第四十五集 月下の死闘

 その夜の枹罕ふかん城は全方位に展開する馬超ばちょう軍が大量の篝火かがりびを焚いており、夜が更けても明るく照らされていた。

 荒野の只中にあって普段は周囲を暗闇に包まれるこの城の兵士たちにとっては異様な光景であり、それまで無縁であった戦という物に巻き込まれたのだと嫌でも思い知る。


 敵の強攻を単騎で防いだ大将軍を城内の大勢の者が褒め称えた。半ば浮かれ気味になっている者も多く、士気が上がって良いと思っていた何冲天かちゅうてんであったが、既に祝杯を挙げんばかりの気の早い者には、翌朝には再び戦いが始まると釘を刺して回った。

 ただ剣の腕だけを頼りに、人を殺すしか芸の無い刺客として生きてきたはずが、そんな将軍らしい事をしている事に自嘲する何冲天。


 そんな歯痒さに耐えきれず、とにかく人目を避けたかった。敵に動きがあれば知らせろと兵に言い含め、城内に用意された私邸に向かう。

 私邸へと向かう間も、自然と人の目を避けて裏道を通ってしまうのは悪い癖であった。


 周りを土壁に囲まれた裏道は、表通りに立てられた篝火の火も届かず、光源と言えば頭上から降り注ぐ月明りのみ。それ以外は全て闇に包まれている。


 多くの者が闇を恐れるが、ずっと独りで生きてきた彼には、そんな闇こそが安心感を与えてくれる物であった。剣を学ぶ前の幼い頃も、復讐を遂げて刺客になった後も、ずっと変わらず周囲に味方など誰もいなかった。向けられるのは敵意だけ。そうしてずっと人の目を避け、闇に溶け込む事で己の存在を守り続けていたのである。


 闇の中を歩きながら、何冲天は明日以降の戦いに考えを巡らせた。今日の単騎駆けが抑止力となり、以後の戦いは恐らく睨み合いになると踏んでいた。旧涼州派の決起は高確率で今回の馬超の出兵に合わせてくるであろうという予測も鍾離灼しょうりしゃくとの間で一致した見解である。それまで耐え抜けば良いのだ。


 路地を抜けた先に用意された自分の私邸がある。

 大将軍などという地位にいるが、華美な物を嫌う何冲天はとにかく自分ひとりが住めさえすればいいと質素な家を用意させ、庸人ようじん(使用人)なども雇ってはいなかった。

 場所も人通りの少ない場所を選び、日が暮れれば家の周りに城内の住人が歩き回る事も無かった。だがその夜は、彼の家の前に二つの人影があった……。


 枹罕城内に侵入した趙英ちょうえい呼狐澹ここたんは、何食わぬ顔で表通りの住人に大将軍の家はどこかと聞いて回り、こうして仇敵の帰りを待っていたのである。

 先に口を開いたのは何冲天の方であった。


「驚いたな。今度こそ殺されに来たのか?」


 呼狐澹がそれに答えた。今までとは違い、非常に落ち着き払っている。


「親父の事を知っても、あんたがオレの仇である事は変わらない。あんたと決着を着けないと、オレも前には進めないんだよ」


 何冲天は笑みを浮かべた。がそこにいたからだ。なればこそ、その思いには応えなくてはならない。

 とは言え先日の戦いで、その腕前は把握していた。だからこその二人がかりという事であろう。そうして呼狐澹の隣に立つ趙英に目を向けた。

 趙英の方もどこか達観している。倒すべき敵である事に変わりはないが、彼女自身に何冲天への恨みは無かった。りょう州を乱した陰謀それ自体は宋建そうけんの物であり、彼はその尖兵に過ぎない。

 強いて個人的な因縁があるとすれば、両者がその腰にいた、同じ鍛冶師が作ったであろう宝剣と、非常に良く似た技に関してであった。


「やりあう前にさ、訊かせてくれよ。この剣と、そして俺とあんたの技、どういう繋がりなんだ?」


 趙英のそんな純粋な質問だが、正直な話、それは何冲天の方も知りたい事であった。


「さぁな。西域の彼方、天山てんざんの麓にある洞窟で、この剣と、誰かが書いた奥義書を見つけたというだけの話だ。そこで独りで学んだ。だから俺も驚いたぞ。お前の剣と技にな」


 何冲天も趙英も、互いにその出所を知らぬまま、その剣と技を伝えられた。恐らくは百年以上も前に遡る話なのであろう。かつて同じ所にあったであろう物が、こうして時を越え、敵対する二人の手にある因果。

 そこに思いを巡らせれば、趙英も何冲天も、何か大きな流れの一部に過ぎないという気になって来る。


「もう語る事もあるまい。これより先は、これで語り合うのみ」


 そう言って獄焔ごくえんを抜き放った何冲天に、趙英もほぼ同時に冰霄ひょうしょうを抜き放った。その隣にいる呼狐澹は動いてはいない。

 何冲天は先の戦いで、動きに反応できなかった少年を思い出し、足手まといにならぬ為に下がっている気であろうと判断した。

 しかし、誰よりも先に動いたのは呼狐澹の方であった。その踏み込みは一瞬で何冲天の目の前に現れるほどの速さであり、そのまま鞘から直剣を抜き放った。


 突然の奇襲に、流石の何冲天も肝を冷やしたが、間一髪でその刃を獄焔で止めた。呼狐澹が持っている直剣は何の変哲もない量産品であるが、そこに込められた内力は、本当に先日と同一人物か疑うほどに強まっている。恐らくは趙英と同等。

 そんな趙英はと言えば、何冲天が呼狐澹の刃を受け止めた瞬間に跳躍しており、上から斬りかかってきていた。

 何冲天は呼狐澹をその刃ごと押し返して趙英の斬撃を避けると、即座に背後の路地の闇へと飛び退き、迷路のような裏道を駆け抜けた。呼狐澹がこの短い期間で予想外の成長を遂げていた事に混乱し、一旦仕切り直そうというのである。


 そんな何冲天を、趙英と呼狐澹は二手に分かれて追った。闇に包まれた路地に入るのは、視覚聴覚共に鋭く夜目も効く呼狐澹の方である。

 当然ながら追手がある事も想定済みである何冲天が、闇の中から何度か奇襲をかけるも、その音と気配から位置を把握し、その剣を危なげなく受け止める呼狐澹。


 趙英と出会ってから二年の間に剣の腕を上げた南匈奴みなみきょうどの少年は、夜明けまでという制限はあるが、九天神功きゅうてんしんこうの存在によって趙英と同等の内力も得ている。だが何よりも、物心ついた頃から狩人として生きてきた五感の鋭さこそ、呼狐澹の本質的な武器であったのだ。


 何冲天の今までの人生において、闇とは彼を守ってきてくれた味方であった。ところがこの夜、呼狐澹という少年を前にして、初めて闇が彼の味方をしなかったのである。

 闇の中、逆に不利となっている状況にあって、今まで自分が仕留めてきた標的と同じく、見えない刃の存在を恐れる側となってしまった。


 このままではまずいと判断し、軽功けいこうで土壁を駆け登り、民家の屋根を飛び移りながら移動する。

 そして彼が辿り着いた先は、枹罕城で最も高い位置にある場所。城内中央に位置する宮殿の屋根の上である。頭上には満月が輝いて照らしている。その位置からならば、敵が闇に隠れる事は出来ない。


 だがその場所には、まるで彼を待っていたかのように趙英が佇んでおり、その視線は何冲天に向けられている。未だ路地を駆けているのか、呼狐澹の姿はそこに無かった。

 敵の力を侮る事は出来ない。ここは一人ずつ片づけさせてもらう。何冲天はそう思い至り趙英に獄焔の刃を向けた。


 夜空に浮かぶ満月が照らす宮殿の上で、二人の剣士が対峙したのであった……。






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