幕間 冀城陥落

 涼州、漢陽かんよう郡、県。

 州都でもある冀城が馬超ばちょう軍に包囲されてから、既に八カ月が過ぎようとしていた。


 晴れ渡った昼下がりの青空に、強い風が吹きつけて城壁の軍旗を揺らしていた。

 そんな城壁に立って東方に連なる隴山ろうざん山脈を見つめる涼州参軍さんぐん趙昂ちょうこう

 この包囲が始まった頃、長安ちょうあんに援軍を求めに出発した長女・趙英ちょうえいの事を、彼は案じていた。


 最も恐れるのは、彼の友人であった閻温えんおんと同じく、馬超軍の包囲を突破できずに殺害されている事である。こうして援軍がやってこないのは、あくまで駐留軍が援軍を出せぬ状況であるだけで、趙英自身は長安に到達して無事でいてくれればいい。そう祈るばかりであった。


 今では冀城城内の食糧も底をつき、牛馬家畜の類も全て食肉として潰してしまった。冀城の人々は既に役人、将兵、民に至るまで、水だけで命を繋ぐ状況となっていた。中には飢えた子供の為に、己の肉を削ぎ落して食べさせる者までいた。


 通りで倒れ伏した母親に縋りつき、泣いている幼子がいた。母親は既に息絶えていた。幼子はまだ死という物を理解できぬ年齢で、起きて起きてと言いながら泣き続けていた。

 道行く者たちは同情の視線を送りつつも素通りしていく。今は皆自分たちの事で手一杯なのだ。分けてやる食糧も無い。自分の家族もいつなってもおかしくはない。


 そんな幼子を抱きかかえてあやす者がいた。冀城の主である涼州刺史しし韋康いこうである。大声を上げて泣く幼子をただただ無言で抱きしめた彼は、近くにある自分の家に連れ帰ると、傭人ようじん(使用人)の中年女性に世話を託して政庁へと向かった。


「もう限界だ。馬超に使者を送れ」


 それが政庁に入った韋康の第一声だった。その場にいた参軍の楊阜ようふ拱手きょうしゅして強く反対意見を述べた。


「お言葉ながら、それでは今日まで耐え抜いてきた事が無駄になってしまいます!」


 楊阜の言わんとしている事は韋康も理解していた。だが兵も民も飢えに苦しみ、あと数日もすれば餓死者は累乗的に増えていくだろう。例え援軍が到着しても、城内の者が皆死んでしまっていては何の意味もない。


「民を生かす道はもうこれしかないのだ。それにここで馬超に降ったとしても、必ずや再起の機会は巡ってくる」

「しかし、馬超が我らを生かしますでしょうか?」

「己の命を惜しむか?」

「いえ。これは義の問題です」


 強い口調で断言した楊阜に、韋康はゆっくりと頷いて言う。


「私は殺されるやもしれん。その時は、再起の時まで馬超に恭順の意を示せ。嘗胆しょうたんだ」


 韋康は越王えつおう句践こうせんの故事を引用して楊阜に言い含めた。笑みを漏らしつつ韋康は続ける。


「馬超には誰も殺さぬように条件を出す。開城と引き換えなら承諾するであろうよ。奴とて大勢の前で約束は違えまい」


 楊阜は韋康の覚悟を感じ取ると、拱手礼をしてその場を辞した。



 冀城城門の外にすぐさま使者が送られ、軍営の天幕テント内で馬超が胡餅こべい(パン)をかじりながら使者の言葉を聞いていた。

 使者が開城の条件を言い終えると、馬超は迷う事なく承諾する。


「よかろ。誰も殺さぬ。約束しよう」

「ありがとうございます。韋刺史もお喜びになります」


 使者は安堵の笑みを零すと拱手をして深々と礼をした。



 それから間もなく冀城の城門が開かれると、わずかな供回りだけを連れて韋康がその姿を見せた。馬超は下馬するとその前に歩み出る。


「城内の民はもう限界だ。どうかまずは食糧を分け与えてやってくれ」


 拱手礼をした韋康は、馬超に念を押した。それを聞いた馬超は呵々大笑して韋康の肩を叩くと、片言の漢語で答える。


「心配するな。この冀城を始め、漢陽の民はこれより我が民になる。疎かにはせぬ」


 拱手礼の格好のまま腰を折って頭を下げている韋康を素通りすると、城門の方へと歩き出す馬超。安堵の溜息を吐いた韋康が顔を上げると、目の前にいた将が槍の切っ先を突き出し、韋康の胸を貫いた。城門の周囲にいた涼州兵や、城壁の上から様子を見守っていた役人たちが驚きの声を上げる。


 韋康を突いた将は表情を変える事もなく無言で槍を引き抜いた。

 傷ついた肺から昇ってきた血を口から吐きながら、韋康は振り返り馬超を指さす。


おのれ……!」


 何かを言おうとするも、もはや声が出ない韋康はそのまま倒れ伏し、黄白色の砂に血だまりを広げて絶命した。


 その様子を肩越しに見つめていた馬超は、口元に笑みを浮かべていた。

 役人たちは口々に、嘘つき、卑怯者との罵声を馬超に浴びせたが、馬超は余裕を崩さぬままに言い放つ。


「誰も殺さぬと言ったが、とは言っておらん。刺史を生かしておいても良かったが、張師君ちょうしくんは殺したかったようだ」


 張師君とは、しょくと涼州の中間地点にあたる山岳地帯・漢中かんちゅうに拠点を構える五斗米道ごとべいどうという教団の教祖・張魯ちょうろの事である。南方にある蜀の地を広く治めていた益州牧えきしゅうぼく劉焉りゅうえんに取り入って地位を上げ、劉焉の死後にその息子の劉璋りゅうしょうが地位を継ぐと、張魯は漢中で独立。

 この件によって劉璋とは冷戦状態となるが、漢中における張魯は民生に力を注いで善政を布いた。これにより朝廷としても迂闊に手が出せなくなり、中郎将ちゅうろうじょうの官位と共に、張魯の漢中支配を追認していたのである。


 しかし先年に曹操そうそうと馬超が激突した潼関どうかんの戦いは、もともと曹操率いる朝廷軍が漢中の張魯を攻める名目で出兵した事に端を発している。

 つまり張魯は曹操から明確に宣戦布告を受けていると言えた。


 張魯の支配する漢中と、曹操の軍が駐留する長安のある関中の間には険しい秦嶺しんれい山脈が壁の如くそびえている為に、どちらから攻め上るにしても一旦は西側の武都ぶと郡を経由して漢陽郡に抜ける必要があった。張魯としては馬超が漢陽郡を治めてくれれば防衛に利用でき、馬超もまた旧領回復の為に背後から支援を受けられるという利害の一致があったのである。

 この時点で既に馬超軍と張魯軍は同盟を結んでおり、張魯配下の楊昂ようこうが客将として冀城包囲に参加していた。韋康を突き殺したのは正にその楊昂であり、詭弁ではあるが馬超の意思では無いという名目は立っていたのである。


 血にまみれて倒れ伏した韋康の亡骸を尻目に呵々大笑する馬超に対し、城壁の上から怨嗟の視線を向ける趙昂。怒りに震えるその肩を楊阜が抑えて首を振った。


「今は耐えるのだ、偉璋いしょう。いつか来るまで、この光景を目に焼き付けておけ」


 こうして八カ月間に及ぶ籠城戦は終わり、冀城は馬超の手に落ちた。

 漢陽郡の実質的な支配者になった馬超の下に、冀城に残った将兵・役人たちは帰順する事になったのである。


 その多くの者が、嘗胆の志を胸に秘めて。





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