第14話 ダルス、服を買う
「服を買いに行きましょう」
次の日の朝、ゴミ出しと掃除を終えたダルスに、コリウスが唐突に提案した。
「どうした、急に」
「だって貴方の服、ボロボロのコートと、よれよれのシャツしか無いじゃない」
「別に誰も迷惑してないしいいんじゃないのか。店に来る連中も、大体同じだし」
この店の客は鉱夫が中心なので、上等な服を着てくる人間はいない。きちんと身だしなみを整えているのはユリアンぐらいのものだ。
だからダルスは服装を変えなくて良いと思っているのだが、コリウスはそうは思わないようだった。
「良くないわよ。ダルス、最近色んな所に行ってるでしょう? それで、『あのボロボロのコートの貧乏そうな人は誰?』って、いろんな人に言われるのよ」
「いいだろ別に。何も間違ってないんだし」
何しろダルスは貧乏を通り越して借金を抱えている。
「良くないわ……ええ、良くないわ」
「大体、金が無い。そもそも借金返すために働いているんだぞ、俺は」
「……お婆ちゃん」
ダルスを説得できないと見るや、コリウスはスザンナを突き崩しにかかった。
「駄目だね。そいつの服の面倒までは見ないよ」
「でも、食べ物を出すお店でこんな格好をしているのは良くないわ」
「ぐむ……」
店を引き合いにされては、流石のスザンナも言い淀む。そこにコリウスが容赦ない追撃をかけた。
「それに、お婆ちゃんのお店で働いている人が、情けない格好をしていたら、街の皆はどう思うかしら?」
その言葉はスザンナを陥落させるには十分だった。
「……ああもう、わかったよ。好きにしな。だけど安い服にするんだよ。あんまり高かったらそれも借金に入れとくからね」
――
そういう訳で、ダルスはコリウスに連れられて服を買いに行くことになった。コリウスは灰色のコートを羽織っている。足元からは薄い桜色のロングスカートが覗いていて、少し寒いのにコードサンダルを履いている。くたびれた黒いコートのダルスには不釣り合いな、綺麗な衣装だ。
そういえば部屋着と店の制服、ドレス姿は知っていたが、普段着は見たことがなかった。コリウスの普段着がこれなら、ダルスにちゃんとした服を着せたくなるのも無理はないか、とダルスは考えた。
2人はバスに乗ってマイネセン通りに向かった。ここは街の中央にあり、様々な店が並ぶ区画だ。路上には露天も並んでいて、アクセサリーや軽食を売っている。
「どの店に行くんだ?」
「いろいろ見て回ってみましょう?」
そう答えたコリウスは楽しそうだった。ダルスは黙って彼女の後をついていく。コリウスはいくつかの店を眺めながら歩いていたが、やがてそのうちの1軒に足を向けた。ダルスは後に続き、店に入る。店員が挨拶してきたので会釈を返す。
「そうね……これとこれと、後これも。どうかしら?」
コリウスはラックからいくつかの服を取り、ダルスに似合うかどうか確かめている。ダルスは最初に取った黒のタートルネックで良いと思ったのだが、コリウスが次々と服を持ってくる。白いセーターや赤のハイネックなど、明るい目立つ色が多い。そういうものは、どうにも落ち着かない。
「これと……これぐらいね。ダルスはどれがいい?」
コリウスが両手に抱えた服の中から、ダルスは1着を手に取る。紺色のセーター、2万ルーヴル。ダルスは値札を確かめた。2万ルーヴル、桁は間違っていない。汚れていないことを確かめて、そっと棚に戻した。それから改めて、コリウスの腕の中から服を吟味する。
「……これでいい」
選んだのは灰色のセーター、1万2,000ルーヴルだが、値札に30%OFFのシールが貼られている。これなら何とか耐えられる。
「それでいいの?」
「ああ」
コリウスはやや訝しんでいたようだったが、無事に支払いを終えて店を出た。手に持った紙袋がやけに重く感じる。こんなに高い服を買ったのは初めてだった。酒場に戻るまでに気疲れしそうだとダルスが考えていると、コリウスが前に出た。
「それじゃあ、次のお店に行きましょう」
「……次?」
「1着だけじゃ駄目でしょう? 着替えも用意しないと」
2軒目である。先程よりは若干リーズナブルな店だ。それでもダルスが考える服の値段の3倍はする店だが、買わなければ出られない。コリウスが見繕ったものの中から、ダルスは思い切って茶色のジャケットとジーンズを選んだ。紙袋が更に重たくなった。
予感はしていたが、案の定コリウスは3軒目にダルスを連れて行った。今度は紳士系の服を取り揃えた、拡張の高そうな店だった。ショーウィンドウに飾られている服の値段を見ると、桁がひとつ跳ね上がっている。ダルスは思わず回れ右しそうになったが、コリウスの困ったような笑顔に引きずり込まれた。
幸い、店内の服はそれほど高くなかった。1軒目と同じぐらいだ。いくつかの服の中から、ダルスは白のYシャツと黒いジャケットとスラックスのセットを選んだ。帽子とネクタイと靴下がセットになっているので、案外リーズナブルだ。
「うーん」
セットの帽子を被ったダルスを見て、コリウスが呟く。
「帽子はやめた方がいいかも」
「似合わないか?」
「似合わないっていうより、その金髪が隠れるのがもったいないわね」
「そうか……」
髪の色に言及されたのは初めてだった。どこにでもある普通の金髪なのだが。
帽子は店に返そうと思ったのだが、セットなので外すことができなかった。実質無料なので、貰うだけ貰っておく。ジャケット一式が入った紙袋を受け取ってから、気付く。
「着る時があるのか、これは……?」
店で着るにも、普段着にするにも上等すぎる。
「あった方が良いじゃない」
困惑するダルスを見て、コリウスは楽しそうに笑っていた。
この調子で店を巡り、買い物を終えた頃には昼近くになっていた。途中からダルスは止めたほうがいいと思っていたのだが、服を選ぶコリウスが始終楽しそうだったので止めるに止められなくなってしまった。
「もういいんじゃないのか? 昼になるぞ」
ダルスの言葉にコリウスが考え込む素振りを見せた。
「そうね。それじゃあ……」
ようやく終わるのだろうか。
「お昼にしましょう」
終わらなかった。通りにあるカフェに入って、昼食を取ることになった。
「ここのカフェはね、チョコレートパフェが美味しいって評判なの。どうかしら?」
メニューを眺めながらコリウスが教えてくる。しかしダルスは首を横に振った。
「いや、すまない。このサンドイッチセットで」
「……お昼代ぐらいは気にしなくても、おばあちゃんは許してくれると思うわよ」
コリウスが心配そうに声をかけるが、料理の値段は服に比べたらずっと安い。ダルスがパフェを断ったのは別の理由だった。
「甘い物は……苦手なんだ……」
「そうなの……」
そんな訳で昼食は、ダルスがBLTとベーグルに、コリウスがミックスサンドとイチゴパフェになった。飲み物は2人ともコーヒーだ。ダルスはブラックで、コリウスは砂糖とミルクを入れる。
「チョコレートパフェじゃないのか?」
BLTを食べ終えベーグルに手を付けた所で、ダルスはコリウスに質問した。自分でおすすめしたのに、何故コリウスはチョコレートパフェを食べないのだろうか。
「チョコは前に食べたから」
「うまくなかったのか?」
「ううん、おいしかったわ」
「ならどうして?」
「まだ食べたことがなかったから」
コリウスはクリームとイチゴをスプーンに乗せ、口へと運ぶ。赤い舌に白いクリームが絡む。
「知らなかったことを知るのが好きなの。記憶喪失だからかしら。こうやって新しいことを覚える度に、嬉しい気持ちになるの」
パフェの下の方をつつき、ゼリーを一口。記憶にない味を感じるコリウスは本当に嬉しそうだ。記憶喪失の彼女にとって『知る』ことは楽しいことなのだろう。子どもと同じだ。未知の世界を切り開き、自分の可能性を広げる体験。その先には、今よりももっと良い世界が待っていると信じている。
ダルスは既にそう思えなくなってしまっていた。知ってしまったから追われている。教えてしまった故に失ったものもある。そして、知らなければ良かった痛みが、今も胸の奥に突き刺さっている。
「……ダルス?」
ふと気がつくと、コリウスがダルスの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。考え事をしていた」
「昔のこと?」
「いや、今のことだ。コリウスは本当に教わるのが好きなんだな、と思ってな」
ごまかしが口をついて出た。嘘ではないが、考えていたことはそれではない。幸い、コリウスはごまかされてくれたようだ。
「そうなの。酒場に来たばっかりの頃は、お婆ちゃんやロウリさん、ユリアンさんたちにいろいろ教わったわ」
「ああ。皆、喜んで教えてくれただろう。色々とお節介だからな」
「ええ。……でも、最近わかったのだけれど」
「うん?」
「私、教えるのも好きみたい」
コリウスはダルスに向かって、柔らかく微笑んだ。
「あなたにいろいろなことを話す度に、新しいことを知った時と同じ胸の温かさを感じるの」
ダルスはベーグルをかじり、言葉を返す。
「……昔は先生だったんじゃないのか?」
「先生? 私が?」
「教わったり教えたりするのが好きなら、そういう職業だったかもしれない。なら、先生だと思ってな」
ダルスの言葉に、コリウスはくすくすと笑った。
「……何がおかしい」
「いえ、だってそうでしょう? 何も知らない記憶喪失の先生なんて、おかしいじゃない。もしそうなら、私は何を教えればいいのかしら?」
言われてみればその通りだった。彼女に教わることができるのは、この街にとって新参のダルスだけだ。
「……確かに。俺の勘違いだな」
照れをごまかすように、ダルスはベーグルを頬張った。
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