第51話 ロスタイム
「急な話ですみませんが、今日で店を辞めることになりました」
そう言われた肉屋の店主は、目を丸くした後、残念そうに言った。
「あらあ……借金は返し終わっちゃったの?」
「ええ」
「別にこの街にいてもいいのに」
「いえ、行くところがあるので。すみません」
ダルスの決意が固いのを知ると、店主はそれ以上引き止めなかった。
「しょうがないわね……それじゃあ、ハイ、これ。品物ね」
「ありがとうございます」
「向こうで落ち着いたら、また旅行にいらっしゃい。大したことない街だけど、皆歓迎するわよ」
ダルスは頭を下げて、肉屋を離れた。
市場で挨拶して回ると、皆、別れを惜しんでくれた。思えばこうやってちゃんと挨拶して離れるのは初めてのことか。急な別れでなければ何でもないと思っていたが、やはり辛いものがある。辛いが、離れるしかない。
一通りの挨拶を終え、市場を出ようとしたダルスの目に、花屋が映った。しばらく考えた後、ダルスはそこへ向かった。
「……あら、あらあら! ダルスさんじゃない!」
店番していたアンジェリカが駆け寄ってくる。オリンピアはいない。
「お久しぶりです! ええと……あの時以来だったかしら? その節はどうもありがとうございました!」
「……どうも」
歓迎はされている。オリンピアはどこまで話したのだろうか。何も話していないということはありえないのだが。
「その……オリンピアは、まだ?」
「そうなんですよ。歩けるようにはなったんですけど、まだ店を手伝えるまでじゃなくて……ひょっとして、娘の様子を見に来てくれたんですか? ごめんなさいね」
「いえ。その……最後に挨拶していこうかと」
「最後?」
「はい。……実は、今日で店を辞めて、街を出ることになりました」
そう言われたアンジェリカは、しばし驚いた後、何かを察したように溜息をついた。
「そう。やっぱり、出ていっちゃうのね」
「オリンピアに伝えておいてください。……すまなかった。元気で、と」
アンジェリカは何か言いたげだったが、言葉を飲み込むと黙って頷いた。
「今までお世話になりました」
「ええ。……その、お元気で!」
ダルスは深々と頭を下げ、市場を出ていった。荷物を車に積み込み、駐車場を出る。もう戻ってくることはないだろう。
帰り道。いつもの道を通る。ここも今日が最後だ。何の変哲もない道なのだが、最後となると名残惜しく思える。少しゆっくり走ろうと思ったが、車が空いていてどんどん進んでしまう。
「急かすな」
思わずそんな言葉が出た。何に対して言ったのだろうか。自分でもわからない。運命だろうか。感傷的だ。交差点に差し掛かる。青信号。
不意に、目の前に車が飛び出してきた。
「ッ!」
とっさにブレーキを踏む。ギリギリの所で衝突は免れた。飛び出してきた車は、ダルスの車の鼻先で止まった。
悪態をつこうとしたダルスの口が固まる。
正面の車の開いた窓、そこからいくつもの銃口がダルスを狙っていた。
身を屈める。銃弾が発射され、フロントガラスが砕け、座席に穴が開いた。
ギアをバックに入れ、アクセルを踏む。距離を取ろうとする。だが、鈍い音を立ててリアが何かに衝突。動けない。更に後ろからも銃声。助手席が弾け飛ぶ。挟み撃ちか。
銃撃の嵐が止んだ。ダルスはドアを開け、全力で駆ける。斉射が再開される。目もくれず走り、目の前の窓を蹴破る。
飛び込んだ先はアパートの空き部屋だった。銃撃が追いかけてくる。腰の拳銃を抜き、窓の縁から様子をうかがう。
前の車から拳銃で武装したチンピラが4人。後ろの白いワゴン車からはマフィアが3人と白いコートの男が1人。そいつだけショットガンを持っている。連邦保安局『コッペリア』。
窓と車を挟んでの銃撃戦になった。奇襲に失敗した素人はそれほどの驚異ではない。瞬く間にチンピラ4人を撃ち倒す。問題は白コートだ。マフィアを巻き添えにしてでも、ダルスを殺そうとしている。
ダルスは一度窓から離れ、部屋を出た。銃撃戦に驚いた住人たちが逃げ出している。空いていた隣の部屋に入り、銃を構えて待つ。追いかけてきたマフィアがダルスのいた部屋から駆け出してきた。狙いを合わせ、引き金を引く。マフィアはもんどり打って倒れた。
部屋の窓が割れた。振り返り銃を撃つが、白コートは車の陰に隠れた。廊下からも銃声が聞こえてくる。部屋の入口に戻り、残りの2人を射殺する。
弾倉を取り替え、ダルスは廊下を走る。階段を昇り2階へ。空いていた適当な部屋に入り、窓から道路を見下ろす。ショットガンの男が窓から部屋に入るところだった。
ダルスは辺りを見渡す。廊下に消火器を見つけた。それを持って階段の側の壁に隠れる。ショットガンの男は警戒しながらゆっくりと階段を昇ってくる。
踊り場まで来た所で消火器を投げつけた。男は素早く反応し、銃を撃ってしまう。破断した消火器から白煙が吹き上がる。
「うおおっ!?」
視界を塞がれ男が叫ぶ。ダルスは床に伏せ、声を頼りに引き金を引く。向こうからも散弾が飛んでくるが、頭上を通過していく。弾倉が空になった頃には、反撃は止んでいた。それでも油断せず、リロードして銃を構え続ける。
煙が晴れる。男は胸に銃弾を受けて死んでいた。それを確かめ、ダルスは素早く階段を駆け下り、車へ戻った。
自分の車はボロボロだ。マフィアたちが乗ってきた車を奪う。そして、アクセルを全開にして走り出す。
「クソッ……この、バカどもが……!」
反撃はないと思っていた。完膚なきまでに悪事を暴かれた以上、逃げるのが最善手だ。ましてや軍が戒厳令を敷いているこの状況で、白昼堂々襲撃してくるなど、自殺行為に等しい。
迂闊だった。相手を高く見積もりすぎていた。殺せば何とかなる、そういう低レベルの思考の持ち主だった。
そして連邦保安局は、そういう奴らを走狗にして、ダルスを始末しようとしている。最悪だった。
赤信号。構わない。全速で駆け抜ける。クラクションが遠ざかる。急がなくてはならない。復讐の矛先が、ダルスだけに向いているなどという自惚れは持てなかった。
『ザフトラシニーヤ・パゴダ』が見えた。看板が真っ二つに割れていた。店の壁にはいくつもの大穴が空き、ボロボロだ。2階も同様で、全ての窓が割れてしまっている。
その原因は、店の前に陣取るハーフトラック。荷台には重機関銃が据え付けられていて、店へとひっきりなしに銃撃を続けている。
それ以上考えることは、感情が拒否した。ダルスは怒りのままにアクセルを踏み、ハーフトラックへ突撃した。途中、何人かのマフィアを轢いたが減速はしない。片手でドアを開ける。
衝突。衝撃。エアバッグが視界を覆う。シートベルトが胴体に食い込む。体にかかるGに歯を食いしばって耐え、開けていたドアから銃を構えて外へ飛び出す。視界に生き残りが2人。直ちに射殺する。
ハーフトラックの荷台に飛び乗る。死体を踏みつけ、重機関銃に手を掛ける。周りを見れば、車が5台。マフィアたちが慌てて隠れるが、そんなものでは大口径機銃弾は防げない。
斉射が始まる。轟音が耳を撃つ。振動が体を揺らす。ガラスが砕け、車体に大穴が空き、タイヤが爆砕し、人体が千切れ飛ぶ。1台1台念入りに、完全にスクラップになるまで、生き残りが出ないよう、丁寧に銃弾の雨を浴びせる。
全滅までには1分とかからなかった。最後の車が銃撃に耐えきれず横転したのを見て、ダルスは機銃から手を離した。嵐が止む。
耳が聞こえない。轟音にやられた。拳銃を構えて周りを確認する。動いているものはない。どれも死体だ。その中に女の姿が無いことを、祈りながら確かめる。
敵の全滅を確認すると、ダルスはトラックの荷台から飛び降りた。酒場に向かう。店の前には車が2台と、死体がいくつか転がっている。入口のバリケードの残骸を踏み越え、中に入る。
店の中は無残なことになっていた。テーブルも椅子も銃弾を浴びて破壊されている。壁にはいくつも穴が空き、棚の酒瓶は全て割れてしまっている。コリウスが登っていたステージも、オリンピアが選んだ花もろとも、跡形も無くなってしまっていた。
その残骸の中に白い腕が見えて、すぐに消えて、幻覚だったと安心する。
「……ダルス、おい、ダルス!」
微かに声が聞こえた。振り向くと、カウンターの影から男が顔を出していた。ユリアンだ。耳を叩く。ようやく聞こえるようになってきたようだ。
「外はどうした!?」
「片付けた! 無事か!?」
「救急車を呼んでくれ! 婆さんが……!」
血の気が引くのを感じた。慌ててカウンターを覗き込むと、スザンナがいた。腹が真っ赤に染まっていた。ベンジャミンがタオルを掻き集めて押さえているが、血が止まらない。
すぐにスマートフォンを取り出し、救急車を呼ぶ。
《はい、救急ですか、消防ですか》
「救急だ! 人が銃で撃たれた! 場所は『ザフトラシニーヤ・パゴダ』! すぐに救急車を回してくれ!」
それから2,3の質問に答え、ダルスは電話を切った。スザンナの様子を見るが、出血は治まっていない。スザンナの顔色がみるみるうちに青くなっていく。
ダルスもカウンターを乗り越え、止血に回った。血の温かさに顔をしかめる。
ふと、辺りを見回して、1人足りないことに気付いた。
「コリウスは?」
ユリアンも、ベンジャミンも答えない。
「おい、どうした。どうしたんだ?」
すると、スザンナが目を開けた。
「……ダルスかい?」
「……ッ、喋るな、救急車を呼んだ! すぐに来るから、それまで……!」
「奴ら、コリウスを連れて行った……!」
「何!?」
「いきなり店に来て銃をぶっ放して……コリウスを逃がそうとしたが、捕まって車に連れ込まれて……」
スザンナが咳き込む。口から血が流れ出る。
「わかった。もういい、喋るな。体力を」
スザンナがダルスの腕を掴んだ。瀕死の老婆とは思えない、凄まじい力だった。
「ッ!?」
「ダルス」
「な、何だ……?」
「アンタがコリウスを助けな」
芯の通った声だった。
「昔、何があってウジウジしてるかは知らないよ。だけどね、アンタがコリウスを愛しているのは見てりゃわかる。だからコリウスはアンタが助けな。
それがこの婆さんの……最後の願いだよ」
「おい、そんな事言うんじゃねえよ! 絶対助かる、助かるんだからさ……!」
ユリアンがスザンナの手に縋り付く。そんな様子を見て、スザンナは強気に笑った。
「アンタもねえ、いい歳なんだ。そろそろアタシ抜きで、1人でやってごらん。アンタにゃそれだけの力も、人望も、十分に揃ってる」
「アホ言うなババア! 寂しいこと言うんじゃねえよ、おい……! アンタが育てた街だろうが!」
「子供の面倒をいつまでも見るのはゴメンだよ。最後の最後に、他所様の子の面倒まで見る羽目になったしさ、まったく……」
スザンナはダルスの方を見て、軽く鼻を鳴らした。その目が、ゆっくりと閉じられる。
「だから、アンタたち。あとは頼んだよ」
握っていた手から力が抜けた。背筋に震えが走った。
「おい……おい!?」
サイレンの音が聞こえる。救急車が今頃来たのか。いや、まだ間に合うはずだ。そうであってくれ。
「こっちだ! 担架をくれ! 早く!」
救急隊員が駆けつけて、スザンナを運んでいく。ユリアンとベンジャミンが救急車に乗り込んでいく。ダルスも後に続こうとして、ポケットのスマートフォンが震えていることに気付いた。番号を見る。
ローアン・アダム。
「おい、ダルス!」
ユリアンが呼ぶが、ダルスは首を横に振った。
「行ってくれ!」
「何だと!?」
「閉めます!」
救急車が走り去る。それを見送ってから、ダルスは通話ボタンを押した。
「貴様……!」
《やってくれたな、ダルス・エンゼルシー。よりにもよってコズロフ・ファミリーの味方をするとは》
元警察署長、諸悪の根源、ローアンの声だった。
「これは貴様の差し金か!?」
《当然だ!この街の支配者が誰か、今一度思い出させてやらねばならんのだ!》
「コリウスはどうした!?」
ダルスが怒鳴りつけると、一瞬の間を置いてから別の声が聞こえてきた。
《ダルス!》
聞き間違えるはずがない。コリウスの声だった。
「コリウス!無事か!?」
《私は平気! それよりも、お婆ちゃんが……!》
「……店の連中は追い払った! 店長も救急車を呼んだ!」
《なら、私のことは気にしないで!》
「馬鹿を言うな! お前を放っておけるか!」
この期に及んでまだ他人の心配をしているのか。苛立ちすら感じながら、ダルスは叫ぶ。今はお前のことが何よりも心配だというのに。
《何だ、酒場よりもこっちの方が大切かね?》
声がローアンに戻る。嘲るような響きに対し、ダルスは怒りと不吉な予感を覚えた。
「当然だ。指一本でも触れてみろ、ただでは済まさん」
《それは良かった。ボリスが今、ショーの準備をしているところだ。準備ができたら電話するから、それまで待っているといい》
「待て、貴様……!」
やはり、下衆の考えか。何の益もない、ただの自己満足にコリウスが巻き込まれる? そんな事はあってはならない。一瞬の思考の後、ダルスは名前を読んだ。
「カイン・ディアギレフ!」
電話の向こうで一瞬、間があった。
「いるんだろう、出てこい! 話がある!」
電話口で話し合う気配。その後、声が変わった。
《おう、よくもエイフマンをやってくれたな。こういうのは性に合わねえけど、痛い目見てもらうぞ》
カインの声だ。向こうの言い分には耳を貸さず、ダルスはカードを切る。
「『巡礼路』のデータを渡す。だから、コリウスを返してくれ!」
《……それ、本気で言ってるのか?》
カインは呆気にとられたようだった。だが、ダルスは真剣だ。
「当然だ!」
《マジかよ……いや、それなら……どうする、署長。乗ってみる価値はあるぜ?》
《バカ言え。奴に一泡吹かせる機会だというのに……》
ローアンとカインが話し合う声が聞こえる。
《だが、500億の密売ルートだ。こんなチンケな田舎にこだわるより、よっぽど旨い話だと思うがね。何だったら、アレで稼いだ金で、この街を買い戻せばいい》
ローアンが黙った。額が効いたか。しばらくの沈黙の後、ローアンが電話に出た。
《……なら、取引と行こう。お前1人でホテルに来い。その密売ルートのデータを用意しろ。ステファンが流した帳簿の元データも、全て持ってこい》
「……いつまでだ?」
《ダルス!?》
コリウスが悲鳴を上げる。
《夕方までだ》
「コリウスの安全が最優先だ。電話を渡して、いつでも話せるようにしろ」
取引に応じて反故にされてはたまらない。常に彼女の安全を確保しておく必要があった。
《そこまで入れ込んでいるのかね?》
「500億を捨てたいのか?」
《……いいだろう》
ローアンが電話を操作しようとする。それをダルスは止めた。
「切るな。この電話をそのまま渡せ」
舌打ちが聞こえた後、机の上に電話が置かれる音がした。
《ダルス、お願いだからバカな事はやめて。私はもういいから……》
「コリウス」
涙声で語りかけるコリウスに、ダルスは約束する。
「必ず助ける。そこで待っていろ」
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