるが、全てが使えなくなるということはありえない。ならば大元に問題がある。

「……車を出しなさい。直接出向きます。念の為、手帳と銃を用意しておきなさい」

「了解」

 ドミトリーは手を洗うと、部下の車に乗って警察署を出た。向かう先はミルジェンスク西部の一軒家である。周りの家と比べて広く庭もあるこの屋敷は、コズロフ・ファミリーの一派『ゼミリヤ』の根城だ。

 コズロフ・ファミリーの内紛に目をつけたドミトリーは、数年前からゼミリヤに資金を提供していた。もちろん直接ではなく、街の消費者金融を隠れ蓑にしている。そのツテを使って、彼らに駅長を脅迫させようとしていたのだが、何かトラブルがあったようだ。

 屋敷に着く頃には、夕暮れも深まる時間帯になっていた。奇妙なことに、普通なら門の前に立っている見張りがいなかった。ドミトリーの部下がインターフォンを押すが、反応はない。やはり何かが起こっている。

「鍵は?」

「空いています」

「……やむを得ませんか。突入しましょう」

 令状は後からいくらでもどうにかなる。ドミトリーは3人の部下と共に敷地に踏み込んだ。庭にも誰もいない。監視カメラは動いているが、屋敷の中からマフィアが飛び出してくる様子もない。中に誰もいないのか。屋敷に近付いたドミトリーは、微かに鼻を打った臭いに顔をしかめた。

「お前たち、慎重に行きなさい」

「どうしました?」

 部下が不思議そうに訪ねてくる。この臭いがわからないのか。鈍感で不潔な奴らだ。

「腐臭と、血の臭いですよ、忌々しい」

 ドミトリーは慎重に窓を覗く。思った通りだ。部屋の中に、首から血を流して死んでいるマフィアがいた。無言で部下に指し示すと、それを見た部下の顔に緊張が走った。

 ドミトリーと部下1人が正面玄関の扉のを固め、残り2人は屋敷の周りを探索する。戻ってきた彼らの報告では、庭には誰もいないが、窓から見える範囲だけでも3人分の死体があったということだった。

 ドミトリーたちは扉を開け、屋敷の中に入った。中に入ると、むせ返るような死臭がドミトリーの鼻を打つ。全身が総毛立ち、ドミトリーは胃の中のものを戻してしまう。

「副所長!」

「大丈夫ですか!?」

 部下たちを手で制し、ドミトリーは草陰で吐いた。終わると、ハンカチで口を拭った。

「……後で手を洗わないといけませんね。行きますよ」

 屋敷の内部の探索を始める。先頭に1人、その後ろに2人、最後にドミトリーという隊列だ。ドミトリーはまず洗面所を確認すると、口を濯いで手を洗った。

 改めて銃を構え、屋敷の探索を始める。屋敷には所々死体が落ちていた。見つける度にドミトリーは目を背ける。視線を通して菌が移る、そんな落ち着かない気分にさせられる。だが、2階のある部屋の中を確認した時は、流石に注目せざるを得なかった。

「これは……」

 片目を抉られた男が死んでいた。見覚えのある顔だ。ベッドサイドに青いスーツが投げ捨てられているのを見て、ドミトリーは気付いた。歓楽街の支配者"タイプライター"のベリヤだ。死体を調べる。胸元に何か刺さっている。ヘアピンだ。こんなものでゼミリヤの金庫番が殺されたのか。

 ドミトリーは探索のスピードを早める。屋敷の中に死体しかいないという事は、他の幹部はいないかもしれない。うまく逃げおおせていればいいと思う一方、ドミトリーの勘は最悪の結末を予期していた。

 屋敷を一通り回り、最後に残ったのは、屋敷の南側の部屋だった。他より大きいドアを開ける。中は暗闇に包まれていた。外が夜に近いのも加え、カーテンが閉められているので、まるで様子が窺えない。先頭の部下がライトを取り出し、中を照らす。

 彼の頭から斧の刃が生えた。

「ッ!?」

「あ……え……?」

 頭に斧を投げつけられた部下は、痙攣しながらその場に倒れる。ドミトリーは迷うことなく、暗闇に向かって銃を撃った。

 誤算だった。この惨劇の下手人はまだ去っていなかった。

 部屋の中は静まり返っている。ドミトリーの銃弾が当たったかどうかはわからない。確かめる必要がある。

「行きなさい!」

 残りの部下2人がライトと銃を構えて中に入る。反撃はない。ドミトリーも後に続く。

 部屋の中は、屋敷の惨状を濃縮したかのような血溜まりになっていた。どこにライトの光を当てても赤色が混じる。ドミトリーのライトが、床に倒れた死体を映し出す。首を掻き斬られ、うつ伏せなのに頭が天井を向いている。あまりに汚い光景に我慢できず、ドミトリーはライトを切った。

 部屋の中ほどまで進んだ時、部下の1人が声を上げた。

「あれは……"スラヴの侍"!?」

 ゼミリヤ最強の男、"首刈り"イールマンが倒れていた。自身のトレードマークである日本刀で、床に仰向けに縫い付けられている。彼すら殺されるとは、相手は一体何者なのか。

「あっ……あ……」

 もう1人の部下が、ライトを部屋の奥に当てて固まった。その光が照らすのは、椅子に腰掛けて事切れた老人。間違えるはずがない。ゼミリヤ筆頭、ヤキム・バレンティンだ。全身に銃弾を浴びていた。

 コズロフ・ファミリーの最右翼が、手も足も出ずに全滅した。その事実に驚愕するドミトリー。だが、更に驚かせる出来事が起きた。

 何の前触れもなく、背後から銃声が響いた。ライトを持っていた部下たちが悲鳴を上げて倒れる。銃撃で部屋の窓が割れ、翻ったカーテンの隙間から外の光が差し込む。

 ドミトリーは身を屈めながら振り返り、背後へ銃口を向けた。

「回れ右が遅い」

 既に相手は、ドミトリーに機関銃を突きつけていた。

「駄目だよ。部屋に入るなら、まずは入り口の左右をクリアしなくちゃ」

 甲高い声。機関銃を構えて立っていたのは、朝焼け色の瞳の茶髪の少女だった。本当にまだ子供だ。学生服を着て甘いものを食べているのが似合うぐらいの年齢だろう。そんな子供が全身に返り血を浴びて、銃を構えて立っている。

「キミが……彼らをやったのですか?」

 状況は彼女が下手人だということを示している。だが、ドミトリーはどうしても信じられなかった。何かの冗談だと思いたかったが、残念ながら少女は笑顔で肯定した。

「うん。こんな所に連れ込まれて、この怖いオジサンたちに酷い事されそうになったから、全員殺したよ。正当防衛さ」

 返り血を浴びた笑顔と、その手に握られたベリヤの"タイプライター"が、事実だと証明していた。

 少女は引き金から指を離していない。ドミトリーはゆっくり拳銃を床に置くと、両手を頭の後ろに置いた。

「投降は受け付けないよ?」

「待て、待ちなさい。投降ではなく取引です。仕事があります」

「……仕事? そこはさあ、金ならいくらでもある、って言うところじゃないのかい?」

 少女は呆れ顔を浮かべるが、ドミトリーにとっては真面目な話だった。自分がまだ生きているのは、少女の気まぐれに過ぎない。なら、少女の気が変わらないうちに興味を引き続ける。そのためには月並みな言葉では駄目だった。

「いえ、金もありますが……仕事だ。こいつらを殺した腕を見込んで、仕事があります」

「……ふうん? どんな仕事なんだい?」

「ミルジェンスク駅の駅長、コーリア・イパティ。これを脅迫してほしいのです」

 少女は未だ銃口を向けているが、ドミトリーの話に聞き入っている。脈がある。震えと吐き気を押さえながら、ドミトリーはなおも喋る。

「脅迫? 殺すんじゃないんだ」

「殺しにもなるとは思いますが、あくまでもコーリアを言いなりにするのが目的です。手段はお任せしますし、必要なら物資や人員の供給もこちらで行います……いかがですか?」

 少し考えてから、少女は言った。

「いくらぐらい払うつもりだい?」

「……いくら欲しいですか?」

 あえて、向こうに選択権を委ねる。いくら吹っ掛けてこようと、それを受け入れる。命の値段に比べれば幾らだろうと安い。しかし、少女が提示したのは思わぬ値段だった。

「うーん、100万ルーヴル!」

「100万!?」

 安い。予算は500万だった。この手の仕事の相場を知らないのだろうか。

「なら、その倍だ。200万払いましょう」

 困惑しながらも、ドミトリーはより良い条件を提示した。何か裏がある、素直に受けてはいけない気がした。

「本当に!? いやあ、それは助かるねえ、太っ腹だよ」

 ところが少女は素直に喜んでいる。何らかの駆け引きというわけではなく、素であの金額を提示したようだ。

「……引き受けてもらえるのですか?」

 本気なのかどうか、ドミトリーは少し不安になり訊ねてみた。すると、少女はあっさりと答えた。

「お金が欲しいからね。この人たちなら持ってるかと思ったけど、こんなものだったし」

 少女はネックレスや首輪を見せびらかす。どれも高価なものではあるが、この少女に盗品の換金ができるとは思えない。

「……それの換金も手伝いましょう」

「いいねえ。よろしく頼むよ」

 ようやく少女は引き金から指を離し、ドミトリーに部屋の出口を譲った。先に部屋を出ろ、ということか。ドミトリーは立ち上がり、言う通りにする。すれ違っても少女は何もしてこない。血の匂いが充満する部屋を出られて、ホッと息を吐いた。

「あ、そうだ、おじさん。名前は?」

「ドミトリーです」

「そっか。あたしはエルヴィナ。よろしく頼むよ、おじさん」

 赤く染まった部屋を背景に、朝焼け色の瞳の少女は屈託なく笑う。ドミトリーは念入りに手を洗いたくなった。

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