第五十一集 信念と疑心と

 漢中かんちゅうへと到達した馬超ばちょう軍は、そのまま南鄭なんていへと向かった。龐徳ほうとく馬岱ばたいら少人数の供回りを同行させて張魯ちょうろと会い、援軍と補給の要請をしたわけである。

 兵の疲れが取れ次第、すぐにでもりょう州へと引き返す算段であった。


 仮にも一度は同盟を結んだ以上、補給と援軍の約束はしたが、当の張魯は余り乗り気では無かった。大物であった金城きんじょう郡の韓遂かんすいが死んだ事も含め、現在の涼州が親曹操そうそう派でまとまりつつある事を報告から察しており、仮に馬超が再び城を奪還したとて、長期的な維持は出来ないだろう。同盟を結んだ二年前とはまるで状況が違うのだ。


 このままでは漢中に曹操軍がやってくるのも時間の問題である。そうなった時に、この漢中を戦場にして民を巻き込む事はしたくない。ならば降伏もやむなし。むしろ曹操の政権下で生き残りを図る方が得策。かつて彼の両親がしょく劉焉りゅうえんの下で弾圧を逃れたように。それが張魯の心持ちであった。




 張魯の心変わりを知ってか知らずか、涼州へ向けて再出兵する馬超の意志は固かった。南鄭に逗留中のそんな馬超を訪ねてきたのは二人の少年である。

 一人は馬超の長子である馬秋ばしゅう。そしてもう一人は趙月ちょうげつ。馬超に報仇の覚悟を決めさせた趙昂ちょうこう王異おういの子だった。


 思わず剣に手をかけようとした馬超に対し、その反応を見ていないかのように二人の少年は包拳して頭を下げる。


「父上、実は我らは義兄弟の契りを交わしました」


 息子のその言葉に馬超は目を見開く。その意味する事が分かっているのかと問い詰める馬超であったが、馬秋は何も知らぬと言わんばかりの困惑した素振りを見せて言い返した。


「分かりませぬ。そもそも士朧しろうと仲良くしろと命じられて、ここ南鄭に送り出したのは父上ではありませぬか。親の因縁など気にするなとも言われましたよね」


 確かに馬超はそう言って送り出した。

 だがそれは冀城において趙昂らが従順な素振りを見せていた事もあり、表だって監視しろとは言えぬ場であったからだ。

 父の発言がそうした方便であった事を馬秋もよく心得ていたが、この時は説得の為に知らぬ振りで突き通そうとしたわけである。

 返答に窮する馬超に馬秋は追い打ちをかけるように続けた。


「いずれにしろ我らは義兄弟となったわけです。です」


 それは正に殺し文句であった。

 何しろ妻も、他の子も全て失い、目の前にいる長子だけが唯一生き残っている子なのである。そんな馬秋に死なれては、本当に血が絶えてしまう。

 馬超は剣の柄から手を放し、隣で包拳し頭を下げたままの趙月に穏やかに問う。


「お前たちが本気だという事は分かった。だがな趙士朧よ。貴様の両親は俺の敵だぞ。その意味は分かっているな」

伯葉はくようの申した通りです。両親は関係ありませぬ」


 そう答えた趙月の真っすぐな瞳に、馬超も大きく頷き、二人の関係を許したのであった。この時は……。




 張魯のを名乗る紅顔白髪の優男が馬超を訪ねてきたのは、その数日後の事であった。

 鍾離灼しょうりしゃくというその道士は、今度の出兵には自分も援軍として参陣すると申し出る。張魯がどこか乗り気ではない事を察していた馬超は素直に喜んで感謝の言葉を述べた。


 そんな鍾離灼から、ひとつ懸念があると告げられた馬超。どこか言いにくそうにしている道士に、馬超は構わないから何でも言ってくれと強く言った。

 鍾離灼は溜息を吐いて悲し気な顔で語り出す。内通者がいると……。その言葉に驚き、誰の事かと馬超が尋ねた。


趙慧玉ちょうけいぎょくという者をご存じですか?」


 鍾離灼のその言葉に、馬超は冀城で出会った女侠を思い出した。あの時は彼の妻子を救ったが、それはあくまで両親らの命令だと答えていた。今回の冀城反乱の首謀者である趙昂と王異の娘。すなわち息子である馬秋の義兄弟となった趙月の姉である。

 馬超は嫌な予感がしたが、最後まで聞かせろとばかりに鍾離灼を急かした。


「その者が先日、ここ南鄭に侵入しておりました。怪しんで尾行してみれば、その者の弟である趙士朧、そしてあなたの御子息である馬伯葉の二名と真夜中に密談をしていたのです。彼らは互いに包拳を交わし、その後に趙慧玉が去っていきました。恐らくは涼州との連絡役でしょう」


 馬超は信じたくはなかったが、涼州で多くの者に騙され続けた事で、もはや誰を信用していいのか分からなくなっていた。

 志を同じくする者さえも冷酷に斬って見せたかと思えば、殺すつもりの相手に取り入って親友の顔をする。相手はそんな者たちばかりなのだ。


 ましてや趙月は、その中心にいた趙昂や王異の嫡子である。馬秋に近づいて機会を見て殺すつもりなのではないのか。

 冀城の城門の上で、返り血に塗れたまま笑みを浮かべていた王異の姿が重なる。妻である浥雉ゆうちは、あの女を最後まで親友だと信じていたのである。もうあんな事は二度と起こしてなるものか。


「話は分かった。よく教えてくれた……」


 馬超は落ち着き払った素振りで静かにそう言ったのだが、その瞳は怒りと殺意に満ちていた。鍾離灼はそんな馬超へ気を遣うように拱手をして部屋を辞した。


 部屋から出た途端、それまでの優しくも悲し気な表情を一気に崩し、口元を緩ませその肩を震わせた紅顔白髪の道士。

 彼にとっては、涼州も、馬超も、張魯も、何も関係が無かった。可能ならばその全員を不幸に落とし、それを嘲笑ってやりたいと思っていた。


 陰謀を以って世を乱すという部分で、鍾離灼は老王・宋建そうけんに大いに共感していた。だが宋建は、領土を持ち、地位を求め、そこにしがみ付いた。それが敗因となった。

 だが鍾離灼はそんなものは求めない。地位も土地も部下もいらない。ただ一人、神出鬼没に天下を流れ、行く先々で気に入らぬ者を地獄に落としていく。

 宋建にとっては手段であったが、鍾離灼にとってはそれが目的そのものだった。


 そして今度の戦いは、因縁の相手である緑風子が参じているはず。その目の前で、彼の仲間たちを次々と地獄へ落とし、あの笑顔を絶望で上書きしてやる。

 それが果たされた時、鍾離灼は真の意味で解放されて自由となるのである。


 それは生まれた瞬間から悪と断じられ、悪として存在する事を望まれた男の、一世一代の戦いでもあった。






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