第16話 バックストリート・ギャングス

 路地裏を、身を屈めて小走りに進む男がいた。先日ザフトラシニーヤ・パゴダに乗り込んだピサレンコであった。右手には包帯を巻いている。そして左手には上等な財布が握られていた。

 路地の奥まで来たピサレンコは辺りを窺い、誰もいないことを確認すると、財布の中身を確かめた。相当な量の紙幣、それにカードが入っている。

「よし。よし、よしよし……!」

「ピサレンコさん?」

 背中から声をかけられ、ピサレンコは驚き振り返った。そこに立っていたのは、エメラルド色の髪の女。

「コ、コリウスちゃん? 何でこんな所に……」

「貴方が路地裏に入る所を見たの。呼んでも返事をしてくれないから追いかけたのよ」

 人目のつかない所を探すのに必死で、コリウスの声に気付かなかったようだ。

「そうか……悪い、気付かなかった。何か用か?」

「その……この前のこと、心配になって。指は大丈夫?」

「あ? まあ、これなら医者に診てもらったし、大丈夫だよ。へへ」

 右手を掲げて強がってみせる。痛いものは痛いのだが、コリウスには一刻も早く立ち去ってもらいたかった。

「……それ」

「ん?」

 コリウスの視線が、左手の財布に注がれていた。

「あっ」

「ねえ、その財布、貴方の?」

「あ? あ、ああ、そうだよ。俺の財布だ」

「本当に? 随分新しくて、高そうなお財布だけど……」

「買ったんだよ、新しく」

「そんなお金あったの?」

「あ、新しく仕事を始めたんだよ! それで、その……買い替えたんだ!」

 喚くピサレンコに対して、コリウスは困ったような笑みを浮かべた。

「……仕事、見つかったのね。どんな仕事?」

「あー……いいだろ別に何の仕事でも!」

「盗んだのね」

 冷たく鋭利な声だった。コリウスの顔から笑顔が消え、咎めるような表情になった。

「なっ、そんな訳あるかよ!」

「ピサレンコさん、前にウチで働くことが決まったら、皆に教えてたでしょう? お仕事ができるの自慢したいのよね。なら、どうして今は言わないの?」

「うるせえな、デタラメ言うんじゃねえよクソアマ!」

 ピサレンコは凄んでみせるが、コリウスは一歩も退かない。

「今すぐに返してきなさい。そうしたら見逃してあげるわ」

「ぐ、ぐう……」

 ピサレンコがコリウスの眼差しに気圧されたその時、背後から別の声がかかった。

「どーしたどーしたぁ? カップルさんのお出ましか?」

 近くの建物のドアが開いた。茶髪の男を先頭にして、5人の人相の悪い男たちが現れる。そのうち2人はピサレンコとコリウスの間に割って入って、コリウスに話しかけた。

「こんにちはー、お嬢さん。彼氏さんとケンカかい?」

「だったら俺らと遊ばねえか?」

「何よ、貴方たち。こっちはこっちの話をしてるんだから、帰ってちょうだい」

 コリウスは鬱陶しそうにするが、男たちはヘラヘラと笑うだけで下がらない。彼らを見て、ピサレンコは自分が何故この場所に来たのか思い出した。

「……何だ、ピサレンコじゃねえか」

「お、おう」

 リーダー格の茶髪の男も、ピサレンコの顔に気付いたようだ。挨拶に対し、ピサレンコは気まずそうに返事をする。茶髪の男はコリウスを指差して質問する。

「ツレか?」

「ちげえよ、違う」

「ふぅん?」

 侮るような男の視線が、ピサレンコが手にしている財布に気付いた。

「おっ、今日は金があんのか」

 有無を言わさず、男はピサレンコの手から財布をひったくる。

「待って、そのお金は……」

「はいはい、黙っててくださいね。男と男のビジネスの話なんだ」

 コリウスが割って入ろうとするが、先程から壁になっている男たちに阻まれた。茶髪の男は紙幣の数を確かめ、それからクレジットカードや何らかの会員権も吟味する。

「なるほどなるほど……クスリ欲しさに盗んできたって訳ね」

「いやそれは……」

「いいのいいの、恥ずかしがらなくても、皆やってんだから」

 言い淀むピサレンコの肩を叩くと、茶髪の男はポケットからビニール袋を取り出した。密封された袋の中には、白い粉が入っている。それが5袋ある。

「おめえの勇気に免じて、5回分にサービスしとくわ」

「へ、へへ……そいつはどうも」

 卑屈に笑い、ピサレンコは袋を受け取る。その光景を見たコリウスが叫んだ。

「貴方たち……麻薬の売人なの!?」

「はい、そうですが何か?」

 茶髪の男は悪びれることもなく言いそびれる。コリウスは厳しい声色で叫んだ。

「やめなさい、こんな事。お婆ちゃんに言いつけるわよ!」

「ハッハッハッ! お婆ちゃんに言いつけるって……子どもじゃあるまいし!」

 コリウスの言葉に茶髪の男は大笑いする。周りの男たちも釣られて嘲笑する。

「お嬢さんのお婆様は、そんなにお偉い方なんですかね?」

「ザフトラシニーヤ・パゴダのスザンナ。聞いたことはあるでしょう?」

 その言葉を聞いて、男たちの笑いが止まった。

「……マジか?」

「そういや、エメラルドの髪の女……話には聞いたことがある」

「カナリアの歌姫か」

 集団の雰囲気が変わる。恐怖ではない。むしろ、色めき立っている。黄金を目の前にしたかのように。

「……ピサレンコ。とんでもねえ奴連れてきてくれたな」

 茶髪の男の笑みが変化した。獲物を前に舌なめずりする肉食獣のように。

「い、いや、その……」

「おめえら、捕まえろ。マクシムさんに差し上げれば、ボーナスが出るぞ!」

「応!」

 ピサレンコの返事を待たず、2人の男がコリウスに襲いかかる。男の大きな手がコリウスの肩を掴もうとしたが、その前に正拳突きが叩き込まれた。

「んがっ!?」

「何してんだ……あいたっ!」

 もう1人の男が脛に蹴りを受けて怯む。男たちから少し距離を取って、コリウスは拳を構えた。

「カラテよ。痛い目に遭いたくなかったら、今すぐお財布を返しなさい」

 顔を殴られた男が体勢を立て直した。

「調子に乗りやがって……!」

 男はポケットからナイフを取り出す。よく磨かれた刃物だ。これにはコリウスも戸惑って、後退りする。刃物を相手にする実力がないと見るや、男たちに再び侮りの笑いが戻ってきた。

「おーい、顔はやめとけよ? 売り値が下がる」

 ナイフを振り上げた男に、茶髪の男が野次を投げた。男は舌打ちしてナイフを下ろすと、コリウスの体のどこにナイフを突き立てるか算段する。

「チッ……それなら……まずは足に……」

「いや、顔だろ」

「ああ、そうだな」

「え?」

 誰の声でもなかった。男がコリウスから声の主に顔を向けた瞬間、その顔面に蹴りが突き刺さった。硬いブーツの底面による一撃は、男の鼻柱と前歯を砕き、一撃でアスファルトに沈めた。

「あ?」

「何だてめえら!?」

 突然の乱入者に、売人たちが警戒する。現れたのは2人。1人は赤いジャケットを羽織った黒髪の男。前に立って、売人たちを睨め回している。もう1人はボロボロの黒いコートを羽織った金髪の男。コリウスを守るようにして立っている。

「コリウスちゃんによくも手ェ出してくれたなあ、オイ? 全員キッチリブチのめしてやるからな!」

「ただで済むと思うなよ」

 赤いジャケットの男が吠え、黒いコートの男が言い放った。

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