第二十四集 次なる一手

韓遂かんすいが?」


 表向きは酒盛りと称して趙家を訪れた楊阜ようふ尹奉いんほうが持ってきた報告に、趙昂ちょうこうが思わず訊き返した。

 曰く、漢陽かんよう郡を平定した馬超ばちょうの勢いを見てか、潼関どうかんの戦いでたもとを分かった韓遂が、再度の同盟を望んでいるという使者を送ってきたらしい。

 馬超は始め問答無用に使者を切り殺して首を送り返そうとしたそうだが、その場にいた楊阜が止めに入って利を説き、まずは交渉の席を用意すべきだと進言したというのだ。

 そこで双方の名代みょうだいを立てての話し合いをするという事に落ち着き、楊阜はその名代に趙昂を推薦したというわけだ。


「しかし、難しい問題ですね」


 その場にいた王異おういがそう呟くと、楊阜もまた頷いた。


 単純に反客為主はんかくいしゅの計として考えるならば、馬超と韓遂を争わせて力を削ぎつつ隙を生まれやすくするのが常道だ。

 だが同時に、それは涼州の兵士や民を更なる戦渦に巻き込む事を意味しており、馬超を打倒する機会を掴めないまま泥沼化すれば、その荒廃は見過ごせぬ物になってしまうだろう。

 更に言えば、その戦でもしも韓遂を圧倒してしまえば、漢陽郡だけでなく金城郡までも併合し、馬超の勢力がより拡大する事にもつながる。


「となれば、今は馬超と韓遂に形だけでも同盟を結ばせてしまう方が幾分かはマシという物だ。いずれ事を起こす際、韓遂に内通できれば我らが優位に立つ事も出来よう」


 そう語った楊阜に、尹奉が付け加える。


「その為にも完全な和解はさせたくはない。あくまでも利害の一致、一時的な停戦という形で落とし込みたいのだ。頼まれてくれるか、偉璋いしょう


 その言葉に、趙昂は静かに頷いた。




 父が交渉役として出向く事になると聞いた趙英ちょうえいは、自ら護衛役を買って出た。交渉の場となるのが韓遂の本拠である金城きんじょう郡と、この漢陽郡の緩衝地帯、すなわち趙英が一年前に呼狐澹ここたん緑風子りょくふうしと出会った隴西ろうせい郡であるとなれば尚の事である。


 言い出したら聞かない趙英の頑固さを良く心得ている趙昂は、いざ剣を抜かねばならない事態になった際には自分より遥かに腕が立つ事も含め、特に反対する事もなく承諾した。


「俺も行くよ!」


 当然のように発言した呼狐澹。

 初めは息子の趙月ちょうげつと同年齢ほどの小柄な少年である事に一瞬戸惑いを見せた趙昂であったが、夏侯淵かこうえん率いる長安駐留軍の客将として趙英と共に武都氐ぶとていとの戦いを切り抜けた話を聞いていた為、これも強く反対する事なく承諾する。

 何よりも今回はあくまで交渉だけである。護衛役として随行するだけであり、余程の事が無ければ流血沙汰にはならないだろうという判断もあった。


 無論の事ながら彼らだけで赴くわけではない。

 二十人程度の護衛兵の随行、そして馬超の腹心とも言える将も付く事になった。


 龐徳ほうとくあざな令明れいめい


 槍術、弓術、馬術など、武芸全般を得意とする馬超をして手合わせで勝つ事ができなかった数少ない人物と言われ、かつての馬騰ばとう配下でも最強と噂された将である。


 城を出発する当日、趙英は初めて龐徳とまみえた。


「龐令明。此度は護衛の任に着かせていただく」


 丁寧に包拳ほうけんをして挨拶をした龐徳に、趙昂を始め、趙英や呼狐澹も礼を返した。

 そんな龐徳の様子を眺める趙英。言葉遣いこそ丁寧で穏やかだが、表情を一切緩める事が無く、その感情が読み取れない。ただひとつ言える事は、その大柄で強靭な肉体と、穏やかで整った呼吸から、外功、内功ともにかなりの修練を積んでいる事が伺える。或いは藍田らんでんで手合わせをした徐晃じょこうよりも上であろう。

 いずれ馬超に反旗を翻すとなった時、当然ながら龐徳とも敵対する事になるのだろうが、この男とは戦いたくないというのが趙英の正直な感情であった。


「ところでそちらのお二人は……」


 龐徳の視線は、趙昂の背後に控えている趙英と呼狐澹に向けられていた。


「私の身内の者で、共に護衛役です。さすがに将軍ほどでは無いでしょうが、こう見えて腕は確かです」


 趙昂は笑顔と拱手きょうしゅを崩さぬまま、障りのない範囲で紹介した。龐徳も少なくとも表立っては深く詮索するつもりはないようで、互いに名乗りあうだけの軽い挨拶を済ませると、冀城を出発する運びとなった。


 彼らに加えて二十人程の兵士が付くと、その全員が馬に乗って出発する。人数が多く歩兵が混ざれば、それだけで行程が倍以上になってしまうが、全員が騎馬であるなら当日の内に会談の場所に着くであろう。


 目的の場所は、隴西郡の東部、渭水いすい上流にある襄武じょうぶ県だ。昨年に潼関からの敗残兵を率いた馬玩ばがん張横ちょうおうが占拠し、くだんの刺客である何冲天かちゅうてんと出会ったのは、そこの県城である。

 今回の会談は、その近くに建てられた無人の道観どうかん(道教の寺院)で行われる事になっていた。


 二十数騎の全員が砂除けの外套マントを羽織り、枯れ木や低木が点々と立ち並ぶ荒野を駆ける。

 雲の少ない青空から強い日差しが照り付けるが、気温は低く乾燥している為に非常に肌寒く、むしろ太陽の光は暖かい恵みの光である。

 陽が沈めば氷点下まで下がる事もある為、陽が沈む前に目的地に着く見通しというのは全員が安堵した所である。




 襄武県の道観に到着したのは、陽も傾きかけて来た頃。

 放棄されて無人になっている為、土壁は所々にヒビが入って朽ちかけているが、元は大きな建物だったと見えて、二十人どころか百人でも中に入れそうな広さがある。

 韓遂側の使者はまだ到着しておらず、趙昂ら一行は全員で中に入ると、薪を集めて暖を取り始める。


 ふと思い立ったように弓を手に取って、表に出ていく呼狐澹に気づき、趙英がその後を追った。

 呼狐澹は、八尺(約一九〇センチほど)の高さの土壁に上ると、遠くを眺めているように見えた。


「どうしたんだ、澹兒たんじ


 趙英のその言葉に、視線を向けずに答える呼狐澹。


「食事が胡餅こべい(パン)だけってのも寂しいと思ってね」


 そう言うと弓を構えて矢を放った呼狐澹。その矢は一里(約四二〇メートル)ほど先の林の辺りに飛んで行った。

 遠目の効かない趙英には、何を射たのか全く分からなかったが、呼狐澹はその一矢に手応えを感じたのか、笑顔で頷くと土壁から飛び降りた。


慧玉けいぎょく、手伝って。向こうの林に、鹿が倒れてるから」


 二人は馬で林まで向かうと、果たして鹿がそこに倒れていた。鹿の頭を正確に貫いた矢は、それだけで鹿を絶命させたと見えた。


「相変わらず恐ろしい腕だな。これだけは全く敵う気がしない……」


 そんな趙英の褒め言葉に、自慢げに笑みを零す呼狐澹。獲物を呼狐澹の愛馬である月毛に乗せ、呼狐澹は趙英の黒鹿毛に同乗すると、道観へ引き返していく。


 鹿を獲ってきたと言うと、兵士は手を叩いて歓声を上げて喜んだ。皆で解体した鹿肉を炙って賑やかな夕食を取っている内に、陽もすっかりと沈んで表は満天の星空へと変わったが、韓遂の使者が現れる事は無かった。


 どこかで足止めでも受けているのだろうという結論になり、その日は皆で寝る事となったのだが、趙英はどこか漠然とした不安を覚えていた。しかしその不安が何を指しているのか考えても判然とせず、そもそも杞憂である可能性も大いにある。


 普段は憎まれ口を叩いてはいるが、こんな時は緑風子の助言が欲しいと素直に思った。その存在の大きさを改めて思い知り、その事自体に悔しさも覚える趙英であった。





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