第20話 ソビエトカラテ血戦譜

 ソビエトカラテ。それはまだ連邦が共産主義体制だった頃に編み出された戦闘術である。

 創立者は不明だが、歴史に初めて姿を表したのは、1970年代にとある都市で起きたデモの時であった。食料価格の引き下げを求める2万人のデモ隊に対し 政府は1,500人の警官隊を投入。実弾すら使用した強硬姿勢によりデモ隊は600人以上の死者を出し、2日で解散した。

 だがその最中、完全武装の200人が守る警察署が、たった300人の非武装市民によって制圧されてしまったのだ。その先頭に立っていたのが、カラテを習得した格闘家、すなわちカラテカであった。警察署の屋上で正拳突きの演舞を行うカラテカたちの写真は、当局の検閲も虚しく瞬く間に連邦全土に広まった。これがソビエトカラテの起こりと言われている。

 それ以来、『乱ある所にカラテあり』と言われるほど、各地のデモでカラテが振るわれるようになった。手を焼いた政府はカラテ禁止令を発令するが、カラテカたちは別の武術に偽装し、時には闇社会の庇護を受け残り続けた。この頃からカラテは本来の型から逸脱し始め、区別のためにソビエトカラテと呼ばれるようになった。

 全国各地に吹き荒れるソビエトカラテの嵐に対し、当局もまたカラテで対抗した。カラテの講師を本場日本から呼び、警官たちに指導させ、更に対ソビエトカラテの動きを取り入れ、政府流のソビエトカラテを作り上げた。前大統領が柔術でソビエトカラテ暗殺者を撃退し、柔術ブームが起こるまで、ソビエトカラテは影の国民的格闘術だったと言っても過言ではない。

 今日、ソビエトカラテには2つの流派がある。1つは、下層労働者や闇社会の人間たちによって受け継がれてきた、闇のソビエトカラテ。都市戦闘を想定し、武器術も取り入れている。もう1つは、政府が闇のソビエトカラテに対抗して編み出した光のソビエトカラテだ。対集団戦と暴徒鎮圧に主眼を置いており、投げ技や関節技も取り入れている。

 ダルスが身に付けたのは光のソビエトカラテである。本格的に取り組んだわけではなく、主軸の戦闘術の補助として身に付けたのだが、使い勝手は良かった。素手での戦いに限って言えば、身内以外に遅れを取ったことはない。例え左腕が本調子ではなく、15人の武装したマフィアに囲まれようと、殺される気はしなかった。

 ダルスはマクシムに向かって駆け出す。マクシムが斧を構え、その後ろで黒スーツの男が2人、銃を向けてきた。ダルスはすぐさま方向転換、横から走ってきていた男に、すれ違いざまにボディブローを叩き込む。更に前に進み、ナイフを持った男の顎に掌底を放つ。男は気を失い、ナイフを取り落とす。

 ダルスは前転しながらナイフを拾い、拳銃の狙いを反らす。起き上がりざまにナイフを投げつける。拳銃を持った男の肩にナイフが突き刺さった。

「ぐああっ!?」

 男は悲鳴を上げ、勢いで引き金を引いてしまう。銃弾は天井の照明に当たり、火花を階下のホールへと撒き散らした。突然の銃声と火花に、一般客は悲鳴を上げて逃げ出し始めた。

 ダルスは止まらない。向かってくる男たちからの攻撃を避け、逆に踏み込んで急所への一撃を放つ。銃を持った敵もいるが、ダルスが常に他の男を盾にするように戦っているため狙いが定まらない。ためらっているうちにダルスが奪い取った武器を投げつけられ、無力化される。

 ダルスが特段優れているわけではない。都市暴動こそが光のソビエトカラテが想定した戦場である。相手が暴徒ではなくマフィアという違いこそあるものの、武装した多人数を相手にしているという点では、理想の戦場とも言えた。

 光のソビエトカラテは敵が味方より多いことを前提とした格闘術だ。数の優位を覆すため、ソビエトカラテは敵を『壁』とし、『武器』とする。常に敵の近くにいることで同士討ちを誘い、時には投げ技で敵を別の敵にぶつけることで、1人の優位を存分に活かす。そして打撃は徹底的な急所狙い。一撃の破壊力を極限まで高めることで、手数を減らしてスタミナを保つ。多人数相手の不利を打ち消すのだ。

 銃口がダルスに狙いを定める。ダルスは素早く飛び退き、椅子を手に立ち上がろうとしていた男を盾にする。射手が気付く前に引き金が引かれ、椅子を手にした男は背中を撃たれた。

「ぐうっ!?」

「あっ……」

 拳銃を持った男が同士討ちに動揺する。その時既に、ダルスは背中を撃たれた男を回り込んで射手の目の前に迫っていた。射手は慌てて銃口を向けるが、遅い。銃を掌底ではたき落とし、ガラ空きになった顎へアッパーを放つ。歯が砕ける感触が拳に伝わった。

 視界の端に動く影。見ると、マクシムが斧を振り上げていた。ダルスは横に飛び退き、振り下ろされた刃を避けた。代わりにアッパーを受けた男が真っ二つになった。

「テメエ……人をナメ腐るのもいい加減にしやがれ」

 味方を殺した事に微塵も動揺していない。ダルスは思考の照準をマクシムに合わせた。銃を持っている人間は全員潰した。残りは4人。一番厄介なのは、同士討ちも厭わず襲いかかってくるこの男だろう。

「ぶっ殺して、頭はババアの店に送りつけて、それ以外は豚の餌にしてやる」

 十分に惨めな死に様だ。できるのであれば、それで十分だろう。

「なら、上手く殺してみろ」

 ダルスが前に踏み出した。それに合わせてマクシムは斧を横薙ぎに振るう。ダルスは身を屈めて避け、脇腹にボディブローを放つ。マクシムの体に突き刺さるが、相手は倒れない。体躯が良い。

 反撃の斧をバックステップで躱す。斧は床のタイルをいとも容易く砕いた。その破壊力にダルスは舌打ちする。受けることも奪い取ることも難しい。だが、対処の仕様はある。

 斧は消防署に設置されていたり、林業に携わる労働者が所持している事もある、比較的身近な武器だ。故に、ソビエトカラテも斧を持った相手を想定している。1対1に持ち込めば負けることはない。だから、まずは周りを潰す。

「死ねやぁ!」

後ろからナックルダスターを嵌めた男が殴りかかってくる。避けて、腕を掴んで、肘の関節を軽く極める。男が悲鳴を上げる。そのまま男を突進してきたマクシムの足元に投げ捨てる。マクシムは男につまづきバランスを崩した。

 その間にダルスは駆け、ソファを踏み台にして高く飛ぶ。狙いは、床に落ちた拳銃を拾おうとしていた男。その側頭部に跳躍の勢いのまま飛び蹴りを叩き込んだ。男は地面に打ち倒される。

「うおおおっ!」

 そこへ別の男がナイフを振り回して襲ってきた。2,3度の斬撃を避け、リズムを計り、相手の攻撃に合わせて手首を掴む。男は振りほどこうともがく。それに合わせて手を放し、同時に腹に蹴りを入れてやる。自分で暴れた勢いも合わさり、男は後ろに吹っ飛んでいった。そして、追ってきていたマクシムに衝突する。

「邪魔だぁっ!」

 飛んできた男はマクシムに蹴り飛ばされ、テーブルに顔面を叩きつけて倒れた。その時既に、ダルスはマクシムに向かって踏み込んでいた。既に部下は全員倒れ、1対1になっていた。マクシムの足に痛烈なローキックを放つ。マクシムは倒れないが、痛みに動きを止めた。休む間もなく、顔面と腹に拳の連撃を放つ。

「しゃらくせえ!」

 マクシムは斧を横薙ぎに振るった。ダルスは慌てることなく身を屈め、刃の下を潜り抜けた。斧は身近な武器とはいえ、本来は人間に向けて使うものではない。先端に重心が偏っているので破壊力はあるものの、振るえば必ず大振りになる。

 故に、ソビエトカラテは一撃を避けた後の隙に最大火力を叩き込む。縦に振り下ろされたなら、持ち手の人差し指と肘を折った後に顔面への肘打ち。そして、今のマクシムのように横に薙ぎ払われたのなら、初撃の拳は股間に突き刺さる。

「おごおッ!?」

 鍛えようのない急所からの痛みにマクシムが身悶えした時、既にダルスは二撃目を放っていた。鳩尾。内蔵が打撃の衝撃で揺らされる。立ち上がりつつ三撃目、喉。喉仏が潰れる。最後の四撃目は唇と鼻の間の急所、人中。鼻が潰れ、脳を揺さぶるトドメの一撃。

 マクシムは斧を取り落とし、仰向けに倒れた。完全に昏倒している。ダルスは前後左右を確認し、動いているものがないことを確認すると、構えを解いて大きく息を吐いた。左腕が軋む。最後の連撃で力を込めすぎた。また、ロウリに見てもらわなければな、とダルスは反省する。

 だが今は体調管理よりも先にやることがある。ダルスはコートのポケットからスマートフォンを取り出すと、倒れている男たちを次々と写真に撮り始めた。腕を折られた男の写真。テーブルに頭を突っ込んだ男の写真。斧で斬られた男の写真。最後にマクシムの顔をアップで撮る。吐瀉物にまみれて白目を剥いている写真になった。無様の極みのような画像だ。

 必要なものを手に入れたダルスは、スマートフォンをしまうとVIPエリアを後にした。下のフロアは無人だった。全員避難したのだろう。警察にもとっくに通報されているはずだ。サイレンの音が聞こえてくる前に、ダルスは裏口からクラブを後にした。

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