第五集 それぞれの思惑

 趙英ちょうえい一行が襄武じょうぶ城の見える丘に至ったのは、すっかり日も傾き始め、空が赤みを帯びている頃。丘の上から馬に乗ったまま県城を見下ろす三人は周囲の状況を見回し検討していた。


 襄武城は元より小さな田舎の県城であるので、中に入りきらないほどに集められた農兵たちが、城壁の外に不規則に天幕テントを張り、さながら不格好な戦陣といった様相であった。


 城壁の八方を天幕が乱立し、強引に集められただけの農兵たちは、未だ訓練された様子も無く不規則に闊歩している。今この時に、少しでも戦を学んだ事がある者が軍を以って攻撃したならば簡単に崩れてしまうほど隙がある。


 また夕餉ゆうげ時という事もあり、あちこちから炊煙が上がっている。


「あの様子だと、すんなり中に入れそうだな……」


 拍子抜けしたといった感じに肩をすくめて趙英が言うと、呼狐澹ここたんも無言で頷いた。緑風子りょくふうしの方は同意するでもなく考え込んだままだった。


「何か思う所があるのか?」


 趙英が訊ねると、言い淀みながら緑風子は静かに答える。


「いや、それでは少し……」

「少し……? 何か問題があるのか?」


 見落としている点の指摘でもあるのかと、次の言葉を待つ趙英。すると緑風子は振り向いて趙英の目を正面から見つめると力強く言う。


外連味けれんみが足りない!」


 真面目に聞いて損をしたという様子で溜息を吐く趙英と、キョトンとした顔で茫然とする呼狐澹。


「外連味って?」


 純粋な目でどちらにともなく訊ねる呼狐澹に、趙英が面倒くさそうに答える。


「派手なハッタリの事だ……」

「そう派手さだよ派手さ!」


 力強く相槌を打つ緑風子だったが、趙英は無視を決め込んで話を続ける。


「とにかく城門は開放されたままだ。あの様子じゃ、たった三騎の旅人程度には警戒すらしないと思う。つまり県城にはあっさり入れる。陽動して単独潜入なんて事を考える必要すらなかったな。その後に県庁に入れるかどうかだが、まぁ中に入って考えるか」

「そうだね、派手な演出は中に入ってから考えるとしよう」


 緑風子の言葉には答えず、他の二人は馬を駆って丘を降り始めていた。渋々といった様子で後を追う緑風子。




 陽もすっかり沈み、群青色の空に星が瞬いている中、襄武城の周りは天幕と共に大量の篝火かがりびが焚かれていて暗さとは無縁であったが、それゆえに光の届く範囲の外の闇が、人の目にはより一層暗く映る。

 そんな闇の中から、馬に乗った人影が三騎、城門へとゆっくり向かってくる。文人のような優男が二人と、子供が一人だ。


 農兵たちは気づいても特に警戒するでもなく素通りさせている。何人かは話しかけるが、彼らが落ち着いた様子で「通りすがりの旅人だ」と言うと、納得して見送っていく。

 旅人だという言葉を疑う事もほとんど無かったのだが、鎧で武装しているわけでもない三人組、もし万が一にからぬ事を考えたとしても、すぐに取り押さえられるだろうと踏んでの事でもある。

 一行は誰に止められるでもなく、開放されたままの城門から中に入っていった。


「本当にあっさり入れたね……」


 小声で趙英に言う呼狐澹。


「今はまだ戦をしているわけじゃないからな。少なくとも外の兵たちにとっては」


 小さい県城なので、城門を入ってすぐの大通りを、真っすぐ突き当たりに県庁が見える。城門から百歩(約一三〇メートル)も無いだろう。

 大通りは酒楼さかばと思われる建物周辺に人が集まり、表まで酒に酔った兵たちで賑わっていて、酒壺を抱えた兵たちが、絶えず城門の外と行き来していた。

 一行は近くのうまやに馬を預けると、すぐ隣の客桟やどやに部屋を取った。

 呼狐澹は客桟の部屋の窓から顔を覗かせて見回す。


「うん、窓から屋根伝いに行けそうだね」

「それじゃ、表の兵たちが寝静まったら屋根から県庁へ向かうとしよう」




 趙英ら一行が客桟で時を潰している頃、襄武城の県庁では三人の男が言い争っていた。うち二人は関中軍閥の諸侯に数えられた馬玩ばがん張横ちょうおう、もう一人は朴刀ぼくとう(刀身に幅と厚みのある刀)を背負った侠客で、顔に大きな傷痕きずあとのある長身痩躯ちょうしんそうくの男である。どうやら馬超ばちょうから送られた使者であるようだった。


「何だと!? 今何と申した!?」


 馬玩が侠客に怒鳴りつけたが、侠客は落ち着いた様子で丁寧に、しかし感情を見せない不気味さを含んで答える。


「ですから、立場を明確にしていただきたい。

 もう一度確認しますが、先の潼関どうかんの戦いで、若君と韓大人かんたいじんは袂を分かたれた。

 体勢を整え次第、若君は漢陽かんよう郡を制圧し統治なさる。一方で韓大人は故郷たる金城きんじょう郡に戻っている。

 そして貴公らは、ここ隴西ろうせい郡をこれより取ろうとしているわけですが、隴西郡は正に漢陽郡と金城郡の中間地点なわけです。

 若君としても、貴公らがどちらに付くのか、大層お気になさっておいででしてね」


 馬超と韓遂かんすいは、元より関中軍閥の筆頭と言える二人であった。関中から逃亡した現在も、多くの兵を抱えている。関中同盟では両者に従っていた上、兵力でも劣る馬玩、張横とも、あえて立場を示さずに生き残りを図ろうと考えていた。


 しかしそれを見越した馬超は先んじて使者を送り込んできたという事であろう。ここで味方にならぬなら、漢陽郡を制圧した後、そのまま隴西郡も攻め取るだけだと言わんばかりである。とは言え明確に馬超に付くとなれば、金城の韓遂がいつ攻めてくるかも分からない。

 張横は冷や汗を垂らしながら何も言えずに押し黙っていたが、馬玩が侠客に言う。


「話は分かった。我らは馬将軍に付く。そう伝えてくれ」

「そのお言葉、信じてよろしいのですな?」


 侠客は顔に何の感情も乗せぬまま聞き返した。


「無論だ。我らとて韓遂の奴めが曹操と通じていたと知り、信用がおけぬと思っていたからな」

「ではそのように若君にお伝えいたしましょう。ではこれにて……」


 侠客はそう言うと包拳ほうけんして部屋を出て行った。立ち去ったのを確認した張横は馬玩に詰め寄った。


「良いのか!? もし韓遂に知れたら……」

「韓遂にも同じように味方すると言っておくのだ。それで時を稼げる。

 どちらにしろ馬超のいる漢陽は、関中に最も近い。いずれ曹操軍が山を越えてくるとすれば、真っ先に漢陽の制圧にかかるだろう。だから馬超は背後を気にして手を打ってきたのだ。

 韓遂にしても、いずれ来る曹操軍を見越し、盾として馬超を利用したいはずだ。つまりこの涼州で両者が軍を挙げて争う事は無いと断言していい。

 我らが両方に味方をすると言っておいたとしても、立場が窮する事などまずあり得ぬわ」


 張横は笑みを零して胸を撫で下ろした。


「しかしお主、見かけは無骨者だが、意外と頭が回るのう」


 そんな張横の素直な賛辞に、馬玩は得意気に笑みを見せた。





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