第五十六集 暴龍を討ち取る者
いつぞやの
趙英が何冲天とほとんど同じ型の剣法を使う以上、戦いの流れ自体は非常に良く似た展開となっていた。
馬超の繰り出す槍の刺突を避け、懐に飛び込んで斬撃を繰り出す趙英。馬超はそれを避けて距離を取り、槍の間合いへと戻す。
この時の趙英は、その感情のままに内力の全てを、踏み込みと剣の切っ先に集中させていた。刃が馬超に届きさえすれば、それは必殺の一撃となる。だがその身を守る
馬超もまた怒りの感情を起点としているが、趙英に比べれば些かは冷静と言えた。自身に有利な距離を測りながら槍で牽制していく。
馬超もまた
距離を取って後退していく馬超と、それを追って懐に飛び込む趙英という姿は、傍目に見れば趙英が圧しているようにも見えたであろう。
だが確実に傷が増えて消耗しているのは趙英の方であった。紙一重で回避する事で
だがそうまで傷つきながらも、一向に攻め手を緩めようとしない趙英の勢いに、馬超も精神的に恐れを抱き始めていた。
紙一重で避け続けているのは、彼もまた同様である。趙英が内力を防御に割いていないというのは、裏を返せばその一撃に全てを乗せているという事。もしも避ける事が出来なければ確実に命が刈り取られる必殺の一撃なのだ。
早く決着を着けてしまわねばという焦りが馬超にあった。
自身の流す血を気にもせず、野獣の様な絶叫と共に全力の一撃を振るう趙英の一閃を、再び紙一重で避けた馬超は、これまで通り間合いを取ると、勝負を決めるべく今度は自ら踏み込んでいく。
今までの牽制とは違い、馬超の方も相手の命を奪う為の必殺の一撃だ。だが趙英は怯む事なく、その刺突に向かい、
だが攻撃の重さが違う。いくら趙英と言えど、刺突を流しきる事は出来ないであろう。その一撃で勝負が決まるかに思われたが、双方ともに予期していない事が起こった。
趙英の冰霄が馬超の長槍を払った瞬間、その槍の切っ先が折れて上空へと飛んだのである。
馬超の持つ長槍は、質のいい名槍であったが、
馬超も趙英も、そして何冲天も、全く意図などしていなかったであろう。だが今は亡き黒衣の刺客は、自分を破った趙英の命を間接的に救ったのである。
趙英はその一瞬の隙を逃さなかった。槍を打ち払った勢いのまま身を翻すと、馬超の首を狙い、その青い刃を薙ぎ払った。
龍を模した黄金の兜が宙を舞い、両軍の将兵から騒めきが起こる。
地面に落ちた兜は真っ二つに割れるが、その中身は空であった。
最後の力を出し切った趙英は震える膝をついてその動きを止める。一方の馬超も、間一髪の所で身を逸らして致命傷を避けたが、兜を割られその額から大量の血を流していた。
死は免れたが重傷である事に変わりはなく、眩暈を起こして足元がふらついている。
互いに血まみれの顔で、殺意に満ちた瞳を向け合って動きが止まった。
そんな痛み分けとも言える状況で止まった双方の勝負に周囲が静まり返る中、一騎の将がそこに駆け寄って下馬する。
それは馬超軍最強の猛将・
絶望感を覚える趙英と、思わず笑みを漏らした馬超。
だが龐徳がその表情を崩さぬままに馬超軍の将兵に向かって命じたのは「全軍撤退」であった。その言葉に驚いた馬超が何かの間違いかと訊き返したのであるが、龐徳は祁山砦を指さした。正確には砦の先を……。
そこは既に霧が晴れていた。
砦の正面で戦っていた趙英や馬超は気づいていなかったが、そこには涼州軍の援軍が到着していたのである。
先頭にいるのは
その後ろには
互いに思う所のある両者であるが、共に曹操軍に降った以上は刃を向ける事は出来ないという判断のもと、閻行は西平の軍勢を引き連れて堂々と金城を通過し援軍に馳せ参じたのである。
麹演もまた閻行に出し抜かれてなる物かと、歯噛みしながらも金城の全軍を以って閻行と
そして
そして本命となるのは、
馬超の早すぎる再侵攻は、都にいる
勿論ながら部下の中から命令を待つべきという声も上がっていたが、それを待っていれば、再び涼州を見殺しにする事になりかねないと主張し、反対を押し切って軍を挙げ出兵したのだ。
いつぞや趙英と交わした「涼州の戦況が変わったら必ず助けにいく」という約束を、彼は守ったのである。
各地から集結し祁山砦に殺到する涼州軍の援軍は谷間を埋め尽くさんばかりの大軍勢となっており、龐徳に説得されて馬超軍の援軍に出た武都氐の将たちも、あれでは勝ち目などないと断じ、軍を返して
こうなってしまえば、もう馬超軍には撤退の道しかない。山の上から戦局を俯瞰して見ていた龐徳にはそれがよく分かっていたのだ。
重傷を負って動けない馬超を、部下に命じて運ばせる龐徳。髪を振り乱し、頭から血を流していた馬超は、それでもなお叫び続けていた。
「まだだ! ……まだ終わってない!! 俺はまだ……!!」
悲痛な叫びを上げながら部下たちに後方へと運ばれていく馬超を尻目に龐徳は振り返った。全身から血を流して片膝をつき、青き宝剣を杖代わりにして身を支え、何とか倒れずにいる趙英に向かって。
「
そう言い残すと、龐徳もまた立ち去って行った。
こうして馬超軍は撤退したのである。
敵軍が立ち去ると祁山砦の城門が開き、そこから趙昂が駆け寄って来る。そして満身創痍の娘の肩を抱いて安否を確認した。
そんな父親に趙英は縋りつき、声を上げて泣いた。弟の仇が討てなかったと。大粒の涙を流して慟哭する娘を抱き寄せ、趙昂は優しく慰めるように言う。
「いいや、この勝利はお前が引き寄せた物だ。お前は確かに討ち取ったんだよ。西涼の錦を名乗った暴龍を……」
馬超軍が立ち去った後の砂地には、真っ二つに割れ砕けた、龍を模した黄金の兜が落ちていた。まるで討ち取られた獣の首の如く……。
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