幕間 練功
二人揃って
「
呼狐澹は耳慣れない言葉をそのまま訊き返す。趙英は武術における
外功は筋肉や皮膚など、肉体そのものを直接鍛える事で、これは誰でも分かりやすい。
一方で内功は、呼吸法や経絡などを駆使し、使い切れていない身体能力を引き出す事だ。
内功の達人は瞬発的に能力を爆発させる事に長けており、小柄な老人や細腕の女性が、遥かに体格が優れる相手を投げ飛ばすなども希に見れる事がある。
とは言え、外功をまるで鍛えず内功にだけ頼るのも体への負担が大きい為、両方並列で修練するのが普通である。この修練を練功と呼ぶ。
最終的な内功と外功の比率は、その人の素質や技の系統によって千差万別になる。
いずれにしても、よく練功を修めた者は、あらゆる物が武器となり、平凡な技すら絶技となる。柳の葉で敵の鎧を切り裂き、帯紐で敵の骨を砕くのである。
一方で後世にて練功と対をなすのが型式である。いわゆる構えや型などを身に付ける事だ。
どんなに隙のない相手であっても、攻撃に転じた瞬間に必ず隙が生じる宿命にある。いかなる武器も必ず攻撃の手段や方向は限られるからだ。振り下ろすか、凪払うか、刺突か……。
あらゆる攻撃には、防御であれ、後の先をつく返し技であれ、必ずそれに対応し無力化する型式が存在するという事である。
そうした型式を反復によって体に覚えさせ、敵の攻撃に対応する型を無意識で出せる事を目指す。これが型式である。
練功をよく修めれば平凡な技すら絶技となる。
型式をよく修めれば敵の技自体を封じる事が出来る。
武術において、このふたつのどちらを優先するべきか、後世に至るまで答えの出ない問題である。
しかし武術流派というものが中華に現れるのは、唐代の
漢の時代にも無論ながら武術はあったであろうが、未だ体系化はされていなかった。
そのため後世の人が中国武術と聞いて思い浮かべる構えや型式は、原型らしき物を使う者がいたにせよ、まだ生まれていなかったと言っていい。
そのような事から、この時代の武術修練は練功こそが基本であった。
「まずは基本の呼吸から体に覚え込ませる事だ。
呼狐澹は趙英に教わった呼吸をやってみるも、数秒しか保たなかった。
「その呼吸を維持したまま平然と過ごせるようにならないとな。話はそこからだ」
冷めた口調で言い放つ趙英を見て、やはり修行は一朝一夕とはいかないと、呼狐澹は改めて思うのだった。
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