幕間 終わりの始まり

 城蜂起の計画に向けて動き出す事になった旧涼州の一同。

 趙昂ちょうこうが城内での手回しを行っている間、楊阜ようふは計画の要地ともなるれき城の姜敍きょうじょを訪れていた。

 撫夷ぶい将軍の地位にある姜敍は、王異おういの教え子である姜維きょういの伯父に当たる人物でもある。


 姜敍はりょう州刺史・韋康いこうの仇討ちに対する意思自体は固かったが、馬超ばちょう軍を漢中へ撤退させる道を作る為とはいえ、歴城に向かわせる事には難色を示した。それはここ歴城に、彼の母がいたからである。


 老母を危険に晒す事を躊躇していた姜敍の態度は、儒教倫理における「孝」の基準で考えれば立派な事ではあったが、その話を家の奥で聞いていた当の母がそれを一喝した。

 既に髪は真っ白で杖を突いていたが、その眼光は鋭い。どこか趙家のである王異を思わせた。


「何と情けない! 私の存在を理由に忠節を全うできぬとあらば、ここで自害して果てるまでです!」


 老母にそこまで豪語されては、姜敍とて従わざるを得ず、その様子を見ていた楊阜も苦笑するのであった。


 こうして楊阜が歴城の姜敍を引き入れた頃、尹奉いんほう南安なんあん趙衢ちょうく龐淯ほういく安定あんてい梁寛りょうかんもとへと赴き、それぞれが順調に協力者を得ていた。




 そんな頃、金城きんじょうで動きがあった。

 馬超軍の主力が隴西ろうせい郡の前線から退いた事で、韓遂かんすい軍もまた主力を金城へと一時的に退却させた。この時を待っていたとばかりに、麹演きくえんを始めとした反閻行えんこうの配下の声に押され、韓遂も遂に西平せいへいへ向けて兵を挙げたのである。


 しかし阿琳ありんの葬儀の一件もあり、西平の兵や民はそのほとんどが閻行の側に付き、むしろ韓遂に反撃すべきと閻行を担ぎ上げんばかりの勢いであった。

 緑風子りょくふうしの策が見事に成功したのである。韓遂軍は兵数では勝る物の、隴西での馬超軍との戦いの疲労が残っており、士気の面で大きく閻行軍に後れを取っていた。

 何よりも閻行は、かつては馬超すらも打ち負かし、韓遂軍最強とうたわれた名将である。


 この西平の戦いは閻行軍の圧倒的優勢で最初の戦いを終えたのだが、閻行軍が防戦に徹した事で韓遂軍も壊滅までには至らず、金城へと撤退したのである。




 これらの報告は当然の事ながら冀城にも届けられた。

 これを好機と見た馬超は、隴西を一気に攻め穿ち、韓遂と閻行を諸共に打ち破って金城、西平を手に入れんと意気上がった。

 そこで趙昂が進言する。韓遂に背後を突かれない今こそ、まずは隴西西部の枹罕ふかんを落とすべきであると。


「何故だ。あのような辺境を攻め落として何の意味がある」


 そう答えた馬超の疑問は当然である。

 そこで趙昂は、手の者が調べ上げたとして、枹罕の老王・宋建そうけんこそが、涼州の混乱の黒幕であると伝えた。

 潼関どうかんの戦いの発端も、韓遂との和平会談を決裂させた襲撃も、今度の韓遂と閻行の反目も、更には先日の冀城における反乱も、その全てが宋建によって仕組まれた陰謀であったのだと。

 先の兵士反乱に関しては、宋建の手回しだという確証はどこにもなかったが、そこは方便だ。何しろ妻子の命が危険に晒された事件である。馬超を激高させる理由としてこれ以上ない物であった。


 馬超からすれば、彼が故郷を追い出された事、一族郎党が処刑された事、更には妻子の命まで狙われた事、その全てがひとりの老人の陰謀であったと言われたのである。その怒りは韓遂に対する物の比ではなかった。


 こうして馬超軍の枹罕出兵は、議論をするまでもなく即座に決まる。

 多くの者にとって最後の戦いが始まった瞬間であった。






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