第二十集 趙家の人々

 父・趙昂ちょうこうの腕に抱かれながら涙を流していた趙英ちょうえいは、後ろで緑風子りょくふうし呼狐澹ここたんを待たせている事を思い出し、決まりが悪そうに離れると涙をぬぐいながら双方に紹介した。


「これはこれは、我が娘がお世話になりました」


 そう言って拱手きょうしゅをした趙昂は深々と頭を下げた。緑風子も呼狐澹も、此度こたび最も活躍したのは趙英であると褒めながら礼を返した。

 挨拶もそこそこに、趙英は父に問う。


「それで……、馬超ばちょうはここに?」


 そんな娘の問いに趙昂は悲しげな瞳で頷く。


「ここの政庁にいる。韋刺史いししが殺された事もあって、自分が刺史気取りどころか、戦国の王者にでもなったつもりさ……」


 その言葉に趙英は拳を握り締める。その様子を見た趙昂は黙って首を振って娘を諭した。そんな趙昂に後ろから呼狐澹が質問をする。自らの仇である何冲天かちゅうてんについてだ。


「馬超軍の中に、顔に傷痕があって、デカい朴刀ぼくとうを持った侠客って見ました……?」

「いや……、包囲の時は分からんが、戦の後で城に入ってきた者の中には見覚えが無いな……。他の県城にいるのかも知れんよ。特に主力部隊は上邽じょうけいにいるからね」


 その言葉にどこか安堵した呼狐澹であった。今はまだ戦えるほどの腕ではない以上、出会わないに越した事はない。下手に顔を見ては自分が我慢できずに斬りかかってしまう可能性もある。いずれ時が来た時、確実に出会えればそれでいいのだ。

 次いで緑風子も趙昂に質問をする。


「同じく馬超軍の中に、私のような道士を見ましたか? 恐らくは乱れた白髪……」

「それも見てはいないですなぁ……」


 こちらは趙英も呼狐澹も初耳の話であったが、ずっと話さずにいるに関わる事なのであろう。


「では、まだその時ではないか……」


 趙昂の答えを聞いた緑風子は相変わらず余裕の笑みで呟く。

 各々に思う所がある為に、しばしの沈黙が流れるが、趙昂がそれを破って家の中に入るように促した。


 三人が趙昂に連れられて家の敷地中に入ると、住居の土壁はひび割れており、屋根もあちこち穴が開いていた。八カ月の包囲の間は城内に矢が降り注ぐ事もあり、またそれを補修する暇もなかったので、どこの家もそれなりに破損が見受けられるのだが、趙家の場合は元々の清貧主義により、それ以前から必要最低限の補修しかしていなかった。

 聞けば先の戦いでも、夫人の王異おういは家にある金品宝飾を全て守備兵に与えて士気を上げたというから、今では金目の物は家にほとんどなく、貧乏人のあばら家と何ら変わる所は無かった。


 そんな趙家の庭で三人の少年が立ち話をしていた。歳の頃は十代前半で呼狐澹と同世代であるが、いずれも漢人であり、身なりの整った様子からそれなりの身分のある家の子だと分かる。

 そんな少年たちが、趙昂の連れた一行に気づくと、その中の一人が趙英の前まで駆け寄ってくる。


「姉上ですね!」


 その言葉に趙英は、目の前の少年に記憶の中の幼い弟が重なる。


士朧しろうか?」


 訊き返された少年は、拱手をして深々と頭を下げると丁寧に名乗った。


「姓は趙、名はげつあざな士朧しろう。姉上の弟にございます」


 弟・趙月の成長ぶりに、趙英が何と声をかけるべきか迷っている内に、趙昂が笑顔で代弁する。


「まだほんの幼子の頃からずっと会っていなかったからなぁ。どうだ、嫡子として立派になっただろう」


 趙英も思わず笑みを零して頷くと、他の二人の少年も駆け寄ってきて、趙月と同様に拱手して名乗った。


涼州従事りょうしゅうじゅうじ尹次曾いんじそうの長子、尹賞いんしょう。字を公賛こうさんと言います!」

漢陽郡功曹かんようぐんこうそう姜仲奕きょうちゅうえきの長子、姜維きょうい。字は伯約はくやくです!」


 趙昂によれば、いずれも冀城に居を構える役人の子であり、また趙月と同年代である事から、多くの蔵書を持ち博識な趙英の母・王異に師事して学問を学んでいるという事であった。


「何の騒ぎですか?」


 その声に咄嗟に振り返る趙英。何年も聞いていないというのに、幾度となく夢に出てきて忘れる事のない、母・王異の声。当然ながら母もまた記憶より幾分か肌艶はだつやも衰えて、髪にも白髪が混じり始めているが、その心を見透かすような眼光だけは全く変わっていなかった。


「それでは師母せんせい、僕らはここで!」


 そう言って王異に拱手をした尹賞と姜維の少年二人は門から出ていく。それを待って趙英は王異に対し、あえて拱手ではなく、腰帯から剣を鞘ごと抜き取ると、武官よろしく包拳をしてみせる。


「お久しぶりです母上。慧玉けいぎょく、戻ってまいりました」

「何て格好……」


 不機嫌そうにポツリと呟いた母の言葉を趙英の耳は拾い上げたが、そうした反応も全て想定内であり、むしろわざと挑発した部分もある。趙昂にとっては頭の痛い所であるが、そうしたやりとりも八年ぶりでどこか懐かしくもあった。


「ですが、よく生きて戻りました」


 そう口元を緩めて母親らしい言葉をかけた王異に、趙昂は胸を撫で下ろす。王異の視線が趙英の背後に控える呼狐澹と緑風子に向けられると、趙昂の仲立ちで二人は自己紹介をした。


「これは娘がお世話になりました。どうぞ中へ」


 そう笑顔で丁寧な対応をした王異であったが、ほんの一瞬の間に見せた目付きが、趙英の心に突き刺さった。それは胡人である呼狐澹、そして道士である緑風子に対する訝しみと蔑みの視線。

 自分が母に蔑まれるのは幼い頃よりの事で慣れきっていたが、出会ってから苦楽を共にした友人に対して、例え一瞬でもその視線を向けた事に、趙英は腹が立ったのである。


 背中を向けて家に入ろうとする王異に対し文句のひとつも言ってやろうとする趙英であったが、流石に幼い頃から同じような事を繰り返している娘の心情を手に取るように察した趙昂がその肩を掴んで首を振った。

 そのすぐ横で緑風子も苦笑しながら黙って頷き、呼狐澹はと言うと、そもそも向けられた視線の意味すら気づいていないようであった。

 趙月もまた、母と姉の関係の悪さについて父からずっと聞かされていたのだが、それをこうして自分の目で初めて見る事になり困惑が見て取れた。


 そんな周囲の様子から怒りも多少なりとも収まった趙英は、乱暴に頭を掻きながら大きく溜息を吐いて、振り上げた拳を下ろしたのだった。





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