幕間 酒泉の義士
涼州の現状の確認から、趙英らがこの
黄河の西側に位置し、
龐淯は故郷である酒泉が編入された雍州の各地で役人として働いていたわけだ。
余談であるが、これより後の時代、曹操の孫・
その理由は諸説ある物の、
いずれにしても、その時期に州名が入れ替えられてから戻される事が無かった。その為「涼州」という地名が指し示す範囲が、曹操の
とにかくこの時代に於いては、龐淯の働いていた西域四郡の行政区分は雍州だったわけである。
さて、そんな辺境の雍州でも近年は大きな事件が続いていた。曹操によって雍州として行政区分が分割されたわけだが、元々それを要請したのが地元である敦煌郡の豪族の
同じ
邯鄲商が張猛暗殺を計画している事を察知して先手を打ったというのが張猛の言い分であったのだが、真相は定かではない。
邯鄲商から恩を受けていた龐淯は、その知らせを聞くと即座に馬を走らせ、邯鄲商の遺体の前で伏して号泣したそうな。兵士から取り押さえられても毅然たる態度で「殺したくば殺せ」と言い放った龐淯を見て、張猛も義士であると褒め称え、その命を奪う事は無かったという。
刺史を殺害し反逆を起こした張猛を討伐する為に朝廷から軍が派遣される事になるわけだが、その時に討伐軍を出したのが
その後、酒泉郡に立派な義士がいるという噂が都まで到達すると、曹操は中央に召したいと思い、龐淯にその旨の知らせを送ったのだが、この時はまだ母である
だが趙娥が天寿を全うしたのを見届け、雍州での仕事も一段落すると、趙英に渡す宝剣「
ところが涼州に入れば関中軍閥の残党軍が各地で小競り合いを起こしているという有様。反曹操の点で一致している軍勢が割拠する土地を、これから曹操に仕える文官が一人旅するなど危険極まりないという話である。
そこで龐淯は、数年前の張猛討伐で面識を持ち、なかなかの好漢であった閻行の下に一旦身を寄せる事にした。するとそこに漢陽で会う予定であった趙英がいたというわけである。
「すごい偶然だね」
「だがここで再会できた事で、私の方の問題は解決かも知れんな。
「それは心強い」
そう答えた
その後、龐淯と趙英の思い出話を中心に焚火を囲んでの談笑が続いて、夜も更けていった。
閻行が廟に姿を見せたのは、翌朝の事である。
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