第45話 ベッドの上のメフィスト

 ダルスは悲鳴を上げながら起き上がった。べッドのスプリングが軋んでいる。服が寝汗で湿っていた。

 頭に手を当てる。酷い夢だった。まだ中央にいた頃の、アシリアの夢。心の底から愛していた。今でもこうやって何度も夢に出てくる。最近は見ていなかったからか、いつもよりリアルだったように思える。

 俺が殺したようなものだ。ようなものじゃない。俺が殺した。引き金を引いたのは俺の指だ。

「自分の罪と向き合うなんて、偉いじゃないか」

 背後から声。コリウスではない。もっと若い少女の、それでいて老獪な重みを感じさせる、心の隙間に滑り込んで安心させる声。

 ダルスはこの声の主を知っている。知っているからこそ慄然とする。ここにいるはずがない。どうしてここにいる。

「夢だからさ。よくある話だろう? 夢から目を覚ましたと思ったら、それもまた夢の中だった」

 振り向けない。体が縛り付けられたかのように動けない。なのに、後ろにいる少女の姿は、まるで映画のワンシーンのようにありありとわかる。

 少女は艷やかな黒髪を三つ編みにして、腰まで伸ばしている。年若い顔つきでありつつも、青い瞳に宿る知性は、何十年も生きてきた老人のそれだ。柔らかい肉付きを感じられる女の体に、シワひとつ無い燕尾服を纏っている。

 いつからそこにいたのか。寝ている時に部屋に忍び込んできたか。それとも、寝る前に既にいたのか。いや、それよりももっとずっと前から、そこに居たような気がする。

 そもそも今の今まで、どうしてダルスは彼女のことを忘れていたのか。大佐に復讐するように仕向けたのも、トゥエリスタンに行くように言ったのも、彼女だった。たった1人で駐屯地を襲撃できるはずがない。何のツテも無いテロ組織に、幹部待遇で参加できるわけがない。

 考えれば考えるほど、異様さがダルスの内側から湧き上がってくる。こんな事を忘れていた自分に、そしてそうさせたであろう少女に恐怖する。さっきの夢のように叫びたい気分だった。

 それでも、恐怖を抑え込む。

「……何の用だ」

 背後の少女は目を丸くした。

「凄いね。そんなに怖がってるのに、今の僕に興味があるんだ」

「何の用だと言っている。無いなら出ていけ」

「つれないなあ」

 少女がダルスにしなだれかかる。ダルスの首に腕を回し、全身を密着させてくる。吐息がダルスの耳をくすぐる。

「長い付き合いじゃないか。用がなくても、君を訪ねたっていいだろう?」

「うるさい」

 耳を傾けてはいけない。絡め取られる。散々思い知った。

「……うん、まあ、本当に用は無いんだよ。僕たちの関係は、あの雨の晩に終わったんだし。でもね、君が面白そうだから、ちょっとだけ顔を出してみたんだ」

「面白そうだと? 俺は何も楽しんでいない」

「違う違う。君の物語が面白そうだ、ってこと。まさか君とコリウスの物語が、こんな所で交差するなんて、思ってもみなかったよ」

 少女の言葉に耳を疑った。体が動いたのなら、驚いて振り返っていただろう。

「コリウスを知ってるのか!?」

「うん。だって、彼女の記憶を貰ったのは僕だから」

「何を……どうしてそんな事を!?」

「それを口にするのは無粋さ。知りたかったら、君たちの手で見つけなよ」

 背中の熱が離れる。

「それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ」

「待て……!」

「待たないよ。僕は君に言われた通り、用がないからすぐに帰るだけさ」

 僅かに口を尖らせて、夢は終わる。

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