第37話 続く日常、始まる企み

 警察と密約を結び、それを逆手に取って密告を行おうとしているダルスだったが、それほそれとして店の仕事がある。体調が回復したダルスは、以前のように店の車で買い出しに出た。

 市場に着いて車を降りると、少し離れた所にワゴン車が停まったのが見えた。乗っているのは白いコートの男だが、降りてくる様子はない。ダルスは僅かに目を細めた後、気付かないふりをして市場に向かった。

 あれは今朝からダルスの車を尾行している。恐らく警察から送られてきている監視員だろう。ダルスが妙な気を起こせば、すぐに報告される。

 市場はダルスが入院する前と変わらなかった。ただ1つ、気になるのは花屋。遠くから様子を見てみると、アンジェリカが働いているのが見えた。オリンピアはいない。安心したような、申し訳ないような気分だ。

 いつものように肉屋に向かうと、店主の中年女性が驚いて声をかけてきた。

「おやあっ、ダルスさん! 久しぶりだねえ!」

「どうも」

「あんた警察に捕まったんだって? 大丈夫だったかい?」

「何とか。濡れ衣は晴れました」

 警察に捕まったダルスは、あくまでも重要参考人として任意同行に付き合い、逮捕されずに釈放されたという体になっている。そうでなければ、こんな呑気に市場で買い物などできるわけがない。

「うーん、でも気をつけなよ。警察の人、来てるから」

「……どこだ?」

「東の柱の影」

 顔は動かさず、視線だけで確認する。確かに、スーツ姿の2人組がダルスを見ている。

「変なことしたらとっちめようって顔だよ。気をつけな」

「感謝する」

 代金を支払い、商品を受け取って、ダルスは肉屋を後にした。

 その後は買い物をこなしつつ、刑事たちの様子を窺う。病院でダルスを見張っていた2人組だ。追加の監視員というわけではなさそうだ。独自にダルスを追いかけているのだろうか。だとしたら、警察内部も一枚岩ではないのかもしれない。

 買い物を終えると、車に荷物を積んで市場を後にした。ワゴン車がついてくる。2人組の警官は追ってこなかった。


――


「隣、いいかい?」

 タバコの煙を燻らせていたベンジャミンは、声をかけられて我に返った。そこに立っていたのは、連邦軍ミルジェンスク駐屯地司令エラスト少佐。上司である。

「お疲れさまです!」

「ああ、いいからいいから」

 立ち上がって敬礼するベンジャミンに対し、エラスト少佐は柔和な表情で応える。エラストがタバコを咥えた。ベンジャミンはライターを取り出し、火を点ける。

「ありがとう」

 エラストは煙を一吸い。美味そうに吐き出す。

「ああ、そうだ。装備品横領の件、見つけたみたいだね。ご苦労さま」

「いえ、自分は任務を果たしただけです」

 ダルスから連絡を受けたベンジャミンは、ダルスが奪った武器が横領されたものであることを確認していた。どうやら、オリンピアを誘拐した犯人グループが使っていたらしい。

「ちょっと座りなさい」

「失礼します」

 エラストに促され、ベンジャミンはベンチに腰を下ろす。すると、エラストは声を潜めて告げた。

「警察に流出品を返すように言ったら、断られた」

「……何ですって?」

 工場に残っていた犯人グループの武器は警察が証拠品として押収している。それが流出品なら軍へ返却する義務がある。それを断るとは、どういうことだろうか。

「誘拐犯が使っていた銃器は民生品で、軍の流出品は一切なかったと」

「しかし……」

「わかってる。確認するから実物を見せてくれと頼んだよ。だけど、証拠品だから部外者には見せられない、の一点張りだ。そんなに隠すなんて、どんな都合の悪いことがあるんだろうな?」

 何故警察がそれを隠すのか。考えたベンジャミンに、1つの可能性が思い当たる。

「まさか」

 言いかけたベンジャミンを、エラストは手で制した。

「迂闊なことは口走るものじゃない。口は災いの元、と言うしな。だが……」

 エラストは手を下ろし、タバコを吸う。

「駐屯地司令としての個人的な頼みだ。横領物資がどうして誘拐犯まで流れたのか、全容を明らかにしてほしい」

「……了解しました!」

 ベンジャミンは背筋を伸ばして敬礼した。エラストは満足げに頷く。

 いつの間にか、ベンジャミンのタバコが短くなっていた。潰して、灰皿に捨てる。

「それでは、失礼いたします」

「ご苦労さま。ああ、それと」

 去ろうとしたベンジャミンに、エラストが声をかける。

「今回は非公式の作戦だからね。マフィアに堂々とお願いしても構わないから」

「……ご存知で!?」

 報告書には書かなかったはずだが。ベンジャミンの背中を冷や汗が流れ落ちる。

「君は真面目だからねえ。文章のごまかしが隠せてないんだよ。次からは気をつけなさい」


――


 店が終わった後、ダルスは自室で図面を睨んでいた。1枚ではない。テーブルの上に大小様々な図面が並んでいる。ミルジェンスクの街の地図もあれば、ミガン・ストリートだけに絞った地図もある。中には警察署の見取り図や、手書きの地図なども混じっている。

 ダルスがそれらの地図にペンでいろいろと書き込んでいると、ドアがノックされた。

「何だ?」

 この時間に部屋を訪れる人間は決まっている。コリウスだ。ドアが開かれると、アイスブルーの瞳の女性が顔を出した。

「そろそろ寝るわ」

「ああ、おやすみ」

「……何してるの?」

 コリウスはテーブルの上の図面に興味を持ったようだ。部屋に入って、ダルスの隣に座って図面を覗き込む。

「地図?」

「ああ。集めた情報をまとめている」

 図面の1枚をとり、ペンで警備シフトを書き込んでいく。ホテルの一味が根城にしている事務所だ。他のホテルの建物よりも詰めている人数が多い。恐らく、ここが麻薬の保管場所の1つだ。

「……まさか、乗り込むつもり?」

「いや。ただ、何かあった時に情報があると無いとじゃ大違いだからな」

「アゴン・スズハレイの時みたいに、1人で乗り込んでいかないの?」

 コリウスが咎めるような視線を投げかけてくる。

「あれは……その、たまたま上手く行っただけだ。俺の顔も知られてなかったからな。今だったらクラブに入る時に銃で撃たれるだろう」

「ふーん」

 コリウスは図面の1枚を拾い上げた。郊外の倉庫の見取り図だ。

「これ、真っ白ね」

「ああ。そこは……知ってる人間が見つからん」

 これらの情報はダルスが1人で地道に集めている。どうしても手の届かない所は出てきてしまう。

 白地図を眺めていたコリウスだったが、何か思いついて声をかけてきた。

「手伝えるかしら?」

「いや、別に……俺が無いと安心できないだけだしな」

 それに、それなりに機敏がいる仕事だ。コリウスに万が一のことがあったら困る。

 ところがコリウスは妙なことを言い出した。

「でも、皆でやった方がすぐ終わるわよ」

「……皆?」

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