第三十四集 巡る因果

 渭水いすいの流れに沿った岩場で馬を歩ませる趙英ちょうえい呼狐澹ここたん龐淯ほういくの三人。まだ陽も高く、風は少々強いが、空も晴れ渡っている。あといくつか山を越えれば開けた平野に抜け、そのまま数刻ほど駆ければ城に到着するだろう。


 特段の心配もなく馬を進めていた三人の行く手に、まるで立ち塞がる様に一人の男が待ち受けていた。太陽の光を受けて輝く黄白色の岩に囲まれた中で、黒い外套マントを翻すその姿は非常に目立っている。

 その姿を見た呼狐澹は目を見開いた。それは正に仇敵である何冲天かちゅうてんであった。隣にいる呼狐澹の反応で、言わずとも察した趙英は、すぐ後ろにいる龐淯に声をかける。


「兄上、相手が悪い。あの様子では逃げる事もままならない。ここは俺たちが正面から相手をするから、兄上はその隙に山を回って冀城に……」


 余裕のない趙英のそんな様子から、龐淯も察する物があったのか問いを返す事なく頷いて馬首を返し、来た道を戻り始めた。

 その間、二人の話が聞こえているのかどうか、呼狐澹も先ごろ趙英に譲り受けた剣に手をかけたまま黙って仇敵を睨み続けていた。行く先にいる黒衣の侠客も、仁王立ちのまま未だ動く様子はない。そんな相手との距離はまだ百歩(約一三〇メートル)はある。


 趙英は呼狐澹に目くばせをすると、二人で馬から降り、ゆっくりと相手に向かって歩き出した。徐々に近づいていくも、何冲天は未だ動かない。趙英も呼狐澹も、その間に会話を交わす事は無かった。


「やはりお前たちだったか……」


 何冲天が口を開いてそう言ったのは、十歩ほどに近づいた時。互いに斬りかかれる間合いに入る直前である。そこで二人も足を止めた。黙って見つめる二人を睨み返しながら、何冲天は続ける。


「策を弄してうろつくねずみがいると聞いてな……」


 その言葉に趙英は警戒を緩めずに笑みを浮かべて返す。


「その言葉、そっくり返すよ」


 互いに不敵な笑みを浮かべている趙英と何冲天。対照的に怒りに燃えている呼狐澹に目を向けた何冲天は、そこで初めて彼に声を掛けた。


「それで、お前は何なんだ、小僧」

「忘れたとは言わせない。オレの家族を殺した事を……」


 その言葉を聞いた何冲天の目に、一瞬の驚きが見えたが、すぐに大声で笑いだした。そんな様子に、呼狐澹は歯軋りをして怒りを露わにするが、趙英に制止される。


「そうか、樓蘭ろうらんの子か! 全く天意という物は因果な事をする!」


 そう言い放った直後、その笑みをふっと消すと同時に黒衣の侠客は背負っていた朴刀ぼくとうを構え、ほぼ同時に趙英も腰にいた宝剣「冰霄ひょうしょう」を抜き放って牽制する。互いの間合いのすぐ外で切っ先が向き合った状態だ。

 呼狐澹も直剣を抜くが、明らかに一呼吸遅れている。趙英がいなければ抜剣する前に斬りかかられて勝負がついていたであろう。

 未だに埋まらぬ実力差を痛感する呼狐澹であったが、当の何冲天の目は趙英の持つ青白い刃の宝剣に向けられていた。


「何と、これも因果か……」


 その発言の意図を趙英も呼狐澹も測りかねたが、考える余裕もなく戦いは始まった。

 何冲天はまるで予備動作を見せる事なく、一瞬で二人の目の前に踏み込んだ、というより。直後に振り下ろされる巨大な黒鉄の刃を、趙英の冰霄が受け止める。

 呼狐澹は即座に何冲天の胴を狙って突くが、手応えが無いまま刃が止まった。まるで木剣で岩を突いたような感触が手に伝わる。切っ先に目を凝らせば、呼狐澹の繰り出した刃は何冲天の空いた左手、それも人差し指と中指の二指で挟むように受け止められていた。刃を引いても動く様子はない。

 右手で振り下ろした朴刀の方も、未だに強い内力で押し込んでおり、趙英の方も受け止めた冰霄を引き戻すわけにはいかなかった。自分ひとりだけならまだしも、すぐ脇に呼狐澹がいる状況では、相手の刃を流すには危険すぎた。

 互いに武器が封じられた状態で、武器に込めた内力を抜く事なく、趙英と何冲天の間で足技の応酬が始まる。趙英は蹴りを入れる事で距離を取らせようとしているが、何冲天はそんな相手の意図を読み切り、膝や足先で的確に攻撃を逸らしている。


 自身が足手まといになっている事を嫌でも自覚した呼狐澹は、直剣から手を離すと、数歩飛び退いて背中の短弓を構えた。

 その動きを見た趙英は、即座に相手の朴刀を受け流して回避しようとするが、何冲天の方もそれに合わせて武器を引き、左手で掴んでいた呼狐澹の直剣も放り投げる。


 呼狐澹の放った矢を危なげもなく受け流した何冲天は、そのまま後ろに下がる。互いに再び間合いを取った事を見計らい、目の前に投げ捨てられた直剣を拾い上げる呼狐澹。やはりまだ実力が追い付いていない事を思い知らされ、悔しさに歯噛みをする。


澹兒たんじ、下がっていろ」


 趙英のその言葉もまた、呼狐澹からすれば足手まといだと遠回しに言われたような心持ちになってしまい、自身の実力不足を強く実感する要因になった。


「そうだ小僧、下がっていろ」


 何冲天の言葉に、呼狐澹は息を荒げつつも仇敵に問いを投げる。


「ひとつだけ聞かせろ! 何でオレの家族を……」


 その問いに何冲天は表情を変える事なく答えた。


「お前と同じだ。俺の家族はな……、お前の父・樓蘭によって皆殺しにされた。そして俺だけ生き残ったのだ。樓蘭も俺も、子供一人を殺し損ねるとは……。これを因果と言わずして何とする」


 その言葉に、呼狐澹は衝撃を受けた。

 彼の記憶には、家族を慈しむ父親の姿しか残っていない。父が家族を持つ前に戦場で戦っていた事は知っていたが、その時に何があったのか、何故戦いから身を引いたのか、ほとんど聞かされていなかったのだ。

 突然の事に唖然とする呼狐澹に対し、何冲天は続ける。


「敵に対して容赦をせず族滅するなど、乱世にあって珍しくもないさ。お前の父だけが特別というわけでもないだろう。だがな、そんな乱世に子供一人で生き残ってしまった以上、復讐に生きる他に道などない。お前もだろう」


 どんなに拒絶しようとも、呼狐澹にはしまう。仇敵を絶対悪に置いていた自身の認識が一気に崩されていく。相手に刃を向ける事が本当に正しいのか。心に迷いが生じてしまったのである。


 茫然と立ちすくんでしまった呼狐澹であったが、趙英の方は無言で何冲天に斬りかかる。どんな事情だろうと、立ち塞がる以上は倒すべき敵である。何よりもこのりょう州を乱す原因の一人であるならば、それは趙英にとって明確に、倒さなければならぬ敵である。


 青白い残像と共に振るわれた冰霄の一撃を、何冲天は即座に朴刀で受け止めたが、その黒鉄の刃にヒビが入った。双方の内力は拮抗していたが、武器の質の差がそこに出たわけだ。

 有利を確信して口元を緩める趙英だったが、何故か何冲天の方も同様に口元を緩めた。冰霄によって割られた黒鉄の刃に、まるで蜘蛛の巣の如きヒビが拡がり、その刀身がバラバラに砕け散る。だが趙英が刃から感じる手応えは全く変わっていない。未だにいる。


 何事かと目を凝らせば、砕け散った刀身の中から真っ赤な炎のような直剣の刃が現れた。それは冰霄と非常に良く似た、いや柄や刀身の装飾もほとんど同じ形をした赤い刀身の直剣である。冰霄と同じく、その柄の部分には「獄焔ごくえん」という銘が彫られていた。

 何冲天の持っていた朴刀は、その赤き宝剣を封じるように黒鉄で固められた物だったのだ。


 青と赤の刃……、恐らくは同じ鍛冶師によって作られた二振りの宝剣が交差する。何冲天の言った「これも因果」という言葉を、趙英はここで理解した。






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