第一章 出会い

第一集 荒野にて

 風が吹きつける。

 細かい砂利や砂埃の混じった乾いた風だ。


 乾いた砂の地面が延々と続き、視界に水場らしき所は無い。草木はまばらで、砂にまみれて弱々しく生えているだけ。動物の姿も目には映らない。


 しかし緯度も海抜も高い土地ゆえに「灼熱の砂漠」ではない。むしろ昼間の太陽は暖かい恵みの光であり、陽が落ちれば、吐く息は白くなり、水も凍りつく氷点下となる。

 ほとんど雨が降らない乾燥した気候ゆえに砂が支配する土地になっているが、よく雨の降る気候であったならば見渡す限りの雪原になっていたであろう。

 春先の涼州は、そんな土地であった。


 今はまだ陽も高く、凍えるほどではないが、絶え間なく吹き付ける風は体を冷やしていく。荒野を旅する者は、そのほとんどが厚手の布や毛皮で出来た外套マントを纏っている。


 そんな荒野を、馬が一頭、ゆっくりと歩いてくる。まるで砂漠の黄白色を保護色として擬態しているような月毛の若い馬だ。

 その馬の背には、例に漏れず毛皮の外套マントを纏い、頭には兜帽フードを被った小柄な人物が跨っている。

 ふと何かに気づいたように手綱が引かれ、月毛の馬が軽くいなないて足を止めた。

 その遥か前方、普通の人間には黒点にしか見えないほど遠くの物を、馬上の人物は判別した。それは賊に襲われている馬車であった。


 それは二頭立ての馬車で、今まさに一頭が賊の振るった大刀で斬りつけられて倒れ、体勢を崩したもう一頭も転倒した所である。

 どうやら馬車には漢人が二人、周りの賊は胡人こじん(異民族)のようであった。


 これはこの時代、胡人に限らず漢人の賊でも同様なのだが、いきなり襲い掛かって相手を皆殺しにし、その後で金品を物色するのが常套手段であった。言葉の通じない相手を従わせるために意思の疎通を図るという手順それ自体が、賊徒にとっては時間の無駄なのだ。

 ここで馬車を襲う賊たちも、例に漏れずいきなり襲い掛かってきたのである。


 馬が倒れたのを見ると、御者は即座に荷台に身を隠した。荒事は苦手そうな細身の男性である。荷台にはもう一人。表情から感情は読めないが、腰帯に剣をいた優男である。

 止まった馬車を馬で取り囲み、逃げ道を塞ぐように旋回しながらゆっくりと近づいてくる賊徒は、見渡すと七人。いずれも矛や大刀で武装していた。


 いつ賊に斬りかかられて命を失うか分からないこの状況で慌てふためいている御者が優男の腰の剣に視線を向ける。例え武術の心得があったとしても多勢に無勢。この優男が余程の達人でない限り、命が助かる望みは無かった。しかし放っておいても必ず死ぬなら、そのわずかな望みに賭けてみたくなるのが人情である。


「な、なぁ、あんた……! 剣が使えるのかい!?」


 一縷の望みを求め、御者はそう声をかけた。優男は溜息を吐くと、ゆっくりと立ち上がる。


「死にたくないなら、そこを動かない事だ……」


 御者はその声を聞いて、思っていた以上に若い少年かと思った。

 通りがかりで街まで乗せてくれと言われて拾った時には気にもしなかったが、今になって違和感に気が付いた。


 服装ももとどり(頭上で結った髪の束の事)も男性のそれであり、言葉遣いも凛々しく、一見すると小柄な少年のように思えた。しかしわずかな違和感。人によっては気づかないだろうが、これは男装をした若い女性ではないかと御者は思った。

 発した声もまた、意図的に低音で話す癖を付けてはいるが、一般的な女性の音域から外れる物ではなかった。


 だが今大事なのは、目の前の人物が男か女かではない。この剣を持つ者が、賊徒七人を向こうに回しても負けぬほどの使い手であるかどうかという事だ。

 さてその麗人が周囲の賊徒を見回して、落ち着いているがよく通る声で言う。


「死にたくなかったら、さっさと消えな。……まぁ、言葉は通じないだろうが」


 賊徒たちは実際には言葉を理解していたのか、或いは剣を佩いた麗人の姿を滑稽と思ったのか、顔を見合わせて大声で笑い飛ばすと武器を構えた。


 麗人がやれやれとばかりにかぶりを振って、腰の剣に手を掛けようかという時、賊徒の一人が突然落馬した。ドサリと砂地に落ちると痙攣して動かなくなる。

 その側頭部を一本の矢が貫通していた。

 どこかから狙撃を受けていると気づいた賊徒は、一斉に周囲を見回して狙撃手を探そうとした。

 その瞬間、全員が麗人に背を向けた。その後は一瞬の出来事だった。


 刃が鞘から放たれる金属音が響いたかと思うと、目にも止まらぬという形容が最も似合う動きで馬車の周りを駆け抜ける麗人。その間も刃が空を切る音が響き続けていた。

 御者が見とれている間にぐるりと巡って元の場所に戻った麗人は、まるで優雅な舞を踊るような動きで、服の裾をヒラリと浮かせながら、腰帯の鞘へと静かに剣を納める。


 チンッ……と鍔鳴りの音が響いた。


 その音を合図にしたように、賊徒たちは次々と落馬していき、黄白色の砂に赤い染みを広げながら動かなくなった。


 安堵して声を掛けようとした御者だが、未だに警戒を解いていない麗人が手で制止する。最初に賊徒を射抜いた狙撃手の正体が分からない。もしも別な賊であったなら、こちらへ向けて次の矢が飛んでくるはずだ。


 しかしその後に矢が飛んでくる事は無く、しばらくすると月毛の馬に乗った者が1人で現れた。兜帽フードの付いた毛皮の外套マントを纏った小柄な人物が片手に短弓を持ったまま近づいてくる。

 服装からすると、こちらも胡人のようであったが、どこか訛りのある漢語で無邪気に話しかけてきた。


「いやぁ、凄いね! 助けようと思って矢を射ったんだけど、必要なかったかな?」


 それは子供であった。兜帽フードを脱ぐと、短く乱雑に切った髪をした、歳の頃にして十二歳ほどの男児であった。

 対して麗人も警戒を解き、口元を緩ませて答える。


「いや、助かった。お前が連中の注意を逸らしてくれたお陰で、すぐに終わった」


 もう危険は無さそうだという様子を見て、御者も顔を出してくる。


「いやいやいや、本当に助かったよ。女子供に助けられるとは面目ない事だが、どうにも荒事は苦手でねぇ。どうだろう、街まで行ったら食事を奢らせてくれないか? 命を助けてもらった礼としちゃ安いとは思うが……」


 二人は顔を見合わせると、御者の提案を受ける事にした。





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