第三十集 受け継がれしもの

 趙英ちょうえいら一行は南匈奴みなみきょうど多羅克たらくと別れ、北地ほくちから一路西へと向かって黄河こうがを渡り、武威ぶい郡の砂漠を横断して金城きんじょう郡へと入った。

 元より隴西ろうせい馬超ばちょう軍と相対している韓遂かんすい軍の背後を素通りする予定であったわけだが、その予定以上に人の少ない道を通った事もあり、ほとんど敵と遭遇する事もなく祁連きれん山脈のふもとまで到達。順調に山脈に沿って進み、目的地の西平せいへいまで辿り着く。


 代わり映えのしない西域の荒野の中に、土壁で囲まれた城市まちが見えてきた。西平の中心である西都せいと城である。城門は開いているが、人の出入りはまばらで、数人の門番が出入りを見張っている。


「入れるのかな、あれ」


 呼狐澹ここたんの素朴な疑問に、いつものように微笑んで答える緑風子りょくふうし


「ここはあえて直言するのが吉かと思うね。まぁ、任せて」


 そう言って進み出る緑風子を、趙英も呼狐澹も黙って見守る事とした。流れ作業のように誰何すいかしてくる門番に対し、緑風子は答える。


漢陽かんよう郡からの遣いの者です」


 その言葉に動揺し、警戒心を滲ませる門番たち。それは当然だ。漢陽郡は今まさに敵対している馬超軍の支配下にあるのだから。緑風子の方は焦るでもなく続けた。


「正確には、の遣いの者です」


 その言葉を聞いた門番は顔を見合わせると、その中で最も地位のあると思われる兵が緑風子に槍を向けた。


「帰れ!」


 その様子に溜息をつく趙英であったが、しばらくの間の後に何も言わずに戻ってきた緑風子は、微笑みを絶やしていなかった。

 そのまま黙って西都城から離れるように歩みを続ける緑風子に、趙英は嫌味のひとつでも言ってやろうとしたが、緑風子の手に一枚の布切れが握られている事に気づいた。

 どうやら兵士の向けた槍の先に括りつけられていた物のようだ。布切れを開くと、そこには文字が書かれており、それを読んだ緑風子は他の二人に呟くように言う。


「予想通りだね」


 そう言って布切れを渡してくる緑風子からそれを受け取った趙英は、脇から覗く呼狐澹と共にそこに書かれている文に目を通す。


「南にある赤罌村せきおうそんびょうで待たれよ」


 顔を見合わせた趙英と呼狐澹に、緑風子が補足する。


「韓遂の内患ないかんとして閻行えんこうがいるように、閻行の治める西平の中にも当然ながら韓遂派がいる。旧涼州刺史は勿論、曹操と繋がる者との交渉の席を公の場で設ける事は不可能だ。機会を伺っている閻行が、訪問者を確認する門番に自分の息のかかった者を使うのは当然って事さ」




 そうして閻行に指定された赤罌村に到着したのは陽も暮れかかった頃である。民家が十数軒立ち並んでいるだけの小さな村であった。目的の廟は村の外れにあり、村人によって手入れはされているが明かりは灯っていない為、日が暮れれば少し不気味な雰囲気がある。

 とは言え、良い意味で肝の座った三人は、特に怯える様子もなく薪を集めて焚火を起こすと、買い込んだ胡餅こべい(パン)とひしお(塩漬け肉)で夕餉ゆうげを取り始めた。


 そんな三人に向かって足音が近づいてきた、音から察して人数は一人。廟に詣でる村人の可能性もあるが、確実にそうと言い切れるわけでもない。即座に武器を手に取れる程度に警戒をしながら、表向き黙って食事を続けた。

 足音はその歩を止める事も早める事も無く廟に到達し、三人に声をかけてくる。


「あなた方も、閻将軍を訪ねて参ったのかな?」


 その声に視線を向けた三人。果たしてそれは村人では無く、敵兵や刺客の類でも無さそうであった。深衣ローブに身を包んだ官吏風の若い男が、その手に手提げの灯篭とうろう提灯ちょうちんの事)を持って、穏やかに話しかけてきたのである。

 その話しぶりから、彼もまた閻行と表では面会できぬ用があるという事だろう。


「えぇ、あなたも?」


 緑風子がそう応えて全員が警戒を解いた時、趙英は灯りに照らされた相手の顔を見て、それが知人である事に気づいた。


「兄上? 子異しい兄上か?」


 その声に、相手も趙英に視線を送った。


慧玉けいぎょくか?」


 一瞬何事かと困惑した緑風子と呼狐澹であったが、両者が互いにあざなで呼び合うほどの仲である事に安堵する一方、そんな知人がこのような場所で再会した偶然にも驚きを隠せない。


 さて、その官吏風の男、名を龐淯ほういくと言う。彼の母である趙娥ちょうがと、趙英の父である趙昂ちょうこうが親戚にあたるので、遠縁の縁者というわけだ。そして同時に、龐淯の母である趙娥は、趙英の剣の師でもあるという。

 十一歳で家を飛び出した趙英は、酒泉しゅせんに住む趙娥の下で暮らしながら剣を学び、その時に龐淯からは実の妹のように接してもらったというわけである。


「ところで、師母しぼは元気ですか?」


 他の二人に対してひと通りの紹介を終えた趙英がそう訊くと、龐淯はどこか悲し気に笑みを零して答える。


「昨年に亡くなったよ」


 その言葉に衝撃を受ける趙英。修業時代も既に師である趙娥は白髪の老婆だった以上、それが天寿であったという納得もあるにはあるが、ほとんど恩義を返す事が出来なかった事も心残りである。

 そんな趙英の様子を見て、優しく声をかける龐淯。


「気を落とすな。お前と出会ってなかったら、母はもう十年も前に死んでいたと思うぞ」


 趙英は修業時代に聞いた趙娥の過去に思いを馳せる。


 幼い頃に家族を失い、たった一人で親の仇討ちを志して剣を学んだ趙娥は、十数年かけて見事にそれを成し遂げ、酒泉にその名が轟いた。

 しかし全てを失った先に為した仇討ちによって、生きる意味を失った当人には、喜びも悲しみも達成感も、何も残らずただ虚無だけが残ったのだという。

 そんな趙娥の心を埋めたのが、夫となった龐子夏ほうしか。龐淯の父である。そうして新たに生きる意味を見出した趙娥だったのだが、子供が全員独り立ちして間もなく、夫に先立たれていたのだ。

 家で独り、再び生きる意味を見出せずに茫然と暮らす趙娥を、子である龐淯も気にしていたのであるが、自身も他の兄弟も別の土地で独立して仕事を持っている以上、毎日顔を見せる事はできない。

 一緒に住もうという息子たちからの提案も、夫の墓から離れたくないと言って断り続けていたそうだ。


 漢陽かんようの親戚である趙昂から龐淯に連絡が入ったのは、まさにそんな時である。家を出て剣を学びたいと喚いている馬鹿娘がいるので、趙娥の家に置いてくれないかという。これは龐淯にとって願ってもない事であったのだ。

 そうしてやってきた十一歳の小娘によって、生きる意味を失っていた独居老人に、三度目の目的が出来たのである。

 仕事が休みになる度に実家に帰った龐淯が、互いに喚きあっている趙娥と趙英の姿を見て、どれほど安心した事か。趙英のお陰で母の寿命が延びたという龐淯の言葉に嘘は無かった。


 そうして己の剣術の全てを趙英に授けた趙娥は、思い残す事もなく天寿を全うし、夫である龐子夏と並んで葬られたのだそうだ。


「もし酒泉を訪れる事があったら、墓を参ってやってくれ」


 龐淯のその言葉に、涙腺を潤ませながら頷いた趙英。そこで龐淯は思い出したかのように、背中に背負った荷物から布に包まれた四尺弱(九十センチほど)の細長い物を取りだした。


「当初は漢陽に立ち寄った時にと思っていたんだが、こうして本人に出会えたのも天の導きかな」


 そう言って龐淯からそれを差し出された趙英。手に取って布を解くと、それは直剣であった。柄に「冰霄ひょうしょう」と彫られたそれは、鞘から引き抜くと刃が青白く光る、まさに宝剣と呼べる物だ。

 師である趙娥が先代より受け継ぎ、この剣によって仇討ちを成し遂げたと聞かされていた。すなわち趙娥の形見である。


「これが慧玉に受け継がれれば、もう自分の人生にやり残した事はない、それが母の最期の言葉だ。……これで完了だな」


 そう微笑みかけた龐淯に、趙英は涙を流して今は亡き師への感謝を心中で何度も繰り返すのであった。






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