第32話 限りなく黒に近いグレー

 殺人犯がいるという通報を受けて、ミルジェンスク警察刑事課のアントンとインノケンティウスは、街の西の酒場『ザフトラシニーヤ・パゴダ』を訪れた。

「すみません、ダルス・エンゼルシーさんいますか?」

「いません。昨日から帰ってきてません」

 アントンの質問に対し、店員のエメラルド色の髪の女性が答えた。店主の老婆にも聞いてみたが同様だ。

「いないなら仕方ないっすね。じゃあ今日はこれで……」

「待て待て。何ボケかましとんねん」

 帰ろうとするアントンに対し、インノケンティウスが訛った喋り方でツッコミを入れる。

「うちら警察が犯人捕まえに行って留守でしたー、手がかりなしですー、なんて言えるわけないやろ。せめて部屋の中を見て、手がかりになるようなもん見つけんと」

「そうっすね。すみません、一応、部屋を改めさせてもらってもいいっすか?」

「……仕方ないね」

 店主が合鍵を持ってきて、ダルスの部屋の鍵を開ける。まずアントン、そしてインノケンティウス、最後に付き添いとして、店員の女性が中に入った。

 奥のベッドで男が寝ていた。

「いたぁ!?」

「おるやんけ!?」

「なんでいるの!?」

 付き添いの女性が驚いている辺り、本当に誰にも何も言わずに帰ってきたらしい。

 アントンは急いでダルスに駆け寄り、揺り起こす。

「ダルスさーん、おはようございますー。警察ですよー」

 ダルスは目を覚まさない。

「アカンでアントン、それじゃアカン。どけ、手本みせちゃる」

 インノケンティウスがアントンと交代し、ダルスを揺り起こす。

「おいコラァ! 起きろ! ミルジェンスク警察や! 寝たふりしても許さんで、起きろや!」

 インノケンティウスが激しく揺さぶると、掛かっていたシーツがずれた。顕になった腕には、赤黒く染まった包帯が巻かれていた。よく見れば、体中真新しい傷だらけだった。

「……おい、ちょっと、アンタ、おーい?」

 インノケンティウスが恐る恐るダルスの頬を叩くが、反応は無い。額に手を当てるとハッと表情が変わった。

「なんちゅう熱や……アントン! 救急車呼べ! 死にかけてるでコイツ!」


――


 病院に担ぎ込まれたダルスは翌日に目を覚ました。アントンとインノケンティウスは事情聴取を行ったが、ダルスは名前以外は黙秘を貫いていた。

「……どう思うよ、アントン?」

「誰かをかばってるのは間違いないっす。だって、15人っすよ、15人? 抗争っすよ、これは。コズロフ・ファミリーとホテルの」

 街外れの工場で起きた殺人事件。実に15人もの人間が死体で見つかった。被害者はいずれも、街外れのモーテルに滞在していた男たちだ。

 だがこの事件、あまりにも謎が多い。

 被害者は全員武器を持っていた。それもナイフや拳銃、手榴弾にライフルといった、本格的な武装だ。彼らが黙って殺されたとは思えない。事実、発砲した痕跡がある。被害者と同等、あるいはそれ以上の集団に襲われたとみて間違いないだろう。

「せやけどなあ、事件があった時、コズロフ・ファミリーは事務所に集まってたんやで? マル暴の連中が見張ってたんや。ワープでもせんと、工場に行けへんやろ」

「でも、電話で殺人事件の犯人はダルス・エンゼルシーって言ってたじゃないですか。あいつが働いてるのはコズロフ・ファミリーの酒場で、だから抗争で間違いないっすよ」

「それや。その電話や。何でタレコミの相手はダルスの名前しか出さなかったんや?」

 この事件が発覚したのは、昨日の朝にかかってきた匿名の通報によるものだった。

『町外れの工場で殺人事件が起きた。犯人は、『ザフトラシニーヤ・パゴダ』という酒場の従業員、ダルス・エンゼルシー』

 通報を受けたアントンとインノケンティウスが容疑者の部屋に入ったところ、2階で瀕死のダルスを見つけた。発熱していたので、パトカーではなく救急車に乗せることになった。

 原因は、腕の傷を素人縫合で処置したものによる感染症。解熱剤を飲んでいたようだが、非合法なものであり効果はほとんどなかった。

「他にも共犯がいるはずなんや。何でコイツだけ?」

「さあ……」

 考えれば考えるほど不可解な事件だ。そもそもここ最近のミルジェンスクは、不可解な事件が多すぎる。アゴン・スズハレイ襲撃事件。麻薬密売グループ虐殺事件。ゼミリヤ壊滅事件。そしてこの、廃工場での大量殺人事件。1年分の血を見た気分だ。

「……どう思います、お兄さん?」

「黙秘する。というか、目の前であれこれ推理するのをやめろ」

 インノケンティウスの問いかけに、少し離れたベッドにいたダルスは証言を拒否した。

「いやあ、目の前でベラベラ喋ればツッコミ入れてくれるかと思って」

「漫才をやっているんじゃないんだぞ。そもそもこれは取り調べなのか? 録音も録画もない取り調べは違法のはずだぞ」

「やだねえ、ただの世間話に決まっとるやないか。お兄さんはたまたま聞いてるだけよ、たまたま」

「なら返事はしない」

「口が堅いねえ……」


――


「さて、ドミトリー君。これは一体どういうことかね?」

「いや署長、これはですね……」

 鉄工所で大量殺人事件が起きた。その通報を、ローアン署長は当然知っている。そこが、ドミトリーの作戦に使われている場所だということも知っている。

「駅長の娘を誘拐し、それを餌にコズロフ・ファミリーを一斉検挙する作戦と聞いていたが……何だこれは。全員殺された上に、娘も奪い返されているではないか」

「ですから、これからユリアンに容疑を押し付けて逮捕を……」

「ユリアンたちは昨日の晩、自分たちの事務所に立てこもっていた。君の部下の報告だ。これでどうやって容疑を押し付けるつもりだ、うん?」

 その上、こちらが隠蔽する前に通報があり、刑事課の連中が現場と容疑者を確保してしまった。もはや揉み消しようがない。

「いえ、決して失敗ということではなく、あくまでも相手の力量を測るものでして……」

「言い訳はやめたまえ。今回で駅の一件を終わらせると言ったのは君だろう?」

 そこまで言われて、ついにドミトリーは呻き声を上げて黙り込んだ。ローアンは大きくため息をつく。

「……もういい。コズロフ・ファミリーには私が直接対応する。君はマスコミを抑えたまえ。工場の一件を嗅ぎつけた奴らがいる」

「しかし……」

「さっさと行け!」

 ドミトリーはギクシャクした動きで一礼すると、大慌てで署長室を出ていった。ローアンは吸いかけの葉巻を灰皿で潰す。

「失礼しますよ」

 小さなノックの後、部屋に入ってきた人物がいた。連邦保安局の捜査官、カイン・ディアギレフだ。

「お取り込み中すみませんね、署長さん。ちょいとお話したいことがあるんですが」

「何だね。今は忙しいんだ。郊外で大量殺人事件が起きたんだよ」

「その事件だが……1人、生き残りがいた事はご存知かい?」

「……何?」

 ローアンは眉根を寄せる。現場には死体しかなかったと、刑事課の連中が言っていた。

「そいつがな、今出ていった副所長さんに誘拐を指示されたそうだ。報酬は200万ルーヴル。前金の100万ルーヴルはそいつのモーテルにあった。駐屯地から横流しした武器と一緒にな」

「ドミトリー、あの馬鹿者め……!」

 口封じが済んでいなかったのか。ローアンは歯ぎしりする。だが、カインは更にローアンを追い詰める。

「さて、こっからが本題だ。誘拐されたのはオリンピア・イパティ。ミルジェンスク駅の駅長、コーリア・イパティの娘だ。

 そして誘拐犯の要求は……列車を使った大規模な麻薬の密輸に協力すること」

 カインは机に1枚の紙を叩きつけた。脅迫状のコピーだ。

「モーテルのゴミ箱から見つけたよ。こいつを探れば、ドミトリーの指紋も見つかるはずだ。

 ホテルの麻薬を、貨物列車を使って極東中に広めるつもりだったか? 全くよくやる。署長さん、あんたやっぱり、ビジネスの才能があるよ」

「……生きて帰れると思うなよ、貴様」

 殺気立ったローアンに対して、カインは慌てた様子で手を上げた。敵意がないことを示すポーズだ。

「っと、待った待った。そこまで事を荒げようとは思ってないんだよ、こっちは!」

「……何?」

「いや、確かに煽るような言い方をしたのは悪かった。ここまで辿り着くのに時間がかかったし、結局最後は運頼みだったからな。文句の一つも言いたくなる。

 だけどウチらは……あ、もちろん上も、怒ってるわけじゃないんだ。ただちょっと、筋を通してほしいわけよ」

 カインの言い方にローアンは覚えがあった。ホテルが麻薬密売を始めた頃、そのオーナーが密会を求めてきた時の態度と同じだった。つまりカインの、ひいては連邦捜査局の目的も同じなのだろう。結局は、金が欲しいのだ。

「なるほど……幾らだ?」

「年間5,000万。それと、西側に販路を拡大しないこと。極東エリアに流してくれる分には、文句は言わん」

 カインが要求してきた金額は、今の売上の半分以上だ。厳しい要求だが、列車を使って販路を拡大できれば取り返せる。今、ここで捕まるよりはマシだ。

 ただ、ひとつ疑問点がある。

「販路は……東に拡大する分にはいいのかね?」

「ああ。構わん。どんどんやってくれ」

「極東軍閥への牽制か?」

 ローアンの脳裏に浮かんだのは、極東エリアに駐屯する連邦軍だった。中央の影響力の低下により、国内に不穏分子がいくつか出現しているが、その中でも特に勢力が大きいのが、連邦極東地域に駐留する軍隊、通称『極東軍閥』だ。

 彼らは軍隊でありながら、治安維持だけでなく地方の政治にも口出ししているらしい。ミルジェンスクにも駐屯地があり、市長はたびたび駐屯地から意見を出されているという話も聞いたことがある。

 それを弱らせるために、あえて麻薬を蔓延させようという考えなのか。軍隊という過酷な環境では、確かに麻薬が蔓延する余地はある。

 カインはローアンの問いを否定も肯定もしなかったが、肩をすくめる仕草からは、どちらかといえば肯定のニュアンスが読み取れた。

「ならば1つ、条件がある」

「何だい?」

 本音を言えば必要のない条件だが、ローアンとしては出し抜かれてばかりでは満足できない。一度、溜飲を下げておきたかった。

「販路拡大のために使いたい人間がいる。ハザエル・ディマスカだ」

「……ちょっと待て、もう捕まえたのかよ!?」

 その驚く顔が見たかった。

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