第38話 心の棘
カーテンが開いた。陽の光が差し込んでくる。オリンピアは眩しさに目を細める。
「いい天気ね。本当に」
窓の側に女性がいる。エメラルド色の髪が、陽の光に照らされて宝石のようにきらきらと輝いている。
「コリウス、ごめん。窓、閉めてくれない?」
オリンピアは彼女に声をかけた。
「どうして?」
「その……ごめん」
「大丈夫よ。変な人はいないわ」
コリウスはオリンピアの見舞いに来ていた。誘拐事件以降、店にも配達にも出られなくなったオリンピアが、コリウスに会うのは久しぶりだった。
見舞いの花は机の上に飾られている。花屋さんにお花を持っていくなんて、変な感じね、と持ってきたコリウスはおかしそうに笑っていた。
「それに、ユリアンさんの仲間の人が見張っててくれてるもの。何かあっても助けてくれる」
それはオリンピアも知っている。下の階の部屋に、ちょっと素性が悪そうな男性が2人、部屋を借りている。父はハッキリとは言わなかったけど、オリンピアを守るために引っ越してきた人だと察することはできた。
だが、それでもオリンピアは安心できない。彼が来れば、その程度のボディーガードは一瞬で殺されてしまう。
「……ねえ、コリウス」
「なあに?」
「あの、ダルスさん、今、どうしてる?」
彼が何をしているのか知りたかった。警察に捕まっているのか。逃げ出したのか。それとも、まだオリンピアをどこからか見ているのか。
コリウスは笑みを浮かべつつ、答えた。
「そうね。今頃、ヤキソバの仕込みをしてるんじゃないかしら?」
「……え。働いてるの?」
「ええ」
「警察は!?」
「捕まったけど、帰ってきたわ。間違いだったんですって」
間違い。そんなはずはない。
「そんなはずないわよ! だって、私、見たもの! あの人は……人殺しなのよ!?」
オリンピアはあの日、ダルスがやったことを全て見ていた。そして警察に知らせたのだ。殺人犯がザフトラシニーヤ・パゴダに潜んでいると。
「この街に来る前に、いっぱいいっぱい人を殺して……それで、逃げてきたの! だから危ない人なのよ!
私だってきっと、少しでも間違ったら殺されてた! コリウスだってそうよ、今は優しくされてても、都合が悪くなったら殺されるわよ!?」
恐ろしかった。人を事もなく拳銃で殺すあの人が。瀕死の人間に銃弾を撃ち込みとどめを刺すあの人が。年端もいかない少女と凄まじい斬り合いを繰り広げたあの人が。ずっと気にしていたからこそ、彼が隠していた本性に、オリンピアは怯えていた。
しかし、コリウスは平然と言い放った。
「いいえ。彼はそんな事はしないわ」
「どうして!?」
「信じてる」
たった一言、コリウスはそう言った。あまりにも無防備で、無根拠で。でも力強い言葉だった。一片の曇りもない信頼。
オリンピアの頬を、涙が流れ落ちた。
胸を刺すのは罪悪感。コリウスのように、憧れていたあの人を信じられることができなかった。命を助けられたのに、手酷く裏切ってしまった。
オリンピアも助けられたことにはわかっていた。だから警察に、『酒場に殺人犯がいる』と曖昧なことしか言えなかった。だが、恐怖に負けた。それは確かだ。
「コリウス、コリウス……ッ」
「大丈夫?」
「あのねっ、私……」
言わなければならない。彼女へ、そしてダルスへの謝罪を。
「警察に、電話した……ッ。私が、ダルスさんのことを、警察に言ったの……ッ!」
「貴方が……?」
「助けられて、なのに怖くなって……警察に電話して……でも、テロリストだとか、いっぱい人を殺してたとか、そういう事は言えなくて……!
言っちゃいけなかったのに、私、酷いことした……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
涙が溢れる。嗚咽が止まらない。申し訳無さで胸がいっぱいになる。
オリンピアは膝を抱えて泣き続けた。コリウスはそんな彼女の背中にそっと手を添えて見守っていた。
やがて、オリンピアの嗚咽は小さくなり、涙は止まった。
「落ち着いた?」
「うん……ごめんなさい」
「いいのよ。オリンピアが正直に話してくれてよかった」
コリウスは変わらず優しく微笑んでくれていた。
「コリウス」
「なあに?」
「どうしたら、ダルスさん、許してくれるかな?」
「そのまま謝れば許してくれると思うわ。あの人なら」
コリウスはそう言ってくれているが、オリンピアはそれだけでは収まらなかった。
「ううん、でも……それだけじゃなくて、あの人を助けてあげたい」
何でも良かった。オリンピアにできるなら何でもするつもりだった。そうでもしなければ自分自身が納得しない。
コリウスはオリンピアの決意に、しばし考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「オリンピア」
「うん」
「頼みたいことがあるわ。あの人が助けてほしいこと」
「何?」
「街の皆に、オリンピアから声をかけてあげて」
――
「ちわー。酒の納品に来ましたー」
街の東の酒場を業者が訪れた。店長が裏手のドアを開け、業者に応対する。
「ああ、いつものね」
「はい。あれ、今日はあのお兄さんたち、いないんですねー」
業者が言っているのは、店にたむろしているホテルのマフィアたちの事だ。
「ああ、あの人たちねえ、毎週水曜日は会合があるって言って帰るのよ」
「へー。あ、ここにサインお願いしまっす」
「はいどうも」
「ありあとあっしたー」
店主からサインを受け取った業者は自分の車に乗り込んだ。そしてスマートフォンを取り出すと、メールを打ち込んだ。
「オリンピアちゃんからの頼まれごとはこれで終わり、っと」
――
「すいません、掃除終わりました」
ミルジェンスク警察署の通用口に掃除業者たちがやってきた。署内の清掃が終わったようだ。
「お疲れさまです。それじゃ、こちらにサインを」
「はい」
通用口を通る関係者は、全員この名簿に出入りを記録するようになっている。掃除業者は慣れているので、淀みなくサインと時間を書き込む。
「はい」
「どうも。お疲れさまでした」
業者たちは一礼して警察署を出ていった。少し歩いて、一番の若手が口を開いた。
「いやあ、改めて見ると色んな部屋がありますね、この警察署」
「そうだな。結構長いこと掃除してたけど、ちゃんと見たのは初めてだ」
「ゴミとか汚れは見るけど、人はあんまり見ないからな」
「じゃ、コリウスちゃんにメール送るのはお前な。一番ゴミが少なかったから」
「勘弁してくださいよほんとに……マトリは全然ゴミが無いのわかっててやったでしょ、今日の賭け」
「掃除する前に気付けや」
――
「へいらっしゃい! おっ、ジミちゃん!」
「やあ、カトちゃん。ヒラメはあるか?」
ミルジェンスク中央市場。魚屋を訪れたのは、ホテル『クロドゥング・メヴリージャ』のシェフだった。
「ヒラメ? あるよ! どうしたんだい? ホテルで結婚式かい?」
「いや、オーナーが食べたいっていうから仕入れてこなくちゃいけなくてな。はぁ、全く」
「ジミちゃんも大変だねえホント。いっつもオーナーのわがままに振り回されてばっかりじゃん」
「オーナーが変わってからいっつもこの調子だよ。金払いは良いけど、それだけだなあ」
店主はヒラメを袋に詰める。
「……ジミちゃんさあ、やっぱり、ホテルは辞めないつもりかい?」
「言うなよ。家族を食わせるためだ。それに辞めたらどうせ、次の店に嫌がらせしてくるだろ、あいつら」
シェフは袋を受け取る。すると、不思議そうな顔をして中身を確かめた。
「多くないか?」
「おまけだよ。家族に美味いもん食わせてやんな」
「……ありがとな」
シェフは手を上げ、礼を示すと、魚屋を離れていった。店主はその後姿を見送ると、スマートフォンを取り出した。
――
「で、それが送られてきたメールをデータベース化して纏めたファイルです」
「……その、感謝する」
コリウスが手伝うと言ってから数日後。街の住人から送られてきたメールを元に、ダビドとその部下がデータベースを作り、ダルスに送ってきた。
調べたい建物の詳細な見取り図や、詰めている人数、警備シフト、その他諸々。ホテルの内情が事細かに記されていた。ここまで相手のことを調査できたのは、聖歌隊時代でも中々無かった。
「コリウス、お前、その……凄いな」
「オリンピアも褒めてあげて」
「オリンピアが?」
ダルスが問いかけるが、コリウスは謎めいた微笑みを浮かべるだけだった。
「いや、本当に助かった」
ともあれ、相手の手の内はこれで知れたも同然。万一のことが起きてもすぐに対処できるだろう。
後は署長からの連絡を待ち、相手を罠に嵌めるだけだ。
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