第33話 地雷

 消灯時間を過ぎた病棟に、複数人の足音が響いた。ダルスが目を開けると、スーツ姿の男たちが部屋に押し入ってきた。ダルスは盗んでいたフォークを病院着の袖口に忍ばせる。武器はこれ1本だけ。しかも両手足を拘束されている。いよいよ終わりか。

 しかし男たちはダルスに危害を加えることなく、逆に拘束を解いた。

「出ろ」

 男に促され、ダルスは起き上がる。妙な展開になっているが、今は従う他ない。点滴スタンドを転がして部屋を出る。ダルスが逃げないように見張っていた警察官は、歩いているダルスを見て見ぬ振りしている。話が通るということは、男たちは警察関係者のようだ。

 男たちに誘導されて向かった先は、病院の駐車場だった。1台の車の側まで歩かされる。黒塗りの高級車だ。後部座席の窓が僅かに開き、中にいる太った中年の男が口を開く。

「やあ、ダルス・エンゼルシー君」

「誰だ?」

「私はこのミルジェンスクの街の警察署長、ローアン・アダムだ」

 ダルスは眉をひそめる。こんな所に警察署長とは、冗談にしても笑えない。

「署長直々に取り調べとは光栄な事だ。それとも暇なのか?」

「君のような極悪人の相手は部下に任せられないのでね。ダルス・エンゼルシー……いや、ハザエル・ディマスカ」

「……何だって?」

 しらばっくれる。

「ハザエル・ディマスカ。聞き覚えがないとは言えまい。反政府組織『トゥエリスタン独立派』の幹部。女子供を武装させ訓練させ、立派なテロリストに仕立て上げた軍事教官。

 つまり、君の名だ」

「何の話だ?」

「ごまかさなくていい。君を逮捕しようとは思っていない」

「もう捕まっているんだが」

 正式に逮捕されたわけではないが、見張りをつけて拘束されている時点で同じようなものだ。

「返答次第では釈放しよう、という話だよ。このまま連邦保安局に突き出されても良い、というのならそれで構わないが……」

 ダルスは僅かに目を細めた。

「……中央の連中が来てるのか」

「ああ。君がこの街に逃げ込んだから聞き込みをさせてほしい、と挨拶をしてきてね。そろそろ君の居場所にも気付く頃だろう」

 連邦保安局の名前が出てくるということは、ブラフであったり勘違いというわけではなさそうだ。警察署長が出てくるというのも話が読めないが、見張りの警察官がダルスを黙って通したことを考えると、嘘とも考えにくい。

「このまま君を連邦保安局に差し出しても良いが、幸運なことに、君には選択肢がある」

「……何だ」

「君が今いる酒場『ザフトラシニーヤ・パゴダ』なのだが……コズロフ・ファミリーというマフィアの根拠地なのは知っているかね?」

「ああ」

「ホテル『クロドゥング・メヴリージャ』と対立しているという話は?」

「それも知っている」

「なら話は早い。コズロフ・ファミリーを麻薬密売の件で摘発したいのだ」

「密売? それはホテルの連中じゃなかったのか?」

「ああ、そうだとも。奴らはむしろ、密売を邪魔している立場だ。……困るのだよ、私のビジネスの邪魔をされるのは」

 その一言で、今までの違和感が全て繋がった。

「なるほど。随分堂々と密売を行っていると思ったら……警察が裏にいたのか」

 麻薬の密売が公然の秘密と化しているのに、ミルジェンスクの警察は中々動かなかった。それなのに、コズロフ・ファミリーの構成員はよく逮捕されていたし、工場の事件でダルスを捕まえるのも早かった。ホテルと警察が連携しているのなら、全て辻褄が合う。

 そして、こんな話を持ち出してくるということは、この警察署長は本物だろう。

「憤るのかね?」

「いや。珍しい話じゃない」

 本当の話だ。体面を取り繕いながら、金のために裏稼業に染める人間をダルスは飽きるほど見てきた。そういった連中を狩り立てるのが聖歌隊の仕事だった。もっとも、その聖歌隊も同じ穴の狢であったが。

「だが警察なら、そんな回りくどい手を使わなくても、正面から摘発すればいいんじゃないのか?」

「ああ。懸命な摘発で弱体化はしているのだが……街の連中が邪魔をして、どうしても決定打を打てないのだ。駅長も素直に従えば、娘をあんな目に遭わせずに済んだものを」

 ダルスは袖口に隠したフォークを握り締める。

「だから、ユリアンとスザンナを麻薬密売の首謀者ということにして、バカどもの盲信を突き崩す」

 麻薬の蔓延と、それに伴う治安の悪化は、街にも被害を与えている。コズロフ・ファミリーがそれに噛んでいたと知られれば、街の人間は確実に彼らを見限り、コズロフ・ファミリーは自壊するだろう。

 後はホテルと警察が、好きなだけ羽を伸ばせるというわけだ。

「さて、改めて聞こう。協力するか? それともこのまま中央に送られるかね、テロリスト君?」

 選択肢など無いに等しい。今のダルスに、周りの男たちを振り切って逃げ出すことは不可能だ。それでも確認しておきたいことはある。

「連邦保安局の連中は、確実に押さえられるんだろうな?」

「任せたまえ。部下が監視についている。君には近づけんさ」

 ローアンは自信がある様子だ。足元を掬われない限りは、その言葉は真実だろう。

「いいだろう。何をすればいい?」

 ローアンは満足げに頷き、喋り始めた。

「君には、我々が準備した麻薬をスザンナの店に仕込んでもらいたい。準備ができたら部下を使って麻薬を渡す。それを店内の好きな所に置いたら、合図を送ってくれ。我々はすぐに店内を強制捜査する」

「連絡はどうする」

 ダルスの問いに対して、横に居たスーツの男が進み出た。スマートフォンとメモを差し出す。メモにはSMSのアカウントが書かれている。

「それを使え」

 スマートフォンにアカウントを登録し、メモを返す。更にダルスは質問を続ける。

「ところで、お前らが売ってる麻薬は何て名前なんだ? 俺の知っている奴のどれとも違う。新型か?」

「ふむ。知らないのも無理はないか。『アクラ』という新型麻薬だ。中央からきた職人が作ったものだ」

「……やはり"鰐"、か」

 ダルスの呟きに対して、ローアンが驚く。

「鰐? "鮫"だぞ?」

「サメ?」

「ああ」

「……すまん。まだ熱があるみたいだ」

「そうだな。少し長く話しすぎたか。用事は済んだ、もう戻りたまえ」

 ローアンが手を挙げると、男たちが道を開けた。気遣い半分、嘲りが半分といったところか。

「すぐに釈放しよう。それまではゆっくりしたまえ」

「頼むぞ。あと、入院費の立て替えも頼む」

 ローアンが頷くのを確かめ、ダルスは踵を返して病室に戻ろうとする。

「ちょっと待った」

 だが、ローアンが呼び止めた。

「何だ」

「すまない。一つ聞き忘れていた。部下はどうしている?」

 質問の意味がわからなかった。ダルスが答えあぐねていると、ローアンは更に口を開いた。

「工場の件はこちらで内密に処理するが、君の戦力を把握しておきたい。この街にトゥエリスタンのテロリストは何人潜んでいるんだ?」

 ダルスは鋭く息を吸い込み、そして、何とか体を止めた。ここで飛びかかっては、全てが台無しになる。

 どうやらローアンはダルスが部下を連れてこの街に来たと考えているらしい。考えてみれば当然だ。鉄工所の惨劇を1人で引き起こしたと言われても、普通は信じないだろう。

「……答える必要はない」

「いや、そうもいかない。万一、君のように容疑者になってしまっては、いろいろと不便だからね」

「捕まるならその程度だったということだ。見つけたのなら好きにしろ」

「いいのかね?」

「そんな奴は使えないからな。必要ない」

「なんとまあ、血も涙もないテロリストということか……流石、ピーチェルで一般人を100人も爆殺しただけのことはある」

「血も涙も捨てた」

 ダルスはローアンの顔を目に焼き付けた。

「生きるのに、情は邪魔なだけだ」

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