第二十九集 左賢王の想い人
同族である
特に
「
白髪交じりの髭を撫でながら、呼廚泉が呟いた。
いつしか匈奴の勢力が衰えると、漢と共存する事を選んだ南匈奴と、漢を拒んだ北匈奴に分裂。形成が完全に逆転した漢によって北匈奴は領域外に追い出され、これより後の時代も含め中華王朝の記録からは完全に姿を消す事となった。
だが百年ほど前の後漢中期ごろ、かつては匈奴に付いていたものの、時代の流れと共に漢に服属していた羌族が漢に背き、
一時は羌族の勢力が都にまで迫るほどの勢いを見せたが、結局は漢の勝利に終わり、その戦いの中で多くの凄惨な殺戮が繰り返されたのだ。
その頃の遺恨が未だに羌族の中に燻ぶり続けていた中で、羌族の血を引く馬超の決起を知って勇んで呼応した。それが今度の戦いの本質なのだろうと呼廚泉は語る。
南匈奴の先祖は、漢人との共存を選び、漢王朝の為に自らの同胞であった北匈奴と戦った。それは彼ら自身の選択であったがゆえ、漢人に対する先祖からの遺恨はほとんど無い。
だが無論ながら南匈奴とて一枚岩ではない。単于のやり方に異を唱えて漢王朝の官軍と刃を交えた者も中にはいる。先の永和の乱においても羌族と共に戦った南匈奴の者もいたのだ。
そして部族としても
そこまでの話を聞いた緑風子は、穏やかな笑顔を浮かべて語る。
「それは問題ないと思いますよ。現在の曹操の陣営には、かつて敵対した将兵も多いのです。汝南袁氏に仕えていた者は勿論、
長老たちが再び騒めく中、我が意を得たりと目を輝かせた
「いつまでも恐れていた所で始まらんか」
そんなやりとりを見た趙英と緑風子は、曹操への帰順に最も前向きなのが多羅克であったのだと気づく。今自分たちがここに呼ばれているのは、単于が漢人の旅人に会いたがっていたのではなく、多羅克自身が単于と引き合わせたかったのだと。
会談を終えると、趙英らは焚火を囲んでの
「本当に感謝する。これで南匈奴も変わっていけるはずだ」
どこか虚ろに空を眺めながら感謝の言葉を述べた多羅克は、静かに言葉を続ける。
「
趙英と緑風子は顔を見合わせた。それは戦国時代の思想家・
狭い世界しか知らぬ者が、広い世界に出る事で己の視野の狭さを悟るという意味を、井戸の中に住む
漢地の政治情勢をほとんど知らず、漢語も片言な様子であったのに、なぜその言葉を暗唱できたのか。そんな趙英らの疑問を、聞かれずとも察した多羅克は、悲しげに微笑んで語った。
彼はかつて漢人の娘と出会い、恋に落ち、十年ほど共に暮らした事があった。その娘は博識で、色々な話を聞かせてもらったそうな。その中でも特に印象に残っていた言葉だという。
「彼女と初めて出会ったのは、李傕が乱を起こした頃の、長安の都だった。その頃の私は初陣でな。この者くらいの歳の頃だったか」
そう言って呼狐澹に視線を送る。反応に困って視線を泳がせる呼狐澹と、かつての記憶を思い出しているのであろうか、黙ったまま微笑んでいる多羅克。
趙英はそんな多羅克に遠慮がちに質問をする。
「その娘さんは……、今は……?」
多羅克は趙英の遠慮を察し、微笑みを崩さずに答える。
「生きているさ。恐らくは曹操と同じ所。漢の都に」
そこで趙英も、そして呼狐澹も理解した。
多羅克がなぜ曹操の事を聞きたがったか。そしてなぜ南匈奴と曹操の交渉に尽力しているのか。
「また会えるといいね!」
そんな呼狐澹の無邪気な励ましに、多羅克もまた趙英と呼狐澹を交互に見て言う。
「そなたらも、共にいる時を大事にな」
漢人と匈奴の若い男女という事で、過去の己を重ねていたであろう多羅克だが、趙英と呼狐澹は変に互いを意識させられて返答に困り、相互に赤面し、わざとらしく咳払いして黙りこくってしまった。そしてそんな二人を面白そうに眺める緑風子なのであった。
翌朝、趙英ら一行は多羅克に地図で現在地を確認してもらうと、匈奴の民たちに別れを告げ、改めて目的地へと馬を走らせる。
目指すは
涼州解放の第一歩となる交渉へと。
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